インドに行ったりなんだったり。タトゥーのはなし
近頃SNSを開くたびに望んでもいないのに凄惨な状況が目の前に掲示される。
Twitter、Instagramなど様々なSNSで表示アルゴリズムが改変されて最悪なことになっている。はっきり言って鬱陶しい。
そして垂れ流されるその情景に対し、極東に住む我々の誰かが日々さも当事者のように、さも今、我が眼で見て来たところかのように、さも訳知りの識者のように述べている。僕には何故だかまったくもって分からないがとにかく皆が何かに怒り続けている。
明日になれば今、怒っていたということ自体は覚えていようとも何に怒っていたかのディテールなんて忘れているだろうのに。
誰かの感情さえもすべて親指だか人差し指だかのスクロールで消費されているようにしか思えない。
そう言えば以前どこかで読んだことがある。
怒りは貧者に許された唯一のエンタメだと。
もっとも、貧者である我々は既に自らの意思をもってして怒りをエンタメとして消費しているのではない。あたかも自由意思において自らの感情を怒りとして発しているかように錯覚させられては居るが、我々はメディアによって意図的に感情を”怒り”のステータスへとコントロールされ常にメディアの消費者としてメディアに消費されているのだと思う。怒りというものは複雑だが、複雑ゆえにエネルギーの質量は大きい。ゆえにコントロールしやすい。だから資本主義下において貧しい人こそ兎に角怒らせておいた方が良いのだろう。コンテンツとして新たな金の卵を生む。
あまりに飼いならされすぎているのではないか。と思うがそれほどまでに我々は既に貧しいのだ。
なんてことを威勢よく述べてはみたが、
このテキストは実は自身の連載用に紀行文として書きつづっていたものである。
しかし。。。なんだかんだとあり、
入稿から半年ほど経った今も日の目を浴びていない。
数日後には台湾、10月にはネパール、
2月にはインド、またスリランカにも行く予定がある。
このタイミングを逃してしまうと僕自身もうなんのこっちゃ分からなくなるので、今回はNoteにアップし供養することにする。
既に結構前の話だな、というところもあるが、
再編集はほぼしないで掲載するのでまあそんなもんかと思って読み流してほしい。
さて
亜鶴くんと呼ばれて既に10年以上が経つ。親からもらった名前で呼ばれた回数よりも既に亜鶴くんの方が多いくらいだ。
たまに本名を聞かれて一瞬思い出せず言い淀むことも多くなった。
また、我が目には未だ確認が出来ていないものの背中が黒く塗られてからも既に9年が経過しているらしい。
約10年、与えられたイメージと共に暮らして来た結果、近頃、誰のための人生を生きているのかと考える機会が増えた。
タトゥーとはプリミティブデザイン、トラディショナル、コンテンポラリー、どのジャンルにおいても自身の周縁状況が自身の身体にデザインとして反映される。
どういう交友関係があるのか、どこに居たのか、何を好んで来たのか、全てが視覚情報として肌の上に羅列されるのがタトゥーのひとつの特徴だと思う。
例えるならどんなアニメが好きで、だから主題歌を歌っているバンドを好きになって、そのバンドのレーベルを調べ始めて、なんてのと同じだ。それが全て皮膚上の図として表示されているのがタトゥーだ。
これはタトゥーだけに限ったことではないが何らかを過剰に行うと少なからずキャラクター性を帯びてしまう。その側面を用い、キャラクターとして完成する為にタトゥーを使っている人たちも国内外問わず居る。
だから、そんなタトゥーを全身に入れている"亜鶴を冠するアーティスト"というキャラクターであったり、"本国における全身のタトゥー"のイメージのような「分かりやすいキャラクター性」を僕も使おうと思えば出来る。
タトゥーの話しで例えると分かりにくいかもしれないが学業だってそうだ。何かになる為に勉強をする。あるいは名乗るところから始める。しかし名乗った事で何かになった気で居る人も周囲に多いのではないだろうか。僕としては色々やっていた結果、こうなっちゃいました。というもの以外はあまり信用が出来ない性分で、しかももとより自身はキャラクターとして行動することにも抵抗がある。「撮影だから」の一声で羊か如く、幾度となく定期的に全身の毛を刈られはしたものの、既に括れるほどには髪も伸び、調子に乗って普段はキャスケットなんて被っている。短髪は好きではないのだ。ここにはアズというキャラクター的選択では無く、僕自身の意図がかなり色濃く反映されている。
また、先ほどタトゥーは周縁状況が反映されると書いたが、もちろん僕のタトゥーにだって反映されている。
以前このコラムのどこかで書いた記憶があるが、僕はタトゥーをバックボーンとして活動している美術作家だという自己意識が強かったため、タトゥーをアートピースとして、アートプロジェクトとして世に出そうとしている大島托の発想が面白く思え、この男とならばなにか共闘出来るのではないかと感じたため、彼にデザインを一任した。
だからどういったデザインが上がってくるかなんて一切関係なかった。視覚的であるタトゥーのマインドの部分が僕には色濃く反映されていると思う。その結果、やたらと黒い人になってしまった。
ただし、すこし誤算があった。世において、タトゥーがいっぱい入っている人がタトゥーを彫る仕事をしているのは非常にわかりやすく納得というのはベタな解釈なのだろうが、しかし僕の風貌と僕自身がタトゥーアーティストとして主に手掛けているタトゥーのデザインや手法の乖離はタトゥーリテラシーある者からすると非常に分かり辛い。
昨年仕事でベルリンに行ったときもそうだった。先方スタジオのオーナー、ジョルジオにも会って即指摘された。
「こんな仕事をしているのに何故アズの見た目は黒いんだ?」
大体にして黒い奴は黒いのが好きだから黒い奴らと接しており、だから黒くなっている。その黒いやつがタトゥーを始めたにせよ大概が必然的に黒いデザインを彫り始める。これはタトゥーの分かりやすい部族性だろう。
また、彫ったり彫られたりしていく間にいろんな図柄が増えて最終的に全身になんだかいっぱい入っちゃってます。というのが僕より上の世代のタトゥーアーティストのティピカルな例なのだが今は既に違う。
きょうび、華奢なタトゥーを彫るタトゥーアーティストなんてのは、自身の身体にはタトゥーのタの字もない事だって多い。
何をするにしてもブランディングが先行している今の世の中においてスタイルとルックが違うなんて意味不明でしかないのだ。かつては等身大であることが評価されたが今は先ずもってマーケティングのためブランディングし、そしてブランドとして認知された後で見せるあくまで自然体な等身大”風”こそがマーケットへ向けての新たなブランディングとなっている始末だ。
だからこそ黒く塗られた僕のルックを見て、なぜ作風は線なんだ、なぜしかもマシンでバリバリ彫り進めるのではなくハンドポーク(手彫り)なんだ。という疑問がわくのは自然だろう。
