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イッココ・マッココ・スココンノコーン!が実現した日 【さばえまつり】
3回目の鯖江滞在となった今回。なぜ私は8時間以上かけて、鯖江に行くのか。正直、自分でもよくわからない。冷静になればそんなことも思うものの、案外8時間はあっという間だと思うようになっている。運転していないから言えることなのだけど。( 毎回本当にありがとう )
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私から見たさばえまつり
さばえまつり。
一言で言えば、ほんっっっとに楽しそうだった。
二言言っていいのであれば、わからなさばかりだった。
楽しそうだったのは、まず第一に事務局メンバー。彼らの姿は、ものすごくキラキラして見えた。羨ましくなるほど。事務局の集合写真を見て、私が涙してしまうほど。すごく良い顔してた。特に森さん(事務局長・うちの大学の教員)って、いつも何考えてるかわからない。でも今回は、ほんとに心から楽しんでいる笑顔に見えた。それが嬉しかった。私から「楽しかった」ではなくて「楽しそうだった」という感想が生まれるのは、皮肉が込められているとかではない。自分の「楽しかった」以上に、それだけ「楽しそうだった」彼らを見ることができたのが、私は本当に嬉しかった。
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そんな私の鯖江滞在はこんな感じだった。
7月:初鯖江。シェアハウス滞在。寄り合い参加。
8月:10日間、基本森さんに付いて回る。シェアハウス滞在。寄り合い参加(撮影係)
10月:前日準備、懇親会(準備)、当日ボランティア、撤収に参加。
ただ、さばえまつりに面白さとわからなさを感じていた。そのわからなさの中に、自分の興味に近い部分があることもなんとなく感じていた。それを知りたくて、さばえまつりを見ていた。
インターンでもない。鯖江住民でもない。森さんについて来た、ただの学生。自分でも、ずっとどんな立ち位置でいたらいいのかわからなかった。
他の事務局メンバーが、私をどう見ていたかはわからなかった。ただ、さばえまつり撤収中、先に帰る私たちと事務局メンバーが別れの