ゆうきまさみ展に行ってきた
鳥山明を発掘し、その功績をもって伝説と称される編集者、鳥嶋和彦は、小学生などによく聞かれるという。
「漫画家になるにはどうすればいいですか?」
あまりに聞かれるので答えは決めてあるそう。
「三つあります。国語を勉強してください、友達をたくさん作ってください、体力をつけてください。以上です」
漫画は物語であり、それを理解し表現する国語力が肝要。その登場人物を偏らせないよう、いろんな人間が世にいることを知るために交友は広く持つほうがいい。そして過酷な連載を乗り切るには、最後は体が資本である、と。
頷きつつ耳の痛む現役漫画家先生は多いのではないだろうか。映画で言えば脚本から大道具、カメラから照明に至るまで一人でこなし、毎週それを繰り返すような重労働である。凡庸な我が身からすれば、心折れる瞬間など連珠の如くありそうに思う。
鳥山明42年。手塚治虫43年。ちばてつや45年。水木しげる57年。萩尾望都52年。秋元治44年。美内すずえ43年。浦沢直樹37年。高橋留美子42年。あだち充50年。主な漫画家の執筆期間である(一部数え年)
連珠の如き挫折を乗り越え(一部妄想)これほど漫画という世界に己を傾けられる人間がいることに、まず驚嘆する。今日その列に、一人の漫画家が加わる様を見た。
ゆうきまさみ。その画業40周年を記念して行われた原画展に行ってきた。
圧巻……というほどの迫力はなく、垂涎……というほど流麗さも感じず、贅沢……というほど敷居は高くなく、郷愁……というほど時代差を感じない。
さて今日は何を見に来たんだっけ?と一瞬迷いかけたが、以前書いたゆうき評を思い出す。
主線は一本でまっすぐ描かれ、擦り傷のような影や皺は極力排されている。目はどのキャラも大きめに描かれていて、表情を捉えやすい。
『質素かつ現実的な肉厚を持ちながら、漫画の絵として認識できる絵』
それがゆうきまさみの絵の本質であるように思える。
さも特別なことであるように書いてしまったが、それはつまり「普通の漫画の絵」ということではないだろうか?
誤解を恐れず言えば、ゆうきまさみの絵とは、読むものに与える心理的影響までも考慮して作画された、最も漫画らしい絵といえる。が、無論それはボタンを押して自動で排出される類のものではない。
原稿に寄って見れば、わずかなペンの揺れやトーンの重なり、ホワイトのだまの跡が、試行錯誤の痕跡を生々しく残しており、少ない線ゆえに一本たりとも疎かにできないという覚悟と、少しでも読みやすくするべく、写植を文字通り切り詰めて貼る編集者の執念を垣間見える。鳥肌が立ったのは一月の陽気のせいではあるまい。
完全に余談だが、近年NHKの漫勉に「よろしくない影響」を受けている身としては、生意気にも「思ったよりホワイト使わないんだなぁ(F田K日郎比)」などと思ったりもした。余談終わり。
会場の入り口には先生自ら本展を「ゆうきまさみの一里塚」とあった。東海道は一二四里八丁。先生は今どのあたり歩いておいでだろうか。
と書けば、つい二日前の箱根の激走を思い浮かべ、ヒィヒィ言いながら走ってるゆうきまさみ像が容易く浮かんでしまう。なるほど体力がいるはずである。
先生、新九郎の舞台はまだまだ先ですよ?まだだいぶ長く先生の漫画で楽しめそうですね?
(^▽^)
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