言うなればヴィヴィアンウェストウッドが毎日甲冑を着てうろうろしているようなものなのだ。別にそれが悪いわけでは全くないが、分かりやすさという尺度で測るととにかく何らかのコンテクストがあるだろうことは分かるものの意図は非常につかみにくい、端的に言うとわかりにくい存在になってしまう。
僕には別段秀でた英語力があるわけではない。とは言え、よっぽど早口や専門的な会話でなければ言っている事は把握できるし、読み書きならばある程度は問題ない。ただ発話となると使える語彙量であったりどうしても一瞬思考が干渉する事で多少遅れてしまうという”The受験英語の弊害”を抱きしめたまま生きているのでリアルタイムではあまり込み入った話をすることが出来ない。
仕事とルックの乖離を問われても「僕はプログレッシブなんで 笑」程度しか返答が出来ない。そう答えると相手は確実に毎度一瞬怯んだ表情をする。なぜならプログレッシブとは前提ありきの革新だからだ。前提も共有してくれないやつが革新だなんだ言っていれば怯むのは当たり前なのだ。
ちなみに何故ハンドポークなのかと聞かれた際にヨーロッパで鉄板でウケるのは
「だってマシンって資本主義的だから。」
これさえ言っておけば何故か皆、一撃でなるほど~!という顔になり笑うのだ。これもまた前提の話に通じてくるのだろう。
さて横道に反れたが
実は今は2023年の大みそか、年越しのパーティ会場に来ている最中なのだ。
熱気に包まれた会場を離れ、喫煙ブースでぽちぽち携帯を打っている。
いつだってどうにも遊び切れない。なぜだか常にTPS視点で居ることが多い。
目の前では何かでぶっ飛んでいるのか、灰皿を倒し、手で煙草の吸殻をかき集め爆笑している集団もいる。何らかに没入している様が途方もなくうらやましく思える。
その隣では自分のターンを廻し終え、ハイになっている演者と外国人客が大喧嘩をしている。
それを横目で眺め、ああ喧嘩を止める事が出来なかった。という後悔だけは一人前に持って帰ってしまうのが今日の僕なのだ。
もっとむき出しのあけすけになり、日本において残念なまでに奇抜とされる我が身体をもってして「生きづらさ撤廃委員会」代表を請け負うべきかと思う反面、いやいやそうは言ってもここは日本だぜとも思う。これ以上に面倒くさい、針の穴を通すような尖った生き方をする必要があるのだろうかとも思う。
じゃあ完全に自分の為に生きればどうなるかと言えば
例えば気になる素敵な人がいれば声をかけたい日が来ることもあろうし、欲しいものがあれば追わずにいられないこともきっとあろう。
しかし、我が身体を振り返ると否応なしに都度”Tattooed”というタグが付帯する。考えすぎではないかと思われるかも知れないが、例えば職場や交友関係でふとした時に”男”というタグで見られたり、”女”というタグで見られたり、そのタグのせいで…と悔しく思った経験は誰しもあろう。
それと同じく、日本で生きている私は言うなれば山から下りて来た妖怪なのだ。妖怪がいきなり「オ、オデ…仲良グジダイダカラ…」と声をかける訳にもいかない。怖がらせてしまう。
また、こうして世間様に向けて喋る際、タトゥーにおけるなにとは、例えるなら〜と逐一翻訳をせねばならないのも少し物悲しい。妖怪の悲哀だ。
もちろん、妖怪である我が身なりを関係なく、内面を見る人も多くいる。だから知人には恵まれているとは思う。しかし、反面、ルックスに興味を持ち吸い寄せられてくる人も多く居る。
タトゥー舐めてみても良いですか。と言われ、突然知らないおっさんに腕を掴まれべろーっと舐められたこともあれば、タトゥーというタグが好きでたまらないと言って言い寄ってくる人も居る。
どうも中華圏のSNS内に僕の半裸の写真があれやこれやと転載され爆発的にシェアされているようなのだが、タトゥーフェチのゲイセクシャルの掲示板から僕のSNSに到達し、自身の性器の写真を送って来たり、そういった彼らが好むTLの中に転載された僕の写真を見せて来、「0or1?」と問うてくる人も居る。
ちなみにこれは豆知識なのだが、中華圏ではオスメス(タチネコ)を表わす際、0か1かと表現する。これに関しては2進法でスマートだなとは思う。
また横道に反れたが
タトゥーが好き、なのと
タトゥーが入った人が好き、なのと
タトゥーが入った○○さんが好き、なのと
タトゥーが入っていても○○さんが好き。なのでは全てが全く違う。
そんな”Tattooed”というタグをいわゆる一般社会における対面では消す事が出来るよう、我々は一度見慣れていただく時間を設ける必要がある。だからこそ身の振り方には常に丁寧に繊細になってきたつもりだ。
だからこそ出来たこともあれば、出来ない事もままある。
どうだろう。知らぬ間に勝手にセルフ出家でもしたのだろうか、というか気付けば出家させられていたくらいの感覚だ。
パーティーの最中そんなことを思っている。
というかだ。もっとも、自分が考えるためならわざわざ文字にする必要もなければ絵に起こす必要もなく、またそれを改めて発表をする必要もない。誰のためだなんていいながらこの文章だって結局誰かに見せることを想定しているし、結果的に人にどう思われるかまでが射程圏内に入っている。はっきり言ってダサい。厭らしく、卑しい。
まあ、どうせ何らかの形で出すならば誰かのためになれば。きっとその程度は思っているのだけれども。
こんなぐちゃぐちゃした思考がそのまま文章になれば良いのだけれども、それができないからiPhoneのメモ機能を駆使し、ぽちぽちと打ち込んでいる。とにかくインターネットは遅い。
デバイスを立ち上げ、ブラウザを開かなければならない時点で遅すぎる。さらには目と手を奪われる。どうせ文を認めるならばブラウザ越しよりも原稿用紙にかきなぐりたいが、パーティ会場にいる今はそれができない。思考の残影を消え切らぬうち急ぎで打ち込んでいるがそもそもパーティ会場に来てまで物書きなんて本来やりたくない。
ああだこうだ言っているがせっかくのパーティを、目の前の状況を楽しみきれないようならば今すぐに家に帰り犬を抱いて寝た方がいい。俯瞰でぼんやり観察している場合じゃないのだ。
これがミドルエイジクライシスと言われたら違うと言いたいし、思春期の残波のままイキっている。と言われると違うとも言いたい。携帯を打つ手がかじかむ。とにかく海沿いにある会場の外は手が冷える。暖をとる為、手に息を吹きかけようと左手を見る。
今のところ体調は日々絶好調。老いはまだ感じた事がないがしかし皮膚は間違いなく弛緩して来ている。これは間違いのない現実。加齢だ。
そんな中、2023年は気づけば終わっており、2024年がぬるっと始まっていた。
インド編
圧倒的なまでの刺すような視線
明らかに異物、異質なものとして扱われている。好奇の目で見られているというより監視をされている。彼らには目の奥にもうひとつ目がある。そう感じた。
