ありがとうごめんねが言える
少しずつ自分が感じてたモヤって気持ちを
言語化できるようになってきた気がする。
婚活してた時、“ありがとうごめんねがちゃんと言える”というフレーズを
何度か耳にした事がある。
当時の私はとても違和感があった。もやっとした。
その当時は、これって当たり前じゃないのかな?とか。
ネットで調べるとモラハラ気質の人だ!とか笑
プランナーさんは、お相手が過去の経験の中で必要と感じているもの
と、教えてくれたりした。
それでも腑に落ちなくて、自分なりにその違和感を解決したいと思ったけど
なかなかその答えにたどりつけなくて、ギブアップして
自分とは考え方が合わないと簡単に切り捨ててしまった。
今なら彼に聞いていると思う。
それは、なぜ必要のなのだろう。いつどんな時にそう感じたのか。
どんな体験があってこの項目を提示したんだろうと。
自分の解釈と相手の解釈は違って当然なのに、
自分の経験と生きて培ってきた自分だけが信じるとてつもなく曖昧な概念を持って判断してしまっていたんだと気付く。
でも今なら少し自分なりのこのフレーズに対する答えが出せる。
つまり“ありがとうとごめんねが言える人”では伝わらないのだ。
私は、ありがとうとごめんねを適切なタイミングで伝えられるだと考える。
私の経験として、私は友人に遅刻やら何かしてもらったりする、日常のあるゆる相手がくれる好意や優しさにまずごめんねを発する負の女でした。苦笑
そのたびに、友人は謝らないで!大丈夫だから!もう謝らないで!と
何度も言われていたのを思い出す。長い年月をかけて。
友人と話す機会の中で、私の言動に対する思いや自分が発する言葉の意味を時間をかけて回数を重ねて私が理解し行動が変わるまで寄り添ってくれた。
ごめんねを言いたくなる気持ちをまずありがとう!に変えてきた。
そして、今、私は別の友人との関係の中で同じ境遇に立っている。
私が、何かしてあげたいと思ってする事に「ごめんね、〇〇はやるから」、
時間に遅れる時も「ごめんね…」と大丈夫だから大丈夫と伝えても繰り返される謝罪。私は、正直こう思う。あー、疲れるなと・・。
でも、自分が友達の立場に立ってあの時友達が言ってた事の意味が凄くわかるから、自分も友達がしてくれた事を誰かに渡す必要があると思う。
でも心の中で、またごめんねだ、このやりとり面倒だ、やりたくてやってんだからその気持ちおらないでほしいなと思う自分も居るのが事実。
何を言いたいかと言うと、ごめんねという言葉は人のしてあげたいと思った真っすぐな気持ちをポイっと投げ捨てて受けとらない対応。
でも、明らかに自分が遅刻したや、提出を忘れてしまった、何か不快な事をしたなどなど・・ごめんねが必要な時もあるだろう。
でも思う。せめて私がしたいと思って渡したものはごめんね!じゃなくて、
ありがとう嬉しいそんな風にしてくれるなんてまじ素敵!笑
って、思わず笑っちゃうようなコミュニケーションの返答がきたら嬉しい。
きっと、もっと、何か渡したくなるだろう。
ごめんねもありがとうも言える人はきっとたくさん居るだろう。
でもごめんねとありがとうを適切なタイミングで伝えられるというスキルは
それほど多く居ないのかもしれないなと思う。
彼が実際、同じように考えていたかどうかはもう答え合わせ出来ないけど
他人との違いを楽しめるというのはきっと自分の概念や正論を一旦よけて
とことん相手の話を聞いて聞いてひとつずつ自分の解釈とすり合わせていくものでしか生まれないものなんだろうなと思う。
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