見出し画像

自殺企図のため向精神薬を大量に服用した13歳女児の1例

要旨
症例は13歳女児で、以前より不登校,自傷行為のため近医精神科でカウンセリングのみの治療を受けていた。対人関係の問題から、自殺目的で母親の向精神薬(主にベンゾジアゼピン系薬剤)を大量に服用し、昏睡状態となり救急車で当院に来院した。来院時JCSI-200,対光反射減弱、胃洗浄、大量輸液を行い、ベンゾジアゼピン系薬剤中毒の解毒剤であるフルマゼニルを総量1mg投与し意識状態が改善した。その後も傾眠傾向が続き,健忘も認められ、意識状態が清明となったのは第4病日以降であった。以後の経過は順調で、第8病日に退院し、他院精神科で加療を受けることとなった。小児の急性薬物中毒は大部分が乳幼児による誤無事故であるが、特に学童期から思春期以降には、本症例のような自殺企図による急性楽物中毒の例もみられることがあり、注意を要すると考えられた。

  1. 緒言
    ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ︎︎急性薬物中毒は、成人ではそのほとんどが服薬自殺例であるが、小児では乳幼児による誤無事故が大半を占める。学童期や思春期では、近年の自殺件数の増加とともに、成人と同様服薬自殺による急性薬物中毒もみられるが、頻度の高いものではない。今回,われわれは自殺企図のため、母親の向精神薬を大量に服用し、昏睡状態となった13歳女児を経験した.

  2. 症例呈示
    13歳,女児。
    現病歴) 小学校高学年の頃から不登校、自傷行為があり、近医精神科を受診したが、投薬を拒否し、カウンセリングも十分には受けていなかった。平成14年3月11日,交際中の男性とトラブルになり、母親に処方されていた薬剤を、自殺目的で大量に服用した(正確な時刻は不明).同夜22:40ごろ、本人から知人に薬剤を大量に服用した旨の連絡があった。知人が救急隊に連絡し、23:26救急隊が患児宅に到着した.患児の部屋には薬剤の空包が大量に散乱していた.23:49救急隊が院に到着した。
    既往歴)ベンゾジアゼピン系薬剤の投与歴はない。
    日常的に喫煙を行っている。飲酒については不明.
    家族歴)母親31歳,接客業
    患児の出生直後に両親が離婚。祖父母と同居したこともあるがなじめず,現在母子家庭である。
    母親が精神疾患(詳細不明)のため、向精神薬(主としてベンゾジアゼピン系薬剤)を内服している.H13.8月に自殺企図による向精神薬の大量服用があり、他院で入院加療を受けている。
    来院時現症
    意識状態 JCSII-200(痛み刺激に対して顔をしか
    める程度)
    体温36.8°C 血圧129/72mmHg
    脈拍数62/分、不整呼吸数16/分
    皮膚:左前腕伸側に多数の陳旧性切創を認める
    瞳孔:両側1.5mm,対光反射減弱
    肺:stridor を聴取心雑音:なし
    腹部:平坦,軟

    経過
     ︎︎救急外来で直ちに生理食塩水700mlで胃洗浄を施行後、病棟に搬送し入院とした。胃内からは薬剤状のものや薬剤のシートが認められた。大量輸液を行い強制利尿を図ったが、入院後1時間半にわたり意識状態の改善はみられなかった。薬剤シートの分析および母親からの薬剤確認により、ベンゾジアゼピン系薬剤の急性中毒と判断した。
    拮抗剤フルマゼニル(商品名アネキセート)を入院後1時間半で初回0.2mg 静注し、4分間観察したが効果は認められなかった。その後1分間隔で0.1mgずつ追加投与した。総量1mg投与した時点で覚醒、自発開眼あり、不明瞭ながら自発語があり、従命可能となった。その後、全身状態は安定し、血液検査上も異常を認めなかったが、傾眼傾向、逆行性健忘、構音障害などがみられた。
    第4病日以降,意識清明となり、これらの症状は軽快したが、感情が不安定で、点滴を自己去する、院内で喫煙する等の問題行動もみられた。
    入院中に患児と面接し知りえた情報は、以下の通りである。登校は1ヶ月に1回程度、気が向いたら登校する。登校しない理由は、遊んでいるほうが楽しいから、現在2歳年長の男性と交際しているが、当日別れたいとの話があり、死にたくなって、以前母親がやっていたことをまねて薬物を大量に服用した。薬物を飲んだところから記憶は曖味となっており、知人に連絡したことは覚えているが、その後の入院に至るまでの経過は覚えていない。症状が回復した後は、死にたいとは全く考えていない。
    前医に連絡をとり、患児および母親の病状について説明を求めたが、守秘義務に反するとのことで情報の提供はなく、小児精神科の専門医に紹介するよう指示を受けた。第8病日、退院とし、他院精神科に今後の加療を依頼した。
    退院後は、新しい交際相手がみつかったこともあり、精神状態は安定し経過良好とのことである。