ベトナム、ホーチミンを経由しインドはムンバイに到着したのはインド現地時間の夜21時。
10年前に取得したパスポートの写真と既に大きくルックスが異なることもあり、到着してからがいつも大変なのだ。
コロナ禍以降の入国審査なんて全て非接触が基本となっており、パスポートをスキャンに掛け、アイチェックだけすればだいたいがOKなのだが、昨年はドバイのイミグレーションでパスポートを置いた瞬間にアラートが鳴り、対面カウンターの前に連れて行かれ20分ほど睨まれ続けながら散々待たされた挙句、別室に隔離され尋問を受けた。オンラインチケットとパスポートを見せろと要求され既にiPhoneとパスポートはカウンター奥の入国審査員の手の中にある。もう何を問われても調べる事など出来ない。アラビア語はわかるかと尋ねられるもわかるはずもなく、英語で頼むとお願いすると、旅の意図、どのような経路をたどって今ここに到達したのか、何時にどこの空港から何という飛行機に乗ったのか。荷物には何が入っているのかなどの問診があった。何時発のなんという会社の旅客機番号は何番だ。なんて普通の旅行客は覚えているはずなどない。これを流暢にこたえられる奴のほうが怪しいだろう。と思いつつも回答をする。
ふーん、というリアクションのあと、「君のルックスはまずもって不謹慎だ」と、アラブ圏の戒律の話を例に出し、昏々とお説教をされた。自身がかつて中高一貫の仏教校に通って居た際、毎月の身装検査なるもので教師陣に詰めに詰められていた日々が彷彿とさせられた。宗教の前には西洋的多様性など一切関係ないのだ。
そして尋問が終わり、やっと解放されると思いきや、改めてまた違う部屋に連れて行かれ、先ほど受けたお説教の内容をまた別のスタッフに説明出来なければ入国拒否、というあわやの自体に遭遇した。
やりとりの最後に、ところでなぜオーストラリアを経由してドバイに到達したのかと聞かれた。僕はフィリピンを経由して今ここに到着した旨を何度も伝えていたのにだ。流石にしつこいし、こちらも苛立って来ていたのもあり、「は?フィリピンだけど」と語調を強めると分かったからさっさとあの扉から出ていけと背後の従業員通路のような場所を指された。そこを歩いていくとハンコを持ったおじさんが一人だけ簡易デスクの前に座っていた。
僕の身体は不謹慎なので40℃もある気候だけど見ての通り、ウィンドブレーカーを羽織りいま隠せるだけ隠しています。と伝えると、静かにうなずいて入国用のハンコを押してくれた。
こうして無事?入国出来たのはいいが、ドバイ空港利用者全員にアラブ国が配布しているSIMカードを僕は貰う事が出来なかった。
そして後になってだが最後のオーストラリア経由云々の質問は恐らくは入国審査員の話をきちんと聞いているか、英語でのやりとりが成立しているかを確かめる為のフェイクの問いだったんだろうなと気付いた。こざかしい。
しかし、僕としてはある程度こんな事になってしまうのは慣れっこというか想定内で、何が一番鬱陶しいかと言えば綺麗にパッキングした荷物を開かれ、しっちゃかめっちゃかにされる事が毎度何より鬱陶しい。しかしそうも言ってられないのでやれやれまたか面倒くさいな。。というだけの話なのだが、ヨーロッパ旅の際は東京を拠点にする後輩分のタトゥーアーティストのタイくんも同行していた。
彼は人生初の海外旅だった。出発前にも「俺と一緒に居ると何らかに巻き込まれる可能性が非常に高いから気をつけて。何かあったら即、見捨てて自分だけで動いて。」と散々に釘をさしていたのだが、いざ僕がドバイで隔離された際の彼の顔と言ったらなかった。
さて、今回はインド旅、ムンバイの空港では運良く何のトラブルもなかった。
プリントアウトしておいたアライバルビザを見せ、軽い質疑応答のみ。
自分はブディストでありアーティストであると伝えると直球の質問が1つ。「君はヤクザか?」
全身の刺青はコンテンポラリーアートの証だと伝えると軽い笑みのあと、"初インド、楽しんで"と声を掛けられ無事に入国となった。
さて、そもそも何故インドに到着したのかというと、きっかけは昨年11月に高尾で出張施術の仕事をこなした後の大阪への帰路だった。いつも八王子から新横浜に向かい、そこから新幹線に乗り換えるのだが八王子で明らかに迷子になっている外国人カップルを発見した。ちょうど僕も先のヨーロッパツアーから帰って来て間もない頃で、せっかく英語耳になっているタイミング、出来る限り英語を使っておきたい時期だった為、どうしたの~と声を掛けると今から大阪に行きたいんだけど行き方が分からないとの事だった。
文字すら読めない異国で道に迷ったり、宿に到達できない苦しみは僕も重々理解しているし経験済みだ。つらい時にツラいと言える存在は大切だ。
つい先日も台湾から来日していたアーティストのジウがクレジットカードにセキュリティロックが掛かってしまい大阪で身動きが取れず、詰んでいる。何とかならないものか、、と連絡をして来たのだが、instagram上でしか繋がっておらず未だ会ったこともない僕にヘルプを出してくるとは相当辛いのだろうと思いとにかく現金5万円を口座から引き出し、駆けつけて来たところだ。
日本という彼らにとっての異国で大切に思われること自体がありがたい。これは縁だし、縁とは流れだ。その縁は僕も大切に、そして親切にすべきでしかない。
八王子で迷子のカップルと遭遇した際、時刻は終電一本前。僕自身も大阪に戻る最中であり、さらには話を聞くとどうも僕の自宅最寄り駅の隣駅付近に宿を抑えているらしい。八王子から大阪まで新幹線内で酒盛りをしながら移動した。その彼らがインドから来ていたのだ。
大阪まで引率した翌日も今からどこどこに行きたいけどどう行けば良い?だの、今晩暇なら一緒に飲もうよ、と再三にわたり連絡があり、結局彼らが数日間、大阪に滞在している間何度か合流して飯を食ったり、大阪市内を軽く案内する事になった。
その際、「アズは本当に良い奴。次もしインドに来ることがあったら絶対にアテンドしたい。家にも泊ってくれていいし、飯も提供する。空港にも迎えに行く。約束。これがWhatsAppの番号、登録しておいて。」などとのたまうので、元々インドは行きたかった国の1つでもあったこともあり、じゃあせっかくだし、と縁という偶然性に身を委ね、タトゥーコンベンションの時期にあわせてチケットを抑えたのだ。
が、、、居ない。
インドの空港に降り立った僕は正真正銘1人だった。
出国の前から何度もスケジュールを確認する連絡があり、僕も都度何時にどこに着いて云々と丁寧に伝えていたのだが、数日前になって「アズがインドに来るタイミングで我々はタイにいる…」と連絡があったのだ。国外に出るたびに「どいつもこいつも」と思う事が多い。しかしそれは極東の島国にいる我々の常識においてのパースペクティブであり彼らの常識ではない。だから毎度「どいつもこいつも 笑」となって終わるだけだ。
