わたしの履歴書〜カバーメイクとの出逢いから死化粧に辿り着くまで〜
はじめまして。
おはよう、こんにちは、こんばんは。
美粧研究家で、はだかの被写体で、おくりびとをしています。
わたくし、渡邊明日香と申します。
今日は、わたしの人生について少しお話したいとおもいます。
たのしいことも、苦しいことも、たくさんたくさん。
わたしが見て、聞いて、感じてきたことを、みなさんとほんの少し共有することができたらうれしいです。
それでは、いざ。
1.運命を決めた友人の涙、14歳。
わたしの根っこの根っこ、芯の芯、奥の奥の方を形成している、とても大切なエピソードがあります。
14歳、中学2年生の冬。
リストカット跡に悩む友人が、泣きながら絞り出したたった一言を、わたしは忘れることができません。
「こんな汚い手に触れてくれてありがとう」
わたしが何気なく触れた彼女の左手首には、小さな傷跡が複数ありました。
もちろんわたしはその傷跡を汚いだなんて思っていなかったし、それどころか、特に深いことも考えずに、ただただ「痛くないのかな」とかそんなふわっとした心配しかしていなかったと思います。
だからこそ、彼女の反応にとても驚きました。
彼女が自分の腕を汚いと思っていたなんて、知りもしませんでした。
かける言葉も見つからず、傷を消せるわけでもなく、涙を流す彼女の隣に座り続けることしか出来ませんでした。
そんな自分に、絶望しました。
生まれて初めて、自分は無力であると痛感させられました。
わたしには、なんにも出来ないんだ。
目の前のたった一人の友人を、救うことさえ。
この出来事は、わたしの心に深く刻まれました。
なにをどう思って辿り着いたのかまでは覚えていませんが、この出来事がきっかけで出逢ったのが「カバーメイク」という言葉でした。
たぶん、適当なワードを羅列してネット検索したんだと思います。
当時のわたしは、100円ショップでコスメを買って出鱈目なメイクをするくらいには、お洒落や化粧がすきな中学生でした。
自分のすきなことで、彼女の役に立てるかもしれない。
そんな風に希望を抱いたのを、今でも鮮明に思い出せます。
まさか、この「カバーメイク」という言葉との出逢いが、その後のわたしの一生を決めてしまうくらい大きな出来事だったとは、14歳のわたしは全く気づいてはいませんでしたが。
幸か不幸か、良いのか悪いのか。
わたしの進むべき道は、彼女の涙を前にした”あの日”から、今も変わらず目の前に無限に広がり続けています。
2.高校3年生、課題研究の題材に”美容福祉”を選ぶ。
「カバーメイク」に出逢ったからといって、弱冠14歳の少女になにが出来るわけでもなく。
わたしのアオハルな中高生時代は、特に大きなイベントもなく過ぎ去っていきました。
(わたしは学校という空間や人間関係がすこぶる苦手で、生徒会に所属していなかったらあっという間に不登校になっていたかもしれません、というお話はまた別の機会に)
収穫といえば、「カバーメイク」以外にも美容福祉やメディカルメイクなど、化粧を活用してだれかの役に立つ方法にはいろんな種類の名前がついていることを知ったことくらい。
やりたいことは明確なのに、ロールモデルを見つけることが出来ずにいたわたしは、具体的な”職業”としてどこを目指せば良いのか全くわかりませんでした。
この頃には、自分がなりたい”職業”にはまだ名前がついていないことに、なんとなく気づき始めていました。
お医者さんや学校の先生を目指せていたなら、どんなに楽だっただろうと未だに思うことがあるくらいです。
同級生が皆、進路に悩み受験戦争を繰り広げる中、わたしも同様に将来について考えるようになりました。
やっぱり、わたしにはこれしかない。
14歳で味わった無力感を胸に刻み、この先ずっと自分のすきなことで人の役に立てる人間になれるように。
わたしは、道なき道を進むことを決めました。
わたしの通っていた高校は総合学科で、3年生の1年間をかけて取り組む課題研究という授業がありました。
各々すきな題材を選び、卒論のように研究するというものです。
わたしがテーマに設定したのは”美容福祉”。
最終プレゼンのために母親に顔を借り、化粧による外見変化と心身に与える影響をまとめました。
この課題研究が、ある意味わたしの決意表明になったように感じています。