  3. 考察
     ︎︎ 今回,中学生の自殺企図例を経験した。小児期の自殺例は少ないとはいえ、小児科医は自殺企図に対する理解を深める必要がある、また、小児期における薬物中毒は、乳幼児期の誤飲事故によるものが多いが、特に思春期以後では、今回の症例のような自殺企図による症例がみられることもあり、これらに対しては迅速な救命救急処置が大切である。
    ①小児期における自殺企図について
     ︎︎小児期の自殺は少ないながら、無視しうるものではない。平成11年の全年齢での自殺総数は、過去最高の33,048人となっており、年齢別資料では、平成9年の自殺総死亡数24,391人のうち、14歳以下の小児例は59例0.2%である。当科においても最近10年間で自殺例を経験していない。動機別としては、成人では病苦が第1位を占めるが、近年の傾向として、不況による経済・生活問題を苦に自殺に至る例が急増している。小児期においては、昨今問題視されている学校問題(いじめ等),家庭問題が多数を占める、小児に関わる成人がこれらの問題に真摯に取り組むことにより、自殺を予防することは十分に可能と思われる。将来を担う小児の健全な発達と成長のための環境を整えることは極めて重要である。
    小児期の自殺は思春期に多いが、自殺の根本原因には精神面の脆弱さが強く関係しており、幼少期の子育てが強く影響するといわれる。小児期の自殺を年齢別にみると、5歳未満は年間皆無、5~9歳は数人であるが、思春期に急増し、近年では10~14歳は年間50~100件程度,15~19歳は400~500件近くにまで達しており、この年齢層の死因の上位3,4位を占める。また、ここ数年のインターネットの普及やマスメディアにより、自殺美化の風潮が強まり、自殺に関する情報が広く普及するようになったことが、自殺企図の増加に拍車をかけている。戦後の父親,母親世代は、核家族化の進行のほか、地域との関わりが希薄化した影響も受けて、親としての役割を十分に果たせなくなり、こどもの精神を健全に成長させる能力が低下してきているといわれている。特に幼児期の親としての関わりが不十分であることが、こどもの幼児期・学童期における集団生活に支障を来し、将来的に思春期の自殺企図にも影響を及ほしている可能性がある。父親が父親らしく、母親が母親らしく成長できるように支援する組織の確立が必要である。
    自殺の方法として、服薬は少ないが、われわれ医療関係者が十分注意することにより、服薬自殺を防ぐことが可能な場合もある。自殺の方法としては、縊首が最も多く、飛び降り・飛び込みがそれに次ぐ。自殺死亡数のうち、薬物によるものは5~19歳のわずか2.2%を占めるに過ぎない”が、これは多くの例で救命措置がなされた結果であり、薬物による自殺企図件数はこれを遥かに上回るものと推測される。これら薬物の入手経路については、市販の感冒薬などを購入する方法、自らインターネットのホームページ等を介して入手する方法のほか、特にわれわれ医療関係者が注意しなければならないこととして、われわれが薬剤を処方する場合がある。服薬自殺の原因薬剤として、向精神薬や睡眠薬は全体の約半数を占める”、これらの薬剤の処方を受ける患者には、強い不安、ときに自殺念慮が認められることがある。自殺念感を直接に表現しなくても、自殺企図に匹敵する自己破壊衝動を見落とさないようにすることが重要である”、これらの患者に対しては、過量服用による自殺企図の恐れがあることを常に念頭におき、薬剤は一度に大量に処方しない。服薬状況を定期的に確認するなどの予防措置が必要と考えられる。