また、僕は海外に旅に出る際、いつも知人たちが驚くほどに一切と言っていいほど下調べはしないし、荷造りだって前日の晩に小一時間ほどで完成させる程度だ。知識は体験に花を添えてくれる事はあれど体験そのものに勝る事はない。特に異国の場合は分からなかったら現地で調べるなり、現地の人に聞くのが一番手っ取り早いし、生きた情報を手に入れられるからだ。また、今回財布の中には現金も5000円しか入れてきていなかった。要はその場その場で最善を選びなんとかするしかないのが僕のスタイルなのだ。
さて、一人だろうがなんだろうが、とにかく異国の空港に着いていつも一番最初にする事と言えば空港職員に喫煙所の場所を聞き一目散にそこに向かう事だ。
アライバルゾーンでは煙草は吸えないため、デパーチャーゾーンの敷地外に行くように伝えられる。
なるほど、とキャリーを引きずり敷地外に出向くとそこは喫煙所でもなく小さな柵があるだけであった。柵があることで空港敷地外とされているだけのちょっとした空きスペースだった。
僕のプランとしてはインド初夜は夜間到着だった事もあり、とりあえず空港内で一晩寝て、朝起きてから翌日からの宿泊場所をのんびり探そうってなものだった。
到着後の喫煙を終え、空港内に入ろうと思うとセキュリティーにはじかれてしまった。海外空港でよくある出入り口を分けているパターンかと思い、どこから入れば良いのか尋ねると、インドからの出国旅券を見せてくれと言われる。はて?と思いつつ出国チケットを見せるとダメだとまたはじき返されてしまった。
そういえば空港の入り口にやたらと大量に人がたむろし、倒れていた理由がこの瞬間にピーンと来た。
インドの空港はひとたび外に出てしまうと次は出国3時間前にならないと内部に立ち入る事すら出来ない規定らしい。なるほど。
そういえばさっき煙草を吸っていた敷地外の植え込みあたりに眠れそうな段差があった。こうして初夜は野宿となることが確定した。
僕は海外でもキャリーを預ける事もしなければ、基本的に鍵をかける事もない。所詮鍵なんて掛けたところで何かを盗むようなやつはキャリーごととりあえず運んでしまうだろうと思ってるからだ。
それでも念の為にキャリーに足を乗せ、ボディバックを枕代わりにして翌朝を迎えることにした。場所がどう変わろうが快眠出来る性質なので寒さ、大量のクラクションの音、尋常じゃないスパイスの匂いで一度目が覚めはしたが朝まで快眠だった。
朝を迎え、空港敷地内で唯一酒を提供しているカフェに向かいビールを1本飲んだ。1350円。早くここを離れなければ破産してしまうと思った。
カフェでBooking.comを駆使しホステルを押さえ、ようやくインド旅が始まったような気がした。
宿は空港からバスで30分程度のところらしい。リキシャーという3輪バイクに乗ればDoor to doorでサクッと移動出来るらしいが、安いとはいえ1回400円程度。それがバスだと17円だ。バスしかない。しかしバス停を探すも立体駐車場が入り組んだ作りになっている空港でバス停を探すのは困難を極めた。まず誰に聞いても全員が自信たっぷりにめいめい別の場所を教えてくれるのだ。また、インド英語に自分の耳が全く適応できずかなり混乱した。
このバスに乗りたいんだけどバス停はどこ?
フィーファル!
…???
フィーーー! ファイル!
…???
分からない。。自分の英語力が低いのでどうしても聞き取れず申し訳ない。と伝え、紙とペンを差し出し、ここに書いてくれと頼むと
”P5”と書き殴って返してくれた。
インド英語はとにかく巻き舌だと聞いてはいたけどこれは今回大変そうだぞ。と身体で理解した。
野宿をした結果、早速ノミだかダニだか蚊に手指、くるぶし、鼻をやられ謎の斑点が出来ている。
やっとのことでバス停に到達したが、けたたましいどころではない、信号も無くとにかく道行く車、リキシャー、バイクが常にクラクションを鳴らし続けている。ムンバイは空港を中心として東西、南北方向に2本の大きな車線が貫いている。東京でいうと六本木ヒルズ前の交差点くらいの大きさだろうか。そこを上り下り合わせて50車線くらい、とにかくしっちゃかめっちゃかに縦横無尽に皆が目的の方角に向かって走りまくっているのだ。その隙間をモーゼの如くタイミングを測り歩行者は渡りたい方向に渡り歩いている。轢かれたくないなという感想しかなかった。
現在インドは爆発的に人口も増え続け、それと同時にすさまじい勢いで都市開発が行われている。スラムドッグミリオネアの題材にもなったダラヴィスラムが有名だ。超高層タワー群の真下にスラム街がどかーんと拡がっている状態が当たり前だ。
僕が泊まったエリアはそのダラビの北部、アンデーリの東部だった。
バスを降り、ゴミなのか何なのかわからないヘドロを避け10分ほど歩くとようやく宿の場所に到達した。
が、つい先ほどアプリ上で予約した宿がない。住所では間違いなくここだというのに。
近くのホステルに入り、アプリを見せ目的としている宿はどこかと尋ねると恐らくはこの角のはずだがそんな名前のホステルは見た事がないと言われる。
とりあえず住所の場所に案内してくれと頼むと全く違う名前が記されたホステルに連れて行かれた。
Sleep well Hostelだかなんだかいう宿を抑えたはずが、看板にはSUPER DOMITORYと書かれていた。しかしどうもここが僕が抑えたホステルらしい。アプリ上に掲載されている写真と階段の形が唯一一致していたので判別がついた。
フロントで名前を伝え2Fの寝室に案内され3段ベッドの中段カーテンを開けるとペットボトル、髪の毛の残骸が散らばっていた
すぐさまスタッフを呼び、片付けてないだろうと確認するもそんなことはないはずだと突っぱねられる。とにかくこの毛束はなんとかしてもらいたいと指差すと、ああ忘れてたと一言。
向かいのベットの最下段のシーツを引っぺがし僕のベッドのものと交換してくれた。
が、素足でベッドの上にあがり作業するものだから交換したシーツも枕カバーも砂だらけ、すね毛だらけになってしまった。もういい。
ダニ避けスプレーを撒き、ベッドの上に荷物を放り投げる。とにかく今日から数日の寝床は確保した。高さ60cmほど、足を延ばして座るのには高さが足りないが立派な寝城だ。
辺りを散策する事にした。
どうも宿泊している場所はダラヴィほどの規模ではないがスラム寄りの地区らしい。
宿の最寄りのバス停から宿への道中はリペアの工場しかなかった。生産業ではなく修復の工場しかない。
ただ、治安が悪いかと言えばそうではなさそうで、とにかくお金が回っていないがゆえにどんよりしているエリアなのだろう。
通りに出ると日本だと今轢かれたよね?という程度の衝突があった。轢いた側であるリキシャーが轢かれた側にぼそぼそと文句を言っている。轢かれた側もごめんごめんと立ち去っていくのを見た。