わたしが興味を抱いているのは美容が人に与えるポジティブなインパクトで、それを活用した仕事をするんだと、同級生約240人の前で宣言しなければなりませんでしたから。
夢と希望に胸を膨らませ、その後わたしは高校を卒業しました。
この後、険しくて先の見えない日々が続くだなんて、かけらも知らずに。
3.居場所を見つけられず、孤独に学びを重ねた大学時代。
2017年3月 関西学院大学 人間福祉学部 社会福祉学科 卒業
社会福祉士/精神保健福祉士 取得
わたしの進学先は、地元の大学の社会福祉学科でした。
なぜ美容ではなく福祉なのかというと、化粧を提供する場所として当時から施設や病院を想定していたからです。
専門職が大半を占める領域で生きていくには、自分にもそれなりの土台となる知識が必要だろうと考えていました。
この選択は大正解だったと、振り返ってみて感じています。
病気や障害など何らかのハンディキャップを持つ人と関わるには、やはり最低限の知識が求められたからです。
高校卒業時に遠回りを選択できた自分を、褒めてあげたいくらい。
ただ、大学時代はとても孤独でした。
わたしは資格取得を前提にしたコースにいたので、ばりばりごりごりの福祉職を目指す人に囲まれて学んでいました。
自分の夢を隠してはいなかったので、みんなとは見ている方向が違っていることは知っていました。
知ってはいたけれど。
想いや悩みを共有したり、最新の情報交換をすることができる人がいないのは、ちょっぴり寂しかったです。
先生方に「せっかく資格を取るのだから、とりあえず3年は現場で働いてみたらどうか」と言われた時は、流石にがっかりもしました。
これから先の福祉や医療をより良くしていくために美容を活用するんだと、何度も何度も、呆れるほどに主張していたにも関わらず。
わたしがやらなきゃ誰がやる、とより強く心を燃やした瞬間でした。
それでも、大学ではたくさんの素敵な経験をさせていただきました。
我儘なわたしの面倒を最後まで見てくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。
4年かけて学んだ社会福祉の基盤は、今もわたしの中に土台としてしっかり定着しています。
人と関わる仕事をする上でとても大切な、ひとりの人間としての土台です。
4.美容福祉の実践をはじめた、社会人1年目。
大学では美容に触れる機会が全くなかったので、勉強も兼ねて、在学中から化粧品販売のアルバイトを約4年間継続していました。
2015年2月〜2017年3月 資生堂ジャパン株式会社
2017年4月〜2018年5月 ELGC株式会社
2018年5月〜2019年2月 資生堂ジャパン株式会社
偶然にも移動や店舗かけ持ちでの勤務を経験させてもらうことが出来て、いろんな地域や世代のお客さまと接する良い経験ができました。
化粧の基礎の基礎を学びながら働ける環境はとても有り難かったですし、なによりやっぱりたのしかった。
美容って、化粧って、いいなあって思いました。
この頃ようやく、美容福祉やカバーメイクと呼ばれるものを実際に学び始めることが出来ました。
2016年 資生堂化粧セラピスト 取得
2018年 福祉メイクセラピスト 取得
2019年 臨床化粧療法士 取得
取れる資格は片っ端から取得し、参加できる講座は全て申し込みました。
もし、わたしと同じような夢を持つ人がこの文章を読んでくれているとしたら、こんなにあれもこれも投資しなくても大丈夫だよと伝えたい(笑)
もちろん、技術を身につけることは重要だけど。
正直、現場で実践を繰り返すしか成長する方法はないなあと思います。
どんなに机上でお勉強を積んでも、どんなにシュミレーションを繰り返しても。
現場は、その通りには回らないから。
恥ずかしくないくらいの技術を手にしたら、すぐに現場に飛び出ればよかったなあと、わたしも少し後悔しています。
完璧を目指しすぎていました。
完璧な施術ができる日なんて、絶対に来ないのに。
社会人1年目は、そのほとんどをバイトに費やして終わってしまいました。
勿体なかった、本当に。
もっと自分からいろんな人に声をかければよかったなあと思います。
こんなことが出来るよ、美容で世界を変えようよって。