    今回の症例の場合、患児自身に対しての処方ではなく、母親に対する処方であったが、まず母親自身に服薬による自殺企図の既往があることから、大量の薬剤の処方は危険であることは改めて指摘するまでもない。さらに、患児の自傷行為がエスカレートすれば自殺に至るかもしれないことも十分に考慮すべきで、患児ならびに患児の母親の身近に薬剤が大量に放置されるような状況では、服薬自殺が企図されることは想像に難くない。母親への投薬や、患児自身の経過観察に関して、今回の事態を予防するためにできたことは数多くあり、回避し得なかったものとは言い難い.不幸にして自殺行為がなされた際、必要な救急救命措置をとることはいうまでもなく重要だが、小児期の自殺を未然に防ぐために、小児科医・精神科医のみならず,われわれ大人へ課せられた責任は大きい。
    ②ベンゾジアゼピン系急性中毒について
     ︎︎服薬自殺例において、ベンゾジアゼピン系薬剤の頻度が高いことを理解していなければならない。一般的にわが国では、抗不安・向精神剤としては、ベンゾジアゼピン系薬剤が first chaiceとして処方される機会が多い。ベンゾジアゼピン系薬剤は、単剤では大量服用しても致死的となることの少ない,比較的安全性の高い薬剤である、一方で、アルコールや他の中枢神経抑制薬との併用では、重
    度の昏睡や錯乱などの中枢神経症状,徐脈,血圧低下などの心血管系症状、および呼吸抑制が生じ、致命的となることがある、今回の症例における本患児の服用薬剤の血中濃度は、推定された服用量に比して低かった。この原因として、薬剤の服用量は、現場に散乱していたシートの空包から推定されたものであり、母親がそれ以前に服用していた分量が多かったため、実際の患の服用量は少なかったことがまず考慮された。母親の薬剤管理がずさんであったため、正確な服用量は不明である、また、来院後迅速に胃洗浄等の救急処置を行ったことにより、薬剤が吸収前に除去できたことも考慮すべきである。
    ベンゾジアゼピン系薬物中毒には有効な解毒剤が存在する。ベンゾジアゼピン系薬剤の過量投与に対しては、服用後早期(3~4時間以内)であれば催吐、胃洗浄,吸着剤(活性炭)や下剤の投与といった、未吸収物質の一般的な排除法が有効である。すでに吸収された薬剤を除去する方法として、大量輸液や強制利尿は無効であるとされている。急性中毒症状としての過度の鎮静および呼吸抑制に対しては、特異的解毒剤フルマゼニル(商品名アネキセート).が有効である。この薬剤は、ベンゾジアゼピン受容体阻害薬であり、ベンゾジアゼピン類の生物学的作用に拮抗し、効果を発揮する。また、アミノフィリンは、内因性アデノシン受容体拮抗作用により、GABA神経系に抑制的に作用し、ベンゾジアゼピン系中毒の治療に有効とされている。解毒剤フルマゼニルの小児期に対する使用報告はごく少なく、その効果に関しては成人と同様に論じることはできないが、今回の症例では成人で最大量とされる1mgの投与まで症状の改善が認められなかったことから、血中濃度に比して中毒症状が強かったことが推定された、この要因としては、小児であること、また、本患児にベンゾジアゼピン系薬剤の投与歴がなく、感受性が高かったことが考慮された。

  4. 結語
     ︎︎小児期の自殺を未然に防ぐため、周囲の人間に課せられた責任は大きい。自殺念感のわずかなサインでも見逃さないようにし、必要に応じて小児精神科専門医に相談することも必要と考えられる。
    また、不幸にして自殺企図がなされた場合、直ちに必要な救急救命処置を行うこと、さらに身体的な回復の後も小児精神科専門医を中心として十分なフォローを行うことが大切である。


以下、ソース。

いいなと思ったら応援しよう!