その横を全身が痒そうな犬たちが痒い痒いと走り回っている。
足元に寄ってくる犬に思いっきりローキックをかましているおじさんが居た。悲しい目をした犬たちが僕のもとへ駆け寄ってくる。虐げることはしなさそうな存在はわかるのだろうか。本当は触ってやりたかったが狂犬病をはじめ、一切なにのワクチンも打っていないし、なんなら野犬たちと同じく既に僕も至るところが痒かった。
辺りを散策すると鶏、羊を解体している店が何軒か並んでいた。
インドでは肉屋の店先に鶏がびっちり籠に詰められ並べられている。ムスリム圏であるため何の肉を潰しているのかが分かる必要がある。また、冷蔵庫を置かないことで電気代を節約できるメリットがあるのだろう。
翌日からのタトゥーコンベンションを前にすることもなく辺りを兎に角散策するも
歩けど歩けど整備工場とスラム観光に来た旅行客向けの貴金属屋しかない。あとは安ホステルが並ぶだけだった。
その最中、僕に向けられているのはこの異常者は何者だという懐疑の視線だ。
時間を潰す為、圧倒的な刺す様な視線を一時回避する為に酒でも飲もうかと思うも売っている場所も飲める場所もなく困惑してしまった。
今回僕をインドに引き寄せたカップルから、宿のあるエリアの屋台の飯はよっぽど腹に自信があるなら挑戦すれば良いがインドに住む我々でも腹を壊すから避けた方が良い。特にオイル系がヤバい。
と送られてきたため、飯を食う場所に困る。
ようやっと小マシなレストランを見つけインドについて2日目にしてやっとまともな食事にありついた。メニュー表に記載されたすべての商品に緑の丸印か赤の丸印が付けられていた。
このエリアでメジャーな食い物はどれかを訪ねるとパンかライスのどちらが良いのか尋ねられ、とにかく腹が減っていたためにライスを頼むとメニューを指さされた。それが何と読むのか何なのかは分からないがそれにした。結果はブロッコリーとヤギ乳のビリヤニだった。美味かったが欲を言えば肉が食いたかった。というか、なんならブロッコリーのカレーは機内食でも食べていて、こんなものがあるのかと少し感動したあとだった。まあそれだけメジャーな食い物だったということだろう。次はパン(Pav Bhaji)なるものを食べようと思う。
散策の道中、ついに小路地にリカーを見つけビール600mlを200ルピー(340円ほど)で手に入れることが出来たのでここで飲んで良いかと確認するとやめてくれとキツく言われてしまった。
だんだんとぬるくなっていく瓶を片手に1時間ほど歩き宿の近くに戻る。
オープナーなんてたいそうなものは持ち合わせていないが、手ごろな壁に叩きつけるだけで簡単に開栓出来る。ベルリン仕込みのテクニックだ。
砂埃にまみれ、腐敗臭、腐乱臭のなかで喉の渇きを癒すビールは最高だった。
シャワーを浴びようと電話ボックスくらいの個室に入ると、シャワーはトイレの陶器の真上に設置してあった。
ああ、こういうタイプか。水を浴びる際は陶器を覗きこむような形になり、跳ね返る水滴に一瞬嫌悪感を覚えたがそうも言ってられない。この旅では膝から下は我がものではないとしよう。
かろうじて一線の水が出るだけのシャワーで顔の砂を落とし、ベッドに向かう。
そういや取り替えてもらったシーツにも大量の毛がついていたんだった。
キャリーからゴミ袋を取り出し枕、シーツの上に敷き横になる。
僕は日本に居る時は冬だろうが関係なく素足にサンダルなのだが、そういえば知り合いのヒッピーたちが如何なる環境でも靴下だけは履いている感覚が突然腑に落ちた。
設置面さえカバーしておけば聖域なのだ。皮膚と同じ仕組みなのだろう。
逆に、カバーをすることで皮膚に干渉しない限りはどうでもいいのだろう。せっかくだから1足だけ持参していた靴下も履いて眠ることにした。
日本を出て既に40時間近く、時刻は21時とまだ早いがすることもないので就寝。
朝7時頃に目が覚めると昨日までの孤独などどうでも良くなっていた。
インドのこの環境に適合するかそれともインドに僕を僕として加算していくべきなのかどうすれば馴染んでいけるのか全く分からず迷った。
とにかく僕に対して愛想が良いのは野良犬と乞食だけだった。と感じていた。
しかし、一晩寝て完全に適応した。
両車線50車線程度ならもうどんな道でも渡れる。
なにを気負い、気取っていたのだろう。
よく言われている、インドに行ったら人生観が変わるなんてセリフがあるけども、インドに来て代わるような高尚な価値観など僕はそもそも持ち合わせていなかった。また、受け入れて貰うだのどうだの前に、以前より繰り広げられている状況を自分が全てを受け入れれば良いのだ。もし受け入れられたいならその後の話だ。
シャワーの水でさえ腹を壊すと言われていた手前、ペットボトルの水を使って歯を磨き、ホステル前の道に向かって泡を吐き出しながらそんなことを考えていた。
インドの朝は遅い。
厳密に言うと朝自体は早く皆早起きをしているのだが道端で集まって男女問わずだらだらと井戸端会議をして噛みタバコの赤い汁をそこら中に吐き出しまくっているだけで仕事らしい仕事が始まるのはおよそ昼頃のようだった。
必然的にまたも食に困る。
しかし今日はコンベンション初日ということで予定もある。
とにかく会場方面に向け移動をし、オープン時間前には会場についていた。
常に備えておけ、いざと言う時に"なにか"足りないなんて有り得ないから。
NYに行っていたときもそうだった。
「常にファイティングポーズをとっていないといけない。常にジョインして行かなければならない。」
某トップアーティストのアシスタントとして海外を飛び回っていた日本人アシスタントにも10年ほど前に言われたのを覚えている。
諸先輩方は事あるごとに啓示をして来ていた。
今回僕はインドのコンベンションへは勉強がてら観客として出向いたのだ。要は遊ぶためにわざわざインドまで出向いたのだが、一応カバンに全ての機材を詰め、会場に向かった。
到着して辺りをぼんやり見回していると、Taku-san(大島托)を知っているか?と方々から声を掛けられ始めた。シャツを脱ぎ、おもむろに背中を見せると、
「ああ!やっぱり!君のことは知っていた。Instagramで何度も見ていた」
タトゥーの魔力だ。自分自身10数年タトゥーを追い続けて来たから理解出来る。名前や顔など知らずともタトゥーの柄は一度見たら記憶に焼きつく。結果、強烈に個人を特定する。
会場には昨年オランダに出張した際にコンタクトを取っていたトライバルワーク専門の彫師Daviも居た。フィジカルミーツははじめましてだねと挨拶をし、初めて国際的なコンベンションを見にきた旨を伝えると任せとけと一言。ほどなくしてDaviからアンドレを紹介すると案内を受け、会場内を忙しなく動く恰幅の良い男性のもとへ出向くと、ああ君か!君もアーティストならこのイベントに参加しないか、日本からわざわざ来たのならいつでも共にトライブしよう。機材はある?
