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退職後、ギター・ピアノ始めました 最終話「Let It Be」
下駄履いた大学生の日常。
ギター買うためにバイトするのは大学生の日常。
でも、倒れてしまい発作の始まった夏。
ギターを弾くと発作を起こしやすくなるため、もう弾くのをやめ、寛解していたのだが…。
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つづき
仕事帰りの道、運転中に意識が、、と同時に中央線またいで走っていた。 「はっ!」と、すぐハンドルを戻したものの、危ないとこだった。だが、安心できない。
辺りは見慣れない景色で、道路案内標識を見ると帰る方向と違う。
「どこ?」
わけがわからなかった。
休職。
「日常」なんてあっという間になくなったが、このような危機には女脳がよほど強く早い。「日常」を守りたい女脳の妻の動きは早く、あっという間に病院を探しだした。
運転もできなくなった奴は連れて行かれる。そして、診察を受けた専門医の検査によって新たに処方された薬は、びっくりするほど高価だった。けども、発作はピタと抑えられた。
しかし、、、ひどい副作用が出てしまう。
いつもは意識せずとも動く手と足が、どう動かすかを考えないと上手く動かせなくなったのだ。足を一歩踏み出せば転けそうだし、手はうどんを箸ではさめない。薬を飲むたびに成分が蓄積され、日に日にお爺さんが蓄積しされてゆくようだ。昨日出来ていたことが出来なくなっていく。これは怖いことである。
その時の日記には、「3日で1才ほど歳を取っていくようだ」と書かれている。薬の蓄積はおよそ2ヶ月くらいだから…、80歳!
おそらく小脳かどこかの神経の働きを抑えられていたのだろうし、感情の働きもおかしい。
読まれたくない昔の記事。
そんな状況がどうにも悔しく、リハビリを誰にも見られないように朝暗いうちに家を出て、ひたすら散歩を繰り返し、あげくに何の知識もなくnoteを始めてしまう。
ただただ必死に思ったことを書いて気を紛らわせようとしていたのだろう。読まれたくない昔の日記だけども、削除したくもない。
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今後の治療方針を決めるため、ずいぶん先の検査に予約したけども、すぐに「さいとうさん、空きが出ました。」と連絡が入った。ラッキーである。
当時、息子が家を出るなどと言っていた為、「この大事な時期に今すぐ検査しなくても」という妻の考えとゴチャゴチャはあったが、大学病院で2週間検査となった、桜咲く前の頃。
そして、難しい名前の様々な検査を受けた結果、「難治性」の病と確定。葉桜の頃。
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医師から言われたのは「発作を抑えたいならば「薬をずっと続ける」か、「外科手術で脳の一部を切除」するしかない」と決断を迫られる。
前者は「再発することがあるかもしれない」けども、後者は「再発可能性はほぼ0です」。どうしますか? 。。
勧められたのはもちろん手術で、医師としての実績に残したいだろうことはわかる。
しかし、より詳しく説明を聞くと、外科手術の成功率は95%だと言う。現在は技術も向上してるので、ピンポイントで切除出来るし、後遺症はほぼないと言うのである。
いやいや、後遺症がほぼないと言われても95%だし脳にメスを入れるのだ。記憶を司る海馬に近い手術となるのだから「大丈夫」と言われても、術後に記憶障害が残るかもしれないことがあまりに恐ろしい。「成功率95%なら嫌です。年齢も年齢なので100%でなければ嫌です」と断った。医師も納得していた。
若い時なら手術を選んだだろう。
ただこの決断前、息子に聞いてもらいたかった話をした。これまでの人生の、良い話や苦労話、あるいは悪い話など全ての話をした。もし急に気分が変わり、脳手術を選んだ末に失敗し、記憶を失なればくだらん話も出来なくなってしまう、と思ったからだ。
このnoteにも恥ずかしくて到底書けないことも話してしまった。話し過ぎたかもしれない。
でも、息子は興味深く聞いてくれた。驚きながら笑いながら。覚えているんだろうか。
もう忘れていいよ。
そういえば、病院を探してくれた妻には最大の感謝するけども、検査入院に付き添ってくれた息子にも大いに感謝しないといけない。
