「平和」を望むなら「戦」への準備をせよ
今現在、全世界で「平和」へと向かう為に「悪」と戦っている最中ですが、ここで必要になってくるのが「戦」への備えです。
ここでは表題について、私なりの解釈でご説明していきたいと思います。
タイトルの意味は?
”「平和」を望むなら「戦」への準備をせよ”
いきなりこれだけ出されて「???」と思った方もいらっしゃるかと思います。
本当の言葉はこうなります。
「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」
この言葉はラテン語の「Si Vis Pacem, Para Bellum」から来ており、出典には諸説あるものの、一般的にはローマ帝国のウェゲティウスと言う軍事学者のものとされているようです。ちなみに「汝」とは「お前」や「あなた」を指し、目下の方に対して使う言葉です。
簡単に言うと、
「軍事力を上げて自分の国への侵略を防ぎ、それが平和へと繋がる」
ことを指します。
ただ、一般の方は「戦の準備」と言うと「戦争への準備」をイメージする方が多いかと思いますが、「戦の準備」とは「結果として戦争を行わせないための準備」であることに注意が必要です。
「戦争への準備」と思っている方は今一度見直しましょう。
「戦」に必要なものとは?
「戦」に必要なもの・・・皆さんはどうお考えでしょうか?
刀、盾、銃、爆弾・・・大体の方はそうじゃないかな~と思っていますが、それはありきたりな考えです。
ただ、武器などの備えは一切悪いものではありません。悪い方向に使わなければ良いのです。
「戦」に必要なものとは、
洞察力
この1つです。
「洞察力」とは、「物事の本質を見抜く力」を指します。相手の表面的な物事をよく見て、目に見えない部分を見抜くことです。
以前、「自己陶酔が進む「悪」達」の記事にてドラゴン桜第3話の名言(一部)を掲載しましたが覚えていますでしょうか?
もう一度書き出します。
「国はお前らにはただひたすら黙々と馬車を引く馬車馬にあって欲しいんだ。その方が都合が良いからな。」
「世の中は平等だ。国民は自由だ。差別なんか一つもねえ。そう刷り込まれてきたんだ。だが実際はそうじゃねえ。どんなに努力してもどんなに力を振り絞っても、本質を見抜く力が無ければ権力者と同じ土俵にすら立てねえんだ。」
「本質を見抜き、自分なりの答えを出す力を付けろ。そのとき初めて、馬車馬は人間になれる。」
これらの言葉は「物事の本質を見抜けば、馬車馬から離脱出来る」と言うことでしたね。この言葉で言っていることが「洞察力」そのものを指しています。
まだの方は以下リンクからご覧くださいませ。
「洞察力」と言えば、私がフォローしているマッカーサーJrさんの記事にもこのような言葉がありました。
「 戦と政治は諜報活動が全てである。」
諜報活動とは、国家の安全保障にまつわる秘密情報に関する活動のことであり、主にスパイ行為をはじめとした行動を指します。
ある意味自分が持ち合わせている洞察力を活かすための行動と見て良いでしょう。ここで得られた情報を元に、相手がどのような戦略(作戦)をしてくるか読み取ります。
(「諜報活動」については上記リンクの記事が一番詳しいので、そちらも合わせてご覧ください)
過去の日本で起こった戦いも、勝者の大半は洞察力を活かしたものが多く、今では到底考えられない方法を利用して勝利を収めていたのです。
その一例として挙げられるのが、1184年にあった「一ノ谷の戦い」です。
一ノ谷とは、現在の兵庫県神戸市須磨区を指します。平氏軍と戦うために源氏軍は海側から攻める源範頼軍と山から攻める源義経軍の2グループに分かれて行動します。
まず仕掛けたのは源義経軍。三草山にて平氏軍と当たります。ここで使ったのが暗闇の時に襲う「夜襲」。この方法を利用し源氏軍は勝利を収め、平氏軍は敗走しました。
続いて源義経軍は一ノ谷である仕掛けを行います。それが「鵯越の逆落とし」。
先に戦っている源範頼軍がピンチを迎えていた頃に、源義経軍が崖から一気に下りて攻めるという大胆な方法で平氏軍を破ったのです。
ちなみに平氏軍は多くの兵力を利用していましたが、源氏軍の兵力はそこまでいませんでした。特に源義経軍はそこまでいないのに何故源氏軍は勝ったのでしょうか?
それこそが「洞察力」だったのです。
「三草山の夜襲」「鵯越の逆落とし」は、今では到底考えられない方法です。これが出来た理由としては、相手の手薄なところを狙った事でしょう。
まず「夜襲」ですが、寝ている場合は殆どが無防備です。その隙を狙った方法と見て良いでしょう。続いて「鵯越の逆落とし」については、崖を一気に下って襲う方法でしたが、平氏軍は「崖から攻められることは無い」と思っていたからこそ出来た方法なのでは無いかと思います。
(ただし「鵯越の逆落とし」については疑問点がいくつかあり、正確な情報は謎に包まれています)
戦に必要なものとして、武器などの備えも大事ですが一番必要なのは「洞察力」、この1つに限ります。
「戦」を乗り越えてこそ「平和」がある
「今の日本は「平和」だな~」と思う方も多いかと思いますが、何故こう言う状態なのかを疑問に思ったことありませんか?