Daviから紹介を受けたAndreという名の彼こそがこのコンベンションの主催者であった。
待ってました。
もちろんのこと全てのアイテムを背負っている旨を伝えると握手を求められ突如、コンベンションにてブースを出すこととなった。
しかし、もちろんブースを出すだけでは何にもならず、ここからは顧客の獲得のためのセールスを3日に渡って行い、あわよくばその場で彫ってしまいパフォーマンスしなければならない。
ただ行った、とか、居た、なんてのは時間と金さえあれば誰にだって出来てしまう。
もちろん上記スタンスは僕だけではなく、他のアーティストだってそうだ。
コンベンション内にて行われるコンペティションで優勝をする為に自身にとって看板になるクライアントを連れて来ているアーティストも居れば、時間いっぱい彫りに彫ってキャッシュを稼ぐアーティストもいれば、他の彫師との交流をメインに時間を割くアーティストも多い。
僕も身体改造アーティストのSHIVAと遭遇し、本来は今年の6月に東京で行われるはずであった顔面のスカリフィケーションをなぜか前倒し、此度のインドで行うことが決められた。全ては流れなのだ。
そうこうしているうちにコンベンションの初日は終了した。
イベント後、関係者たちと軽い打ち上げがてらウィスキーを回し飲み、共にタバコを吸い、1人ホステルへの帰路についた。
空腹ではあるが昨晩と同じく宿の周辺には夜間開いているような飲食店などなかった。
小さな喜びや期待は大きな失望の種に成り得ることは重々承知しているが悪くないスタートだった。
初日の感想としてはインターネットはワールドワイドであり瞬時というが、肉体の方が瞬間で刹那だなと思った。
インターネット上においてデジタルタトゥーだなんて言われることが多いけどそれだってわざわざ検索しないと出てこない。検索する為には結局覚えてるかどうかが問われる。
しかしタトゥーはといえば覚えていようが無かろうがあるものはあるのだ。永遠をいまこの瞬間に封じ込めているのがタトゥーなのだろうか。
イベント2日目。昨日から目星をつけていた駅前のショップで朝食を済ます。
念願のPav Bhaji。出て来たものを見る限り、ロールパンとカレーの付け合わせのようだった。
頬張りながらこれ美味いけど有名なの?と比較的愛想の良い店員に聞くと、インドはかつてイギリス、ポルトガルの統治下にあったこともありパンカルチャーがメジャーなようでワーカーが腹ごしらえに食べるムンバイのベストローカルフードだと教えられた。滞在4日目にしてようやく2食目のまともな飯だ。
スパイスが身体に染み渡る。ついでに緑と赤の区分けは何を意味するのかも尋ねると緑丸はVEG(ベジタリアン)、赤丸はNONVEG(肉あり)だという事もわかった。
食事を済ませ2日目も昼前から会場に入った。Daviが寄って来て肩を抱きこう言ってきた。
"Azu、Don't be shy."
受験英語の弊害を抱きしめていると先ほど書いたが、なまじ先方の言っている事が中途半端に分かる手前、先方は僕のことを話せるのに話さない奴としていつも異常なまでのシャイだと判断する。しかも日本人だもんね。が前提として追加される。
ちなみに海外に居る時に唯一本当に勘弁してくれと思うのは、彼らは聞き取れなかったとき
「は?」と真顔で言ってくる事だ。
え?なんて?もう一回言って?くらいのニュアンスなんだろうけど
「は?」と言われるたびに一瞬我に返ってしまい、あ。あ。あ...イキってぶっ壊れ英語喋ってた!ごめんごめん!となってしまい、即「Can I use google,right?」を放ってしまう。まあ本当に単純に聞き取れなかっただけなのだろうに。
もっとも僕は日本国内にいる時だってべらべら喋りたくるようなタイプではなく口数も少なければ、声量も小さい。威勢が良いのはテキスト上だけだ。
シャイなわけではないんだけどな〜と思いながらも、はりきっていくぜー!と昨晩、ベッドの中で考えていたプランをブースで実行に移すことにした。
ただ、いつも困るのが絵だってそうだし、タトゥーだってそうなんだけども
この絵は、このスタイルは何にインスピレーションを受けたのか、何をどう思って作っているのか。コンセプトは何なのか。やれ美術で言うとステートメントを長文でずらっと書き綴らなければならなかったり。
とにかく問われ続ける。はっきり言ってインスピレーションで言えばさっき食ったPav Bhajiからも得てると思うし、今、目の前に居るお前からも得ているし、いつぞやにネット上で見たどこの誰が描いたかすらわからないイラストから得てる事もあろうし、極狭の我がアトリエで考えた一瞬や、そうした細々とした全てからインスピレーションを受けている。また、なんなら口頭で説明出来ないから意味不明に絵具を塗り重ねて絵なんて描いているんだろうし、タトゥーをしっちゃかめっちゃかに色々入れているんだと思う。こうなりたい、こうしたものをこう作りたい。そんなビジョンなんてない。とにかくバクバクと飲み込み続けたものをえいやっと出力したらこうなっているだけなのだ。
文字で、言葉で説明が出来るならそれで良いだろう。意味というものに何故か人は囚われがちだなと切に思う。っていうかもし意味を求めるのであればその意味付けは制作者ではなく、享受する受け手が、もしくは批評やなんか、第三者が勝手にやってくれと思う。
ピースワークにおいて何より重要なのは目の前のピースと享受する自分とのフィーリングが一体どうなのか。だけでは何がいけないのか。
なんて思いながらも、そんな事を捲し立てたらいよいよジャパニーズの職人はこれだから…ややこしい…としかならないし言わない。
これは寺社仏閣からインスピレーションを受けていて、生命のループの事を考えていて、このラダーの本数は3本、5本と来てまた3本、そしてそこからのループだ。言いたいことはわかるか?これはテクノだ。そこに風が吹いているイメージは出来るか?
なんてことをぶっ壊れているのもいい加減にすべきなほどのブロークンな英語で返答する。ただしテキトー言ってるわけではない。頭で考えるより前に口からベラベラと出て来るって事はそれもまた嘘偽りのないボディで考えた自分の意思だ。と同時に、こんな事をやり続けている延長線上が、ジャパニーズが海外で仕事をする際、サムライだのニンジャだといった既に海外から認められているどころかある種求められているひとつのキャラクタを隠れ蓑にする手法なのでは…。はっきり言ってこれはある種の逃げではないか。だなんてことも思った。しかし悠長にそんな事も言ってられず兎に角ぶっ壊れた英語を話し続け、描きためた下絵集を見せ、リアルタイムで下絵を描き続けた。
結果初日に比にならない問い合わせがあり、無事何名ものクライアントを得ることが出来、自分のスタイルのタトゥーを彫ることも出来た。彫られている最中は固かった顔のクライアントの表情が完成とともに綻ぶ。
Nice.