検査病室の簡易ベッドで24時間つきっきりの看護を2週間もしてくれたのだ。簡易ベッドなのに息子の方がよく寝てた気もするが、、、ありがとう。
![](https://assets.st-note.com/img/1719265264542-HLMOJIItLu.jpg)
今、最後の発作からもう5年が経つ。
もちろん気をつけているが、もう発作は起こりそうにもない。
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かつては発作を誘発してしまうためギターを弾くことも触ることもできなかったが、今はギターを弾くことができる。
何十年もギターをケースに閉じ込めていたので、鳴らしても当然上手くは弾けない。最初なんて1音も1小節すら弾けず、1週間やり続けてもだめだった。
だいたい握力が無かったのだ。指も痛くて弦を押すことすら出来ないし、指も開かないので全く動かなかった。あげく無理して爪が何度も割れた。
あれから5年経つ。ギターを上手く弾けないのはあまり気にならない。なぜなら、ピアノを弾くことができるようになったのだ。
60過ぎてんのに一日中ピアノ練習をして気を紛らわせていた。下手だから手首を痛めても、朝から晩まで熱中していた。何時間も。
下手でも毎日弾いていると、やってるぶんだけ昨日より上達するのが分かる。昨日出来なかったことが今日出来る。これは楽しい。副作用で日々出来なくなる時と逆なのだ。楽しいと継続する。これは確かなことだった。
息子に聴かす。
楽譜読む練習はしなかったが…。
今はYouTubeがあるので見ればなんとかなる。
![](https://assets.st-note.com/img/1719265488921-ONZWjSEGpH.jpg?width=1200)
川面に反射する
気象の勉強も始めた。だいぶ理解したけども、これは難しい…。
やりたいことが次々と湧き出てくる。仕事ばかりして何もしなかったわけではないが、歳いってる(60代)わりには知らないことが多すぎたのかもしれない。
このまま何もやらず、知らないままだともったいないし、やりたいことはやる。
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病気が再発してしまったため早くに退職し、早くに年金をもらうことになってしまった。描いていた退職後の旅行なども行けなくなってしまったし、年金も予定してた額より少なくなってしまったけども、「日常」が戻ったのだ。
嬉しいことだけではない。妻にすれば「日常」が破壊され、毎日毎日旦那が居ることになったのでその頃の妻はおかしくなった。
それを中和し、癒してくれたのは「おかづ」である。
ありがとう。
色々あったけども、今は妻とおかづと穏やかに暮らしている。
おかづの初「お手!」動画
これから、妻と息子そしておかづに感謝しながら日々を過ごしたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1719501680624-0JQqrVXwKX.jpg?width=1200)
「日常」が戻って来た!
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いつも「あるがままに」受け入れ、諦め続けていた奴は諦めなくていい。
学生時代の頃と同じように、「日常」が戻っている。
「Let It Be(あるがまま)」の日常がやって来たのである。この嬉しさなんてとても言葉で言い表せない。ありがとう。
歌。
あとがき
この記事は、奴の大学生活の日常から始まり、発作によって日常が崩れる様子が描かれています。しかし、妻の支えやリハビリを通じて「日常」が取り戻されました。
この記事を通して、日常の尊さや大切さを改めて感じていただけたのではないでしょうか。また、奴のギター演奏動画や「Let It Be」のメッセージもお楽しみいただけます。
では奴のギターで「Let It Be」を…。
まだ明らかに練習中の60代。
ありがとうございました。
学生のように練習します。
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![さいとうT長](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168213601/profile_232065fa72951733ce0ef3dfd3e22925.jpg?width=600&crop=1:1,smart)