小説を読まなくなった、そして再び
小説を読まなくなってずいぶん年月が経った。
読む本は実用的なものばかりになってしまった。
私はただでさえ文章を書くことが苦手だというのに、さらに読まないとは…これではいけない。
そこで、気を奮い起こして再び小説を読もうと決心した。ブログがあるから、なんとか書こうという気力も出てくるというもの。
最近の日本の小説の流行は、どうやらSF系のようだけど、今回は約100年前くらいの明治時代の終わり以降に書かれた怪奇小説の短編集の感想文を書いてみよう。
まったく自信がないけれど、この丸一冊を読むことにした。短編集なので途中で嫌になることはないと思う、たぶん。
・『日本怪奇小説傑作集1』
GREAT JAPANESE STORIS OF
HORROR AND SUPERNATURAL VOL.1
創元推理小説 2005年7月15日初版 東京創元社
紀田順一郎(きだ じゅんいちろう)・東雅夫(あずま まさお)編集
編集内容:小泉八雲/泉鏡花/夏目漱石/森鴎外/村山槐多/谷崎潤一郎/大泉黒石/芥川龍之介/内田百閒/田中貢太郎/室生犀星/岡本綺堂/江戸川乱歩/大佛次郎/川端康成/夢野久作/佐藤春夫
はじめに (紀田 順一郎)
一部抜粋
「…(略)洋の東西問わず、口碑伝説から民俗的、宗教的な説話の類を含め、自己の素朴な体験談ないし教化手段として妖異を語っている文献は枚挙にいとまないが、文学作品のモチーフとなったのは、近世に入ってからである。その意味における怪奇小説の祖が、ホレス・ウォルポールの『オトラント城綺譚(きたん)』(1764年)に始まることは周知のとおりである…(略)」
「…(略)日本の草双紙(くさぞうし)系の作家たちは、人情噺や教化物語の結構布置の中に怪異談をはさむという感覚のため、全体として純粋怪談と称するのは躊躇させるものがあった。『怪談牡丹燈籠』の作者三遊亭円朝でさえ、その弊を免れていない。怪異を語るために、人情噺の枠組み生活と不即不離の関係にある場合には、たとえば『今昔物語』のような教訓話の中でも、作者は確信をもって怪異を語ることができたかもしれない」
「しかし、その信仰が形骸化し、社会の停滞のための新しい感覚の導入がないと、派生物である怨念や因縁などを源泉に、安直に怪異を描くようになる」
「これが幕末にグロテスク趣味を発生させた一因であり、新しい時代に対して有効な破壊力をもたないものであった。(略)…」
近世から始まった怪奇小説は、今現在ではSF系小説にとって代わられているようだ。
人間の生活実感は、この約150年間でどのように変化し、また現在の小説家たちは、社会をどのように記録していくのだろうか。
そのうち、流行りの小説も読んでみよう。
私が小学生か中学生くらいの時に『ムー』という怪奇的というかオカルト的な雑誌があった。当時、あの雑誌を読む人はどこか頭がおかしいと思われていて、奇人変人扱いだった。ふと思い出して、『ムー』を調べてみたら、WEB版になっていた。まだ生き残っていた。
そして今現在は、もはや『ムー』は不思議でもオカルトでもなんでもなくなっていて、ただの与太話(よたばなし:雑談)の類いになっていた。
現実の社会の方が、いかがわしくなってしまい、『ムー』を通り越してしまった。
産業革命を興したイギリスから、怪奇小説や悪性的スピリチュアルが出てきたのはなぜだろう。
それはきっと、科学第一で、なんでも科学で埋め合わせができると考えていたからではないか。
人間生活がこれで事足りると高(たか)をくくっていたら、実際はそうはいかなかった。その欠けた精神部分を穴埋めした文化だったのだと思う。
怪奇小説もスピリチュアルも、人間生活の帳尻合わせだった。それをイギリス人はたぶん認めはしないだろう。
怪奇小説を通して近世から現代にかけての人間社会の感覚の推移を知ることができたらいいと思う。