受け入れられ、溶け込めた気がした。
先ほど、英語での ”は?” が辛いと書いたが英語で好きな表現がある。それは作業が完了した瞬間の
"Done!"だ
よし、完成!でも、はい!出来た!でもない
ダン!には力がある。はい!ダーーン‼︎(どかーん)みたいな勢いを感じる。
例えばお笑いにおいては関西弁優位と言われるように
なんでやねん!で全てが一言で表される感覚だ。
東京弁のおかしいんじゃないのー?だって〜
ではなく、なんでやねん!は端的に全てを包括している。
それと同じく、Done!は全てを一言で言い表している。Done!と言う度に、地と言語は繋がっているなと毎回改めて新鮮に思う。
夕刻、SHIVAと彼のパートナーで今回アシスタントを務めるChaktiと共にゴアを拠点とするアーティストYOGIがムンバイに持っているLeoスタジオへと向かう。顔をカットしてもらうために。
SHIVAは我が人生でこれまで遭遇した事がないほど兎に角よく喋る男だ。アズーというのはポルトガル語で”BLUE”を意味すること、自分がかつてバイクで事故した時の話、キャリアをスタートしたきっかけ、今日の朝飯、タクシーから見えた光景、すべてを伝えようとしてくれる。そして顔面の全てが細かいタトゥーでびっしり覆われている。これは量的調査では足りないと思うが質的調査において間違いないと思っているのだが、フルデザインではなく細々としたデザインを顔にいっぱいに入れている人はビジュアルだけでなく発してくる情報量がとにかく多い傾向にある。
しかしSHIVAからは表情が読み取れない。小股の速足で歩きまわり喋りたくる彼の印象は、ぎょろっとした目だけが空中に浮かび、ひたすら言葉を発しているように感じた。
隣にいたChaktiがSHIVAの怒涛のトークの一瞬の合間をつき、耳打ちしてくれた。
”He is powerful XD”
アズも少しリラックスした方が良い、1粒あげようか?と鞄の中からニコちゃんマークのシールが貼ってあるフリスクのケースを取り出した。フリスクと言えばあの白い粒が出てくると思いきや、出て来たのは大小様々あるカラフルな錠剤たちと白い粒が3つだった。
これはなに笑 と問うと、
”OCD XD” と。これは薬で、こっちがフリスク。アシッドでもMDMAでもないから安心してと白い粒を1粒渡してくれた。確かにメントールの味がしたから間違いなくフリスクだったのだろう。
そのやりとりをタクシーの助手席から振り返りながら見ていたSHIVAは
”色々気にし過ぎだ、ところでアズはトイレには行きたくないのか?”とガハハガハハと相変わらず大声で喋っていた。
さて、YOGIのスタジオはドアボーイ、コンシェルジュが居て未だに僕も泊る機会に恵まれないようないわゆる高級そうなホテルのワンフロアにあった。YOGIはインドの美大出身だったと言っていたよな…。ほんの少しカーストのことが頭によぎった。
真っ暗にした室内で水晶を握らされ、ここに願いを託せとSHIVAに指示される。そしてパロサントの煙を僕に浴びせ、胸や額に手のひらを置き爆音でマントラが詠唱されるところから施術前のリチュアルは始まった。Instagramでは見た事あるけど実際にするんだなあ…と思いながら、確かにこの環境でSHIVAの低音の唸り声と爆音のマントラを聞いているとこれ自体が掛け替えのない、というか代替の利かないエクスペリエンスとして間違いなく脳に記憶されるなと感じた。およそ20分ほど唱えていたと思ったら突如マントラの再生が止まった。
Fーーーーーーーーーーー※CK!!!!!!!!!!!
刹那、耳元でSHIVAのFワード大絶叫。
本当に殺されるかと思った。なにせ相手はメスを握りしめているわけで僕はベッドの上で水晶だけ握りしめてじっとしている状態なのだ。
Chaktiが急ぎ室内の電気を全てONにする。
ケタン!!!!!!!!!!
ケタンはYOGIのいとこでスタジオの管理をしている男らしい。すぐさまケタンにFacetimeで電話をかけ、ネットの利用料はきちんと支払い済みになっているのかを確認し始めた。
なぜだか分からないが彼らはすぐさまFacetimeでビデオ通話を開始するし、その際iPhoneは地面に対して垂直ではなく常に並行に持つのだ。
最初は痛いがすぐ慣れる。気にするな、ready.とだけ声掛けがあり、気を取り直しての施術はあっという間に終わり、革になりつつある先ほどまで我が顔であった皮を手のひらに乗せ、滴る血を吸収するために顔にはガーゼが押し当てられている。いったい何が起こったのかを脳内で整理するに努めるしかなかった。
痛みに耐えてよく頑張った。とは時の首相のセリフだが
そもそも痛みは耐えるものなのか?とふと思った。
確かに痛みもまたひとつの境界だろう。
ただし、それが境界なのであればその前で一旦停止しても良いだろうし、ひらりと乗り越えてみても良いのだろう。
そしてまた、なにを持ってして境界と捉えるのかさえ本来は自由なのだ、と剥がされた顔の皮を持ちながら思った。
なにか揉めている声が聞こえ我に返った。SHIVAの指示で生理用ナプキンを購入し持参していたのだが、その袋を彼はうまくあける事が出来なかった。すかさずChaktiがわたしに任せてと名乗りをあげる。
わたしは女だから私のほうがそれは慣れているから。との事だ。
会話にせよ逐一意味を説明しながら展開していくんだなあと思う。
確かになあ!がははと笑いながら患部にナプキンを貼る係をChaktiに譲り、されるがまま僕は頬にナプキンを貼られその上からバンテージで彼女にぐるぐる巻きにされた。
Chaktiにぐるぐる巻きにされている最中、SHIVAはというと、自分の鞄をひっくり返し、
よくやった。これはネパールの土産、これは最高のパロサントだ。日本に持って帰れ。とタルチョという5色刷りの旗とパロサントを僕に放り投げてきた。
ありがとう。とにかくこのルックスじゃ明日以降、街に出るのも大変だよね。ヒジャブを買わないとダメかも笑
と軽口を叩くと
我々の様な見た目ではこのくらいはもう何をしても誤差だ。誰も気にしない。安心しろ
とすかさずSHIVAに言われてしまった。
誤差だろうとそこには細かなグラデーションが確かにあると思うんだけどなあ・・・。
ちなみに顔面のカットのデザインは完全にSHIVAに一任した。
やる、ということだけ決めてしまえば後は流れに完全に身を委ねてしまうのが僕のいつものパターンだ。
ところで深夜2時ころホステルに戻り、指示通り、バンデージとナプキンを取り換えようとして驚いた。ナプキンの吸収面ではなく、下着側の面。テロテロのフィルム側が顔面に張り付けられていたのだ。
いやいや、私は女だから私に任せてと言っていたあのくだりは一体なにだったんだ…。
コンベンション3日目の最終日、昨日と同じショップに行き朝飯を取る。飲み物はサムズアップというインドコーラだ。インドフードはスパイスとニンニクが大量に使われているため、サムズアップの炭酸も強めでカフェインも強めに入っているらしい。消化の促進と清涼に良いそうだ。
相変わらず両頬にナプキンを貼り付けたままの顔を一応隠す為、頭から布を被りブースで作業を続けイニシャルD好きだというクライアントの腕一本をなんとか彫り終えた。
イベント後の軽い打ち上げの前にもまたDaviに言われる
”don't be shy! Enjoy!”
ボーイというアーティストに何やらわからない木片を貰った。
これは噛んで飲みこむんじゃなくて歯茎でしがむんだ、ハシシじゃないから安心して試してみな!笑
と言われ何か分からないまま食べてみると信じられないほど舌が痺れ、ウゲーと言っていると妙にウケた。
インド在住のアーティスト、マングラバイが好んでいる彼女にとってのフリスク的なアイテムだったらしい。
アズー!酒を飲もう!テキーラとウィスキーどちらがいい?
