大切な大切な金曜日。
毎日、日付や曜日の区別なく過ごしているが
「金曜」が来ることを心待ちにしていて、
そして、いつもこの日でリセットされる。
デイの職場での貴重な一日。
老いや孤独、病気や障害での心身のつらさ、
不安や恐怖…そうしたものの存在の強さを抱えて
それでも普段は表には出さずに…
何人かの方の、ふとしたやりとりの中に
時折、ごくまれに触れてしまうことがあっての。
もちろん触れてしまうことの危うさ、
そして、それをどうにもできない自分には
無責任になってしまうことの重さもあるが
とある方とは、わたし自身と共感して
今は互いに、今この一日一日を励まし合い、
金曜に会うことを愉しみにしている。
客観的に見れば、親子ほどに年の違って、
健康でまだまだなんでもできるわたし、
となるはずだけれども、
単純にそういうことではなく。
深く語り合ったわけではないけれども
同じ思いを持つことに気づき、
互いに深く大切に思う部分で響き合う。
お会いしても、特別な話をするわけでもないし、
「また金曜が来て、お会いできてよかった」と
ともに言うだけであっても、わたしも救われる、
こんなご縁を与えていただけるとは。
@ @ @
わたしは随分恵まれていると思う。
家の中で毎日家事して静かにしていたら
とてもうれしいこともないかもしれないが
傷つくことも悩むこともない。
自分で勝手に始めたことで
何度もつまずき、勝手に傷つく。
値ぶみされて、期待や希望もなくなっての。
いつでもやめればよい、と思うくせに
でも、まだ少し心に残るものがあって
そのために続けているのだけれど
それすらうまくいかない。
こんな自分になりたくないと思いつつ
それでもそんな自分のままでいる。
そんなわたしなのに、優しくしてくれて
会うのを愉しみにしてくれるなんて。
その気持ちに、恥じない自分を、
少しでも残しておきたい。
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