俗なことを書きます
普段はなんだか整合性のあるものを書こうとしてしまいますが、元々ここは頭の中に閉じ込めて置けないことを書こうと思って始めた場なので、今日はどうしようもなく人間臭いことを書きます。
と、前置きを置いて。
加瀬亮さんがすきです。
この一言が言いたかっただけです。
3/8には日本アカデミー賞の授賞式があるので、映画『首』で助演男優賞を受賞した加瀬さんが地上波に舞い降りてくるでしょう。
となると、日本中のまだ加瀬さんの虜になっていない人が、彼の魅力に気づくでしょう。
それは大変素敵なことだとはわかりつつも、どうしても、それよりも前から加瀬さんを応援していましたと、ただ言っておきたいのです。
明日も私が生きているからわからないのですから、証拠として残しておきたい、それだけです。
これまで大きな声で言ったことはありません。
ひっそりと、しみじみと、加瀬さんの魅力に浸っていました。
ただ、その日はきっと大きな日になるに違いない
と感じて、こう胸がどきどきとしてしまい、なんとか生きた証を残そうとしてしまいました。
カメラの向こうで役として生き、役としてあらゆることを伝えて下さる加瀬さんには、なんだか申し訳ない気持ちです。
この得体の知れない気持ちの悪い独占欲には我ながら飽き飽きしますが、そういうものに生まれてしまったのだから仕方がありません。
腹を括って、伊優の加瀬亮さんが好きだと言って、みみっちく生きていきます。
彼のお芝居は辛い時に寄り添ってくれて、明るい時には綻ばせてくれます。
人それぞれ、加瀬さんの解釈は様々だと思いますから、皆さまのその大切な感情たちを、私の戯言で侵食したり攻撃したくはありません。
ですから、細かくどういった点が魅力的だとかそういったことは心の内に留めておくとして。
とにかく加瀬さんとはそういった変動的なものなので、水のように掴めないと感じます。役のみならず、雑誌のインタビューなどから垣間見える加瀬さん自身に関しても。
だいぶぞっとする重さになってきたので、ここで一度深呼吸をしてください。私もします。
ふぅ。
ただ、彼が水のように溶け込んで人生を豊かにしてくれる存在であることは間違いありません。
加瀬さんの作品を見ると、不思議と他の映画も見たくなって、本が読みたくなって、音楽が聴きたくなります。生気が潤って、感覚が刺激されて、生きている時間が少し遅くなって、体が軽くなります。
そういう存在です。
だから、加瀬さんがすきです。
だから、と書いたもののなんにも理由にはなっていませんが、それでよしとします。
言葉で表せるような存在ではないので、仕方がありません。
あんなに作品からは人間が滲み出るのに、加瀬さん自身は透き通ってこぼれてしまうので掴めない。柔らかく、強く、麗らかで哀しい。
加瀬さん自身についてはわからないことだらけですし、ご本人も伝える必要はないと考えていらっしゃるのではないかなと感じているので、私は彼のお芝居が好きだと言うしかありません。
なのでいつか、加瀬亮という人間を加瀬さんに演じてみてほしいな、と強欲に思います。それを見てみたいな、と。
溢れ出てしまったので書きますが、叶うなら加瀬さんの書く詩集も読んでみたいし、自由律俳句でもエッセイでも小説でもなんでも嬉しいので、彼の言葉を読んでみたい。ラジオでもドキュメンタリーでもいいので、彼の言葉を聞いてみたい。
そんなわがままが溢れ出したら止まりませんが、ひとまず私は加瀬さんが幸せに生きていてくれたらうれしいなと、勝手に願うばかりです。
そして、これからも加瀬さんのお芝居を1人の観客として受け取れたらいいな、といったところでしょうか。
とにもかくにも、優秀助演男優賞の受賞、おめでとうございます。
本人の目には触れないだろうと安心して書き始めましたが、想像以上に気味の悪いものを数分で書き上げてしまって戸惑っています。
勝手に私のエゴの塊のようなものに晒してしまい、猛烈な反省の念が込み上げてきていますが、書いてしまった以上はもうどうすることもできません。どうか読み流してください。
ただの私欲を書き連ねてしまっただけの文字の羅列を見返すのも恥ずかしいので、そっと海の上に浮かべます。
ちゃんと水の中に溶けていってくれるんでしょうか。
これを書いたのは3/3の夜更けなんですが、授賞式が3/4だと思っていて、朝起きて間違いに気がつきました、もうどこまでも恥ずかしいです、こっそり修正しました