Beautiful Japan 吉田初三郎の世界
「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」展が府中市美術館で開催されました(5月18日〜7月7日)。
大胆なデフォルメと、見る人が見やすいようなクローズアップ。
現実の景観に理想が重ねあわされてできる「Beautiful Japan」。
堺市博物館の収蔵品を中心に、犬山からも大事な作品が何点か出品されていました。
日本各地だけでなく、大連、韓国、台湾などの鳥瞰図もあります。そこには観光、植民地、戦争へとつながる近代日本の欲望も読み取れます。
タネのタキイ種苗株式会社が依頼した鳥瞰図では、釜山から大阪までが、鉄道と航路とで一直線に描かれているのが,当時の地政学的な視点からも興味深い。
初三郎は、途方もない距離を歩いて回ってスケッチしたものを、独自の視点でまとめあげつつ、常に、観光的に見やすく、というところを外しませんでした。
戦時下の統制が厳しくなるなか、鳥瞰図は禁止され、しばらくはあまり仕事もない時期もあったようですが、戦後はすぐに広島の原爆の様子を依頼されて描きに行き、証言から得られたピンクのキノコ雲が描かれています。
初三郎が犬山にいたのは、1923年の関東大震災で東京のアトリエが倒壊し困っていたところを、上遠野富之助より名鉄の寮を仮画室として提供され、移り住んで以来、青森の種差に移る1936年までとされています。
初三郎は自分を受け入れてくれた恩に報いようとしたところもあるのか、犬山・栗栖地区の発展に向けて尽力します。
まずは1927年、東京日日新聞、大阪毎日新聞社主催で選定された「日本八景」に日本ライン木曽川が河川の部で一位に入選するよう、審査員に働きかけます。
さらに、1929年、画室のある栗栖周辺に桃太郎伝説にまつわる地名がたくさんあることから『桃太郎発祥伝説地に関する一考察』(桃太郎会)を刊行し、日本一桃太郎会を発足。翌年、桃太郎神社が創建されます。
そして、「シャボン玉」(1922年)の唄などで人気を集めていた童謡詩人・野口雨情作詞による「桃太郎音頭」もつくられ、これも「中部日本代表的民謡小唄」(新愛知新聞主催)の投票で中部小唄投票に一位当選、桃太郎音頭ハーモニカ楽譜がビクター出版社から刊行されるなど注目を集めます。
鳥瞰図絵師としてだけでなく、プロデューサー的な役目も果たした吉田初三郎。
彼が夢を託した桃太郎神社に関する新しい動きも少しづつ起ころうとしているようです。