天秤と神さまのまなざし
明日まで働けば、今日頑張れば、と4ヶ月もあったカウントダウンが片手で数えられるほどになった。
8月29日の夜、ハワイへ向けて日本を出る予定だった。
前の仕事を辞めてふとなににも縛られないところへ行きたいと思った時、6年前に初めて行ったハワイの空を思い浮かべた。
今、行ってみたらなにか変わるかも、活力が生まれるかもなどと淡い期待を抱き、叔母と旅行の計画を立てていた。
今朝、ぼんやり空が明るくなってきた頃だったろうか。
家族LINEで母親から
「おばあちゃんが救急車で運ばれた」と連絡がきていた。
おばあちゃんはわたしが生まれてから記憶にある限り、ずっと健康だった。たまにかったるいな〜ちょっと横になるわとかはあったけれど大きな病気もインフルやコロナにもかかったことがないのに。
みぞおちが痛いと訴えていたそう。
ただの腹痛であってほしかった。
バイトを終えて通知を見ると
「大動脈解離により2週間、ICUで入院となりました」
叔母は100%ハワイへ行くことをキャンセル、アンタは?と連絡がきていた。
余裕のなかった当時のわたしは「なんで今?」と。
仕事を辞めてから年金や市民税、家賃継続費用など出費の方が圧倒的に多く、貯金も尽きはじめアルバイトをしてやっと、今日の勤務を終え目標金額を達成できたので明後日に向けてこれから準備をしようという時になぜ、、
わたしも行かない
行ったところで心配すぎて楽しめそうにないからと頭では分かっているのにどこか片隅で
「今までこんなに頑張ってきたのにこの頑張りはキャンセル料として全額取られ、手元には何も残らない、思い出もただの悔しさだけ」
加えて次の仕事を探す上でどこか上の空だったわたしはハワイに行ってからしっかり働けばいいやと遊び優先で考えていた。
バチが当たったのだろう。
安直な考えすぎた。
不真面目すぎた。
自分が全部悪い。
こうして負のループに嵌り、やり場のない怒りに途方に暮れながらキャンセル手続きを踏んでいく叔母と通話をしていた時だった。
「担当してる看護師さんのことをゆくえと勘違いしてずっとゆくえの名前呼んでたよ。ゆくえ、ゆくえって。
落ち込むのもわかるけど面会行きなね。」
このときにやっと目がさめた。
3年前まで実家暮らしだったわたしとその頃から認知症になり記憶が止まってしまったおばあちゃん。
今でも帰省するたびに「大学はどう?今日はアルバイトはないの?」とおばあちゃんの中のわたしは大学生で時が止まっているのだ。
わたしはおばあちゃん子だし、おばあちゃんも孫の中で絶対わたしを1番に可愛がってくれている。断言できる自信があるほど愛されて育ってきた。
そのおばあちゃんが大きな血管が裂け、痛い痛いと言ってる中、会わずに国を出るつもりか?楽しめるのか?
お金を失うのは確かに辛いけど働けば得られるものに対して、働こうどお金を得ようと戻らないものだってあるだろう。
今、この時間を費やすべきは娯楽ではないだろう。
こうして文字を打ってる今でも過去を思い出しては寝そべるソファにぼたりと音が聞こえるほどの大粒の涙を落としている。
早くおばあちゃんに会いたいけど絶対に泣いてしまう。
管に繋がれた弱々しく見えるおばあちゃんを見たら絶対に泣いてしまう。
なんてものと天秤にかけていたんだと。
この病気が見つかったから死ぬわけではない。
死ぬわけではないけれど着々とこちらが歳を重ねるごとに老いは進むし別れは近づく。
見上げていた顔にはいつの間にかシワが増え、肩が並ぶほどの背丈はこちらがまっすぐ横を向くとフワッとした白髪の頭が微かに見えるくらい低くなっていた。
「ハワイ」と書かれたスケジュールを削除した瞬間、空白とそこを避けるように緻密に組まれた予定たち。
なんとなく神様や天国で見守っているであろうひいじいちゃんから、1人の時間より家族との時間を大切にしろと言われた気がした。
もう次は迷わない。
次もこんなことあってほしくないけれど。
がむしゃらに頑張った日々は無駄になったかもしれないが得られた気づきというか、忘れていたなにかを思い出せた気がした。
おばあちゃん、待っててね。