やっと自由になれたのに、思うように仕事に繋げられなくて悔しい毎日を過ごしていました。
5.はだかの被写体になる、23歳。
そんなもどかしい日々の中で、わたしは新しい自分に出逢いました。
ヌードモデルとして、カメラの前に立つ機会が巡ってきたのです。
きっかけは些細な偶然が重なって、カメラマンの友人と同じ時期に同じ写真集をみて、こんなことをしてみたいと意気投合しただけでした。
Photographer : Hana Nakagawa
後日もらったデータの中には、わたしの知らないわたしが佇んでいました。
わたしは自分のことが嫌いで、気に入らないところを挙げ始めればキリがないくらいなのですが。
写真の中のわたしは、とても綺麗でした。
”美しさ”の定義が、崩壊する音がしました。
ぱっちり二重じゃなくても、小顔で八頭身じゃなくても。
”美しさ”が存在する。
これは使えると思いました。
もともと、撮影したものを公開するつもりはありませんでした。
まさかこんなに継続的に撮影をすることになるだなんて、考えてもいませんでした。
でも、自分の身体を使って”美しさ”を探し求めることが出来ることを知りました。
わたしのように自分が嫌いで、心の中で何度も自分を引き裂いてきた人になにか伝えられるかもしれない。
そう、思いました。
美容を生業にするひとりとして、もっと”美しさ”を突き詰めてみたい。
そんな想いで、わたしは今もはだかになってカメラの前に立っています。
あなたは、あなたのままで、美しい。
6.湯灌という仕事との出逢い。
有難いことに、わたしの想いに共感してくれた知人の紹介で、2年目3年目と少しずつお仕事が出来るようになってきました。
施設で高齢者/障害者にマッサージを提供したり、アクティブシニア向けのメイク講座を担当したり、細々とではありますが、自分のやりたいことが形になるのは、本当にうれしかった。
なにより、メイクやマッサージを受けた時のみなさんの笑顔が、とびきりの笑顔が眩しくて。
嗚呼、わたしが目指してきた場所はここだったんだなあって。
わたしが頑張ってやってきたことは、間違ってなかったんだなあって。
改めて感じることができる、あったかい毎日を過ごしていました。
そんな折、入所者さんが亡くなるという経験をしました。
その方と特別親しかったというわけではありませんが、少なからず喪失感を抱いたことを覚えています。
この出来事をきっかけに、最期の最期までその人らしくいられるお手伝いが出来るようになりたいと考えるようになりました。
ちょうどプライベートで転機を迎えていたこともあり、化粧品販売から離れることが決まっていました。
偶然なのか運命なのか、そんな時に出逢ったのが湯灌(ゆかん)というお仕事です。
死化粧をはじめ、亡くなられた方の最期の身支度をお手伝いする「おくりびと」と呼ばれるこのお仕事が、わたしを新しい世界に連れて行ってくれました。
遺されたご家族さんにとって、とても大切な”最期”のお顔。
一度きりのお別れの場面で、わたしは日々とても重要な役割を担わせていただいています。
たのしいを共有するメイクとはまた違う、その人らしさを追求する死化粧。
まだまだ修行中の身ではありますが、笑顔を創造するだけに留まらない美容の底力を、わたしはこれから先も追求し続けます。
7.美容とわたしと生と死と、これから。
”美しさ”とは、なんだろうか。
毎日毎日、そんなことを考えています。
生きているとは、死んでいくとは、なんだろうか。
毎日毎日、そんなことを考えています。
いつ、どこにいても、わたしが目指すのは。
だいすきな美容を使って、人の役に立てる人間であること。
そのために出来ることには、なんでも挑戦し続けたい。
立ち止まることなく、前に進み続けたい。
わたしはそう、思っています。
これから先、どんな人生を辿っていくのか、わたし自身にもわかりません。
ただ、自分に嘘はつかないでいたい。
わくわくする方へ、走り続けていたい。
そう、思います。
今日こうして、あなたと画面越しに出逢えたことに感謝します。
いつか、ご一緒しましょうね。
まだ暑さの残る秋の日に。
渡邊明日香
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Photographer : Misato Fukagawa