酒となったら完全にこちらに利がある。テキーラでもなんでも飲ませてくれと言うとテキーラを施される。しかしもうみんな大人だ。1、2杯飲んだあたりでバスの時間がと言い解散になってしまった。スマートだなあ。
ここならまだ酒が飲めるはず、と勘で飛び込んだ店には酔っぱらいが3人。キングフィッシャー(ビール)のノーマルとストロングのどちらが良いか尋ねられたのでもちろんのことストロングを注文する。僕の飲酒レーダーは異国でも通じる。そういえば野外飲酒厳禁のアムスでこっそり軒下で飲んでいた時も缶ビールを隠し持った人が次から次へとその軒下に集合してきたことがあった。
さて、翌日は1日オフ。その後タイに向かわねばならない。ゲストワークで働く予定がある。
しかしオフと言っても特にすることもなければ手には悪路にはあまりに不向きなキャリーもある。
どうにも困りリカーで酒を買い、路地裏でこっそり飲み時間を潰していると会場で知り合いとなったクライアントからお礼がわりに観光案内をしたいから遊びに来ないかとメッセージがあった。
そもそも今回僕をインドに呼んだカップルとは結局インドでは遭遇出来ていないままだ。何故だかタイで会う話になっている。
まあ今回も出向いて居なければその時だろうとも思い、せっかくだし彼の会社があるという指定された場所に出向くと、遂に居た。
このインド旅、初の時間通り、言っていた場所に言っていたものがあり、居たパターンだ。
彼の会社は、聞けばインド全土内でのスタートアップ2024年(2023年度)ベスト100に表彰されているイケイケの会社らしい。ここもまたホテルのワンフロアを貸し切って事務所にしていた。
ボリウッド女優の撮影を頻繁に行うから室内のクロスは2週間に1度全て張り替えて内装もレイアウトも変えているらしい。
ここから先のブースに自分のデスクがあるし社長も居るから紹介するね、と応接室からワーキングスペースに案内されるとウルフオブウォールストリートさながらの光景が広がっていた。
爆音のサイケが巨大かつ虹色に光るBOSEのスピーカーから流れ、従業員のルックスもイケていた。ドラァグメイク、ヒッピーファッション、パリッとしたボタンシャツに身を包んだ几帳面そうな人。色んな人がいた。極め付けはその彼らの前にバズーカのようなボングがずらっと並べられており対面で構えられているデスクのセンターには大量どころではない大麻。おお…
これはケータリングのフード、全て好きなものを好きなだけ食べてくれ。まずチャイを飲め。ムンバイバーガーは食べたか?誰かアズに飯を食わせてやってくれ!と、手にハンドボール程度の大きさのクラッシャーを持ちコネコネコネコネしながら、豪快に笑う目の真っ赤っかな社長が挨拶に来てくれた。
日本には仕事で何度も行った事がある。清潔なのが最高だ。だからこの会社のトイレはTOTOだ!見てくれ!日本みたいだろ!!
この会社は床にだって寝ころべる!インドの街は日本に比べて汚かっただろ!?
それなのにJPY IS CHEAP!ありえない!日本は最高だ!アズ!わかるだろ!ただ日本は唯一よくないところがある。大麻が吸えない!!!がははは!
サーーキーはわかるか!?大麻は吸えないがサーーキーは最高だ!!!ほら!
とクラッシャーをひたすらコネコネコネコネしながら画像を見せてくれたのだがコップに入っている透明な何かだった。サーキーとはおそらく日本酒のことだろうと分かった。
あまりのフルパワーに感嘆していると近くに海があるから見に行こうとクライアントに連れだしてもらった。
その道中、アズは今朝までどこに泊っていたのかと尋ねられ、ありのままを答えると
何で早く言ってくれなかったんだ。まじか!?金が無いのか!?どういう意図があって!?と散々心配をされてしまった。
そして、アズの泊まってたエリアとはかなり違うと思う。楽しんでほしいとリキシャーで街中を案内してもらった。
たしかになによりまず野良犬がほぼ居ないどころか飼い犬の散歩をしている人までいた。街の匂いも全く違う。饐えた匂いではなく麝香や化粧品、飲食店からの匂いが街を包んでいた。
たしかに違うねと伝えると"just normal city life”と回答があった。
露店で売っているものも違った。無造作に積み上げられたバナナではなくパイナップルやマンゴー、桃らしきものなんかが箱詰めまでされて売られていた。路上にへたり込んだ物乞いも居なかった。そのかわり、子ども達がリキシャーの合間をすり抜け観光客にボールペンを売っていた。
その顔どうなってるの?痛くないの?と聞かれた。
あの子たちは1日に何万人、何十万人にもボールペンを売るために話し掛けてるってのにアズに対しては物を売ることを忘れてタトゥーの話ししか聞かなかったね〜アズは本当にすごいね笑
とクライアントが笑っていた。
昼間、饅頭のようなものが道端で配られており不思議がっていたのだが、奇しくもこの日はインド共和国記念日だったようだ。夜の街には花火が上がり祝祭のムードだった。祭りの会場に出向くと酔っぱらいが僕にめがけて一目散に駆け寄って来て一緒に踊ろうと口説いてきた。
やはり類は友を呼ぶのだろうか。
散々街中を観光案内してもらったのち、今夜は会社の応接室に泊っていってくれて良いと言われ、電気の落とし方、施錠方法、何か欲しいもの食べたいものがあるならここの部屋に何があってこうなっていて。と改めて丁寧にご歓待を受け、彼らは自宅に帰って行った。
お言葉に甘えて一晩眠り、タイに向け飛び立つ為に明朝会社から空港へと向かった。
初夜を過ごしたので空港の勝手はわかっている。
ルピーをバーツに変え、ぼんやりと煙草を吸う。
世界をうろうろしている上で最近本当に頻繁に耳にするようになったセリフがある。
今回も聞いた。
「JPY IS CHEAP」
確かにそうおもう。
ただ、自国通貨を安いと言われて嬉しいと思うことは無いので毎度複雑な気持ちになるが正しい感想だとは思う。
24時間どこだって店は開いていて、明るくて、それなりに愛想も良くて衛生も担保されている。腹いっぱい飯を食ってさらには酒を飲んでも12ユーロもあれば大満足出来る、しかもどこで何を食べても大外れなんてまあまずもってない。欠点と言えばジャパニグリッシュが非常に聞き取りづらく、そもそもそれですら話せる人が少ない、しかも彼らにとっては既に当たり前となっている大麻が吸えない。
インバウンドだ、観光立国だと言っている割に色々とちぐはぐなのがいまの日本という現状だから全てが仕方ない。
たかが1週間ほどのインド滞在なのにあまりに目まぐるしく状況が変わる今回の旅、リキシャーの中でイニシャルD好きの彼に尋ねられた。
"アズはインドで車の運転は出来そう?"
道を渡るのにもコツがいるってのに運転はまだ全く出来そうにないと告げると彼は笑ってこう言った。
「広い視野で見てはダメ。とにかく自分の目の前にだけひたすらに集中するのがコツだよ。」
金言だと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?