短答ができる人とできない人?~過去問をやる・まわすってナニ?~
久々のnote更新となります!
R 5司法試験とR5予備試験・短答式試験が終わりましたので、今回は、特に短答の結果が伴わなかった方向けの記事を書いてみようと思います。
来年が初受験だという方にとっても、今後1年間の短答対策のコツ・指針にもなるかと思いますので、ぜひお読みいただければと思います。
それでは、はりきってどうぞ!
まず、今年受験して、短答の結果が伴わなかった方、短答対策をしてきた感想はいかがでしょうか?
「過去問やったのにできなかった」、「過去問何周もまわしたのにできなかった」等といった感想をお持ちの方もいらしゃるでしょう。
一方、短答の結果が伴った方の感想は、「短答対策は過去問をやればOK」、「できるようになるまで過去問を何周もすればOK」というものが多いでしょう。私自身も同意見です(むしろ、過去問の分量も非常に多くなり、やる・まわす分量に絞りを入れてもいいのかもしれないとも思っています。)。
これらの感想から、短答ができる人とできない人の違いは、「過去問をやる・まわす」という言葉の捉え方の違いなのではないかと考えられます。
そこで、具体例を使って考えてみましょう。特に短答の結果が伴わなかった方は、ひょっとすると自分がそれに当てはまってしまっているかもしれないという意識を”強く”もって、読んでいただければと思います。
民法のある年の過去問で以下のような問題があった場合、どのように勉強するでしょうか?
答えは、「誤り」となります。なぜなら、162条2項では、「10年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。」と定められているからです。実際の解説冊子にも同様の記載がされるでしょう。
ここで大事なのは、その解説、すなわち、誤りである理由の勉強の仕方です。
例えば、「なるほど、問題文の『5年間』の部分が違っているのか」という勉強の仕方は、適切ではありません。つまり、この勉強の仕方をもって、短答ができる人は、「過去問をやる」とは捉えないと考えられます。
また、2周、3周と過去問を繰り返していく際にも、同様の問題で、「そうそう、『5年間』の部分が違っていたよね、大丈夫、覚えてる」という勉強の仕方は、適切ではありません。つまり、この勉強の仕方をもって、短答ができる人は、「過去問をまわす」とは捉えないと考えられます。
なぜ、上記勉強の仕方は適切ではないのか。それは、以下のような問題があった場合に明らかになります。
答えは、上記問題の理由と全く同じ理由で、「誤り」となります。
「『5年間』の部分が違っている」という形で勉強した、「『5年間』の部分が違っていたよね、大丈夫覚えている」という形で繰り返し勉強した人は、上記問題に正確に答えることができないでしょう。なぜなら、「5年ではない」という形でしか勉強していないからです。
一方、短答ができる人の解説、すなわち、誤りである理由の勉強の仕方は、「なるほど、条文では『10年間』だから、『5年間』部分が違っている」というものでしょう。つまり、この勉強の仕方をもって、短答ができる人は、「過去問をやる」と捉えていると考えられます。
また、2周、3周と過去問を繰り返していく際にも、同様の問題で、「そうそう、条文では『10年間』だから、『5年間』の部分が違っていたよね、大丈夫、条文では『10年間』だったことを覚えてる」という勉強の仕方になってくるでしょう。つまり、この勉強の仕方をもって、短答ができる人は、「過去問をまわす」と捉えていると考えられます。
そして、このような勉強の仕方をするため、上記2つの問題を、同じ知識で正確に答えることができます。逆に、そうでない勉強をすると、上記2つの問題は、「5年間ではない」、「7年間でもない」という異なる知識をおさえていなければ正確に答えることができず、問題の数だけ知識をおさえなければならないという無理難題の勉強方法をとることになります。
つまり、
短答ができない人は、不十分な情報を、不十分なまま繰り返しているだけ
短答ができる人は、正確な情報を、正確に繰り返している
ということになります。
しかも、短答ができる人は、「なるほど、こういう『数字』が問われるのか、では他の問題・条文を見るときも、『数字』に着目してみよう」、「10年間の占有という『要件』が問われているのだから、それ以外の『要件』も着目しておこう」という勉強の仕方を自然ととることもできてしまうでしょう。
まとめると、
だといえます。
162条2項を使った上記具体例は、上記勉強方法が極端にイメージしやすいものとして挙げてみました。
あとはこれを、「いついかなるときも、徹底」できるているかどうか。
例えば、
事例型の問題で、「その事例は誤りの事例だった」となっていないか?
判例の知識を問う問題で、「目の前の問題文をそのままおさえるのではなく、また、判例の要約・まとめやポイントだけでなく、その問題文の前提となる判例の判旨(=原典)を正確におさえる」ことをしていたか?
今一度、考える機会にしてみていただければと思います。