ないのは家事能力ではない、生活力だ
何の自慢にもならないが、私には生活力がない。皆無である。
今、一日のことを振り返りながらこのnoteを書いているのだが──そういえば今日はプロテインとかりんとう以外のものを食べていない。
あと、数日前の洗濯物を干していなかったことを今思い出した。ダメだこりゃ。
ちなみに、私はどうしようもなく散らかった自室でこれを書いている。
身内は私の部屋を「魔界」と呼び、決して近寄らない。
以前、床に落ちていたよく分からない空の紙袋を覗いてみたら、小さい蛾の死骸が入っていた。そのくらいの汚部屋である。
床にはモーセよろしく、本とプリント類を脇に退ける形で道ができている。
唯一マシなのは、部屋に生物を置いていないことかもしれない。そのおかげで、コバエやゴキブリといった虫が発生することだけは免れているのだ。
一度、片づけをしようとしたことはある。
とりあえず、ゴミ袋一杯分の不用品を捨てた。
であるにもかかわらず、分別の段階で全てのものを外に出したまま、私が片づけに飽きてしまったがために、部屋は片づけ始める前よりも汚く見える。もうどうしようもない。
…とまあ、こんな調子で日々を過ごしている。文字に起こすとひでぇや。
そういうと、私がいかにも家事とかできなさそうなヤツに見えることだろう。
それは事実だ。が、ここで一つ言いたいことがあるのだ。
「私に欠けているのは、家事能力ではない」と。
自分で言うのもなんだが、私は、家事自体はできる。
片づけと並行しながら、家にあるもので、それなりに美味しい料理を作ることができる。皿を洗うのも早い。生ゴミ掃除もできる。
洗濯もできる。洗濯機の操作方法も洗剤の種類も分かる。「おしゃれ着洗い」もバッチリだ。洗濯物はきちんと叩いてから干す。アイロンもかけられるし、ボタン付けとかもできる。
掃除もできる。自室はクソ汚いが「掃除は上から行う」といった掃除のやり方自体は分かる。ゴミの分別もバッチリだ。あと、トイレ掃除だけはちゃんとやっている。だってトイレ汚いの嫌じゃん。
一応、「やれ」と言われればやれる程度の家事能力はあるのだ。
では、私に欠けているものは何なのか。
それは、そもそも「家事をしよう」と思い立つ能力=生活力なのである。
おそらく、私が家事に求める水準は、平均と比べて著しく低い。
「とりあえずタンパク質が足りていればヨシ!」
「明日着る服があればヨシ!」
「部屋に通り道があればヨシ!」
「虫が湧いてなくて、臭くなければヨシ!」
この程度だ。
「ある程度ちゃんとした、美味しいものが食べたい」
「オシャレな服が着たい」
「綺麗な部屋に住みたい」
↑こうした欲求はほとんど存在しない。
だからこそ、生活を一定の水準以上に保つ作業=家事において、とんでもなく及第点とモチベーションが低い人間になってしまうのである。
そして、生活力の欠如=家事に対するモチベーションの低さは、家事能力をいくら磨いたとてどうにもならない。
我が家で食事当番制が導入されたこともあり、ここ数年で私の料理のレパートリーは格段に増えた。今では中東料理なんかも作れる。
それでも私は、自分ひとりのためだけに料理をすることができないのだ。
どうしても「労力に見合わない」と思ってしまうから。
そういうわけで、今日の晩餐もトップバリューの安いフルーツグラノーラだった。
ボウルにあければすぐに食べられる。最高!!