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政治に無関心な私が市長に手紙を書いた話

人間それなりに長く生きていると「あきらめ」が生じることがある。
あなたの中にはどんな「あきらめ」があるだろうか。

わたし探求メディア「Molecule(マレキュール)」にて、取材記事を書かせていただいている。
働く子育て世代の生き方・働き方のヒントとなるような、「わたし」主語のワクワクを大切にした記事をお届けするのがコンセプトである。

取材対象者の方のお話を聞くと、自分の中に何かしらの「変化」が生まれる。
今日は私の中に起きた「変化」について書きたいと思う。


あれ、これってもしかして「政治案件」?

こまざき美紀さんのお話を聞いた。

こまざきさんは、15年勤めた市役所を退職し、東京都北区の区議会議員になった女性だ。
その後北区区長選に挑戦するも惜しくも次点で落選。
現在は高齢者介護の仕事をはじめ幅広い活動をされている。

画面越しにたった1時間、お話を聞く。
それだけなのに、「ああ、自分が北区の住民だったらこまざきさんに投票できたのに」と残念でならないくらい、応援したい気持ちにさせられた。
それくらいひたむきさの伝わる、魅力的な方なのだ。

さて、取材の翌日。私はとある大通りを自転車で走っていた。
都市部に住んでいるが私は自転車通勤だ。
「電車より自転車が好き」というシンプルな理由からだが、とはいえ自転車にもデメリットはある。

とにかく危険なのである。

私が走る通りには自転車通行帯がない。
ほとんど「自転車乗りには人権がないのでは」と思うレベルで肩身がせまい。
車道の端っこをこわごわ走行しなければならないのだ。

すぐそばを乗用車やトラックがかなりのスピードで走り抜けるので、ヒヤっとしたことは数えきれない。中には「一歩間違ったら死んでたかも」と思うようなタイミングもあった。

加えて、初夏から秋にかけてはもう一つの問題が生じる。草である。
街路樹や雑草が生長し生い茂る。それを避けて走行するとどうしても車道のセンター側にはみ出さざるを得なくなる。危険この上ないのだ。

その日も私は心の中でぶつくさ言いながら走っていた。
「あーあ、自転車ってソンだよなあ」
「こんなに危ないのに、市はなんにもしてくれないんだもんなあ」

そのとき、こまざきさんが言っていたことが思い出された。
「声を上げなければ、何も変わらないんです」

そうか。
私はずっと、声を上げていなかったんだ。

「自転車で危険を感じる」
一見、些末な不満かもしれない。
でも、まさにこの「困り感」を解消することが政治なんだ!

こまざきさんは、「区長に手紙を書く」ことを勧めていた。
私も自治体にメッセージを送ってみたらどうだろうか。
そう思いついた。

「とはいえ、どうせ変わらなくない?」

帰宅後すぐPCに向かい、区長に手紙を書いた。

そう書きたいところだが、実際には行動に2週間を要した

その理由はシンプルである。
「面倒くさい」「どうせ変わらないでしょ」という気持ちからだ。

日々、私たちにはやることがいっぱいある。
自転車って危ないなあと思いつつ、いざPCの前に座るとつい、「仕事を先にやっつけよう」という気持ちになる。
それに、「声を上げても変わらない」可能性も大いにあるのだ。

私は行動をズルズル先延ばしにした。

やるもやらないも、結局は自分の選択

しかしどうにもスッキリしないのだ。
「みなさんの生活そのものが政治なんです」
というこまざきさんの声が、日にいっぺんは脳裏によみがえる。

私は、政治に文句をたれ流しつつ、自ら問題を変えようとはしてこなかった。
これからもそういう市民でいつづけるのか、ダメ元で声を上げるのか。
選択するのは「私」だ。

ついに意を決して、私は自分の自治体の窓口を検索した。
私の住む区には窓口がなかったため、市民の声を聞く窓口を選んだ。
投稿はインターネットでかんたんにできる。
私は走行している通りの名前、自転車で感じる危険と共に、次の提案を綴った。

・自転車走行帯を整備してほしい
・車道の幅を広げてほしい
・街路樹や植え込みの雑草を伐採してほしい

ほどなくして、市の担当者からメールが届いた。
メールには以下のことが、お役所らしい文章で綴られていた。

・通行環境の整備は計画的に進めている
・該当の道路については、現在、自転車通行帯の整備の対象となっていない
・そもそも通行帯の設置が可能な幅員ではないことから、設置は難しい
・引き続き自転車等が道路を安全・安心に利用できる通行環境の充実に向け、取組を進めていく
・街路樹や植え込みの雑草については別の部署から返答する

疑問に思ったら、声を上げていいんだ

市の回答を見る限り、私の提案はことごとく却下されたことになる。

やっぱり「何を言っても変わらな」かったのか。

私はそうは思わない。
少なくとも「市民からこういう声があった」という記録は残るだろうし、何より自分の心持ちが変わった。

疑問に思ったことは、声を上げていいのだ。
それは小さな小さな声であり、何かを変える力にはならないかもしれない。
でも胸の内でぶつくさ言っているよりは、ずっといい気がする。

私にもっと行動力があれば、同じ思いをもつ人と団結して陳情することだろう。
しかし今の私にはそこまではできない。無理にしようとも思わない。

ただ、これからも疑問に思ったことは声を上げたいと思う。

これが、こまざきさんの取材を通して私に起きた小さな「変化」だ。

こまざきさんはお話を通して、政治に関心の低い一市民を変えてくれた。
そして、私のこの記事が誰かを少しだけ変えるといいなと思う。

Molecule(マレキュール)では、他にもたくさんの「わたし探求」ストーリーが紹介されています。

取材から感じたことをライターが思い切り語る「編集後記」はこちらです。



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