日本をはじめ全世界に「平和」が訪れたのは、過去に「戦」があったからなのです。
過去の日本は、アメリカや中国などを相手に戦争を繰り広げていたと言う事と、感染症(スペイン風邪など)、天災(関東大震災・新潟大火・伊勢湾台風・阪神淡路大震災・東日本大震災)などこれらがあったからこそ今の日本が「平和」が保たれていること。
一言で「戦」と言うと「戦争」だけでなく、困難を乗り越えることもある意味「戦」と言えます。
もし、これらの「戦」が無ければ、平和に過ごせる事は無かったでしょう。
善と悪の戦い
皆さんは、「平和主義者は本当に平和を望んでいるのか」を気にしたことはありますか?
私が思うには「平和主義者は平和を一切望んでいない」と言うのが一つの答えと言えます。
2015年の安保法案可決前に国会議事堂前にて平和主義者達が「憲法改正反対!」「戦争法案廃止!」などのデモが行われていました。
ただ、私から見たらこのような平和主義者は平和の皮を被った「偽善者」であり、主張されている内容は中身が無いと言う事です😂😂😂
上記ページでも20代の教員(当時)が「戦争に日本が巻き込まれたら安倍さんは戦地に行きますか?」とか、御用学者が「安倍総理が有事自体だと思ったら戦争出来ると言っている」など、内容がスカスカ過ぎて話になりません🤣🤣🤣
そもそもトップが戦地に赴く事は、将棋で言えば「王将」が相手の陣地に入り込むようなものであり、絶対にあり得ません。また、安倍元総理が有事自体だと思ったら戦争出来るとは一言も言っていませんでした。
それらを考えると偽善者の勝手なでっち上げがバレたと言う事になりますよね。
また、当時は戦争反対・安保反対を主張する「SEALDs(シールズ)」と言う凡愚な学生グループもいましたが、これらが主張する内容もかなりのスカスカぶりでした。
気に食わない内容を言った政治家に「五寸釘をぶち込むぞ」と言うアホもいれば(参考リンク)、情報番組で主張した内容をアナウンサーとコメンテーターに論破されるというおバカっぷりが凄かったですよね🤣🤣🤣🤣🤣
(平和主義者を名乗っておいて乱暴な行為をする奴がいるか、たわけ共が💩)
実は、この安保法案を通すにも先ほどの内容のような「戦」があったのです。戦っていた相手は憲法9条とこれら偽善者の主張でしたが、それをさらっと切り抜けて安保法案は可決しました。
では何故これだけ障害があったにもかかわらず、安保法案は可決出来たのでしょう?
答えとしては、先ほど出て来た「洞察力」でしょう。
偽善者が主張する「平和」は平和に程遠いでっち上げの内容であり、すぐに見抜かれるものばかりでした。
(特に「戦争法案」と言う言葉は、当時の安倍内閣にダメージを与えるどころか偽善者にブーメランとなって戻り大ダメージを喰らう羽目になりましたね)
相手の主張がでっち上げだったからこそ、軽いかすり傷程度で済んだのです。
ちなみにこの内容、今の「悪」どもにも通じるのですよ。
「悪」どもは最終的に「新世界秩序」と言う凡愚な企みを仕掛けていますが、これはもう殆ど意味を成さなくなってきました。また、感染症を盾に色々と企みを仕掛けてもその殆どは失敗に終わっています。
以下はその例です。
・オンライン飲み会 → 流行せず。(今現在は一部だけ)
・「緊急事態宣言」などの人流抑制策 → 人々が多くなり全く機能せず。
・マ○ク会食 → 無意味だと思っているのか多くの店舗は入れていない。
・ワ○○ン接種 → 死○例が次々出始めて来ている。(悪どもは因果関係なしを貫いているが既にバレかけている)
失敗に終わった理由としては、目を覚ました人類がアレコレ調べるようになり、人間が持っている「洞察力」を活かしたからでしょう。
では何故「洞察力」を活かし人類は目を覚ましたのか?
それは、マスコミにて取り上げる記事が影響しています。
マスコミはある意味「洗脳装置」と言えるものですが、ここで表面的に出て来た内容を人類がアレコレ調べ始め、「洞察力」を活かしてしまうと言うチャンスを作ってしまいました。
つまり、マスコミと言う洗脳装置が記事を大袈裟に出したことによって、
本来の目的と正反対の効果をもたらしてしまったことになります。
マスコミ共は本来の「洗脳装置」としての機能を取り戻すべく、記事の修正だったりでっち上げの内容を貫いたりしていますが、その殆どは意味を成しません😏
マスコミも「悪」どもの1つですが、「悪」の記事をそのまま可視化したものもあるため、「悪」と「悪」の離間工作をしているのかも知れませんよ😊
最後に
今現在、日本は困難の中に立ち向かっていますが、困難さえ乗り切れば再び「平和」は訪れます。
それを乗り切るためにまず必要なのは「戦」の準備です。
「戦」には武器の準備も必要ですが、本当に必要なのは「洞察力」1つだけです。
何のために人類はこんな不甲斐ないことをさせられているのか?
人流を抑制して感染症は収束するのか?
マスコミが主張している内容は本当なのか?
これらに対して疑問に思い、自分の頭で考えることが「戦の準備」と言えます。もう一度申し上げますが、「戦の準備」は「戦争の準備」ではありません。「戦争をさせないための準備」です。
困難を乗り越えたその先に「平和」は必ずやって来ます。
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