『バーチャル・アイドル物語 蟲毒転生』1話
なにもない部屋
「……る。…ひる。起きなさい、まひる。学校に遅れるわよ!」
いつものように母が起こしてくる。なんでこの人はいつもこんなに朝からテンションが高いんだろう。いつものように寝ぼけたぼんやりとしたアタマで考えたところでふと異変に気付いた。
つるりとした固い床の感触。
ここはどこ?
慌てて起き上がると、真っ白な、文字通り真っ白ななにもない部屋が広がっていた。ただ、どこまでもただ広がる真っ白な空間。
異変はそれだけではなかった。視界に入る両手は妙にぴったりとした袖口にレースのフリフリが付いている。
こんな洋服は持っていないどころか見たこともない。
さらに、違和感を覚えたのが手だ。
自分の手じゃない。
たしかに思った通りに当たり前のように動く、私の手だ。
けれど、17年生きてきて見続けてきた自分の手を見間違えるはずがない。
これは私の手じゃない。
そして、動くたびに肩をかすめる長い髪も。
私の髪はこんなに長くもないし、しかも金髪な訳がない。
こういうときはもう一度布団に入って眠ってしまうのが一番なのだろう。
しかし布団はどこにもなく、ただ冷たくつるんとした白い床があるだけだった。
多喜川まひる
私は、白く冷たい床にあぐらをかいて考えこんでいた。
私の名前は多喜川まひる。都内の高校に通う17歳のごく普通、、かどうかは自分ではよくわからないけれど、割と一般的な女子だ。
(なぜか、いまここでこういう思考をしないといけないという強い衝動に突き動かされ、バカみたいな自己紹介を脳内に思い浮かべている。なんだこれ)
少なくとも、私は自分がこんな不可思議な状況に陥るような「特別な何か」を持っているとは思っていない。
思ってはいないのに、状況は特別さと異常さを全力で主張してくる。
たとえば、誰もいないのをいいことにお行儀悪くかいたあぐらの先には、幾らなんでもそれは短すぎるんじゃないかというスカート。
そして、その先からは自分でもうっとりするくらい細く長く、それでいて健康的な脚がスラリと伸びている。
その女性なら誰もが羨むような脚を(まあ私のなんだが)ピッタリとしたニーハイソックスが包み、その先には鮮やかな黄色いリボンの付いた厚底の靴がある。
まるでアイドルだな。
というのが私の極めて冷静な感想。
アイドルになった夢を見ている、というのが一番妥当で現実的な解釈だと思う。
けれど、このお尻から伝わってくる白い床のひんやりとした感触と、そしていつも以上にクリアすぎる意識と思考が、夢であるという一縷の望みを全力で否定してくるのだ。
これは夢とはまるで違う別の何かだと。
ガール・イン・ザ・ミラー
ここまでくると多少は腹も据わってくるし、とにかく現状を打開したかった。
この何もない白い部屋は、おそろしく人を不安にする。
もしこんなところにずっといたら、おそらく自分は、、
その先を考えることすら恐ろしくて、「よいしょっと」とわざと大きな声を出して立ち上がった。
アイドルの出していい掛け声なのかはわからないけれど、私、多喜川まひる的には全然セーフだ。
そして私はいまのところ、私であることをやめるつもりはない。
声を出したら少し元気が出てきた。
そして、いまの自分がいったいどうなっているのかを見てみたいと強く思った。
「もしも、鏡があるとしたら、どこにあるのだろう」
私は声に出して言ってみた。いや、正確には言わされたという表現が正しいかもしれない。
そもそも、こんなひどい独り言があるだろうか。棒読みの台詞みたいな言い方で。
その一方で、これを言わなければいけないという衝動に強く駆られたのだ。そう、さっきの自己紹介のときと同じ感覚。
この気持ち悪い感覚のことも早く突き止めなきゃ、、
そう思った瞬間、目の前に金髪の美少女がいた。
いや、違う。これは鏡だ。
突然、目の前に壁と巨大な鏡が現れたのだ。
生々しいくらいリアルなのに、怖いくらいに鋭利な輝きを放つ鏡面。
そこに写る、私の動作に完璧に追従する金髪の碧い目の少女。
これは私だ。
いや、しかし私じゃない。
青ざめた表情でこちらを睨むように見つめている少女に、
「そんな酷い顔をしたら、せっかくの美少女が台無しだよ」
そう声を掛けてあげたかった。
しかし、乾ききった喉から辛うじて出てきたのは
「カヒュッ」
という無様な呼吸音だけだった。
もちろん、目の前の美少女も無様な呼吸音を無音で出し、いまにも死にそうな表情をしていた。
アイナ・アイリス
わかった。認めよう。
この金髪碧眼の日本人離れした、それでいて外国人というのも少し違う、不思議な印象の美少女。それがいまの私だ。
ただ、いきなり美少女になっても嬉しいとかいう感情も特にない。
それよりも、
「コイツはいったい誰なんだ」
という思いが強い。
いや、私ではあるので、
「私はいったい誰なんだ」
という問いの方が正解なのかもしれないけれど。
そんな哲学的な思いを抱えながら鏡の前をうろうろしていると、鏡の端のさらに先に1枚の大きなポスターが貼ってあることに気付いた。
ここにきて初めて、具体的な「情報」らしきものが現れた。
好奇心と不安とで心臓が気持ち悪いくらいにバクバクいっている。
見たいけれど、見たくない。
歩く足は早まるけれど、気持ちは全力で逃げ出したくなっている。
ポスターを正面から眺める。
そこには笑顔で両手を広げポーズをとる金髪碧眼の美少女いた。
まさか、というより、やはり、という気持ちの方が強かった。
そう、これは私ではない私だ。
ポスター可愛らしい凝ったロゴで大きく、
アイナ・アイリス
と描いてあった。
それがこの少女の名前なのかもしれない。
だとしたら、それはいまの私の名前でもあるのかもしれない。
もうこれ以上何も知りたくないし、考えたくもない。
そう思っているところに次の「情報」が飛び込んでくる。
デビュー曲
『ミラージュ・ディバイド』
COMING SOON!!
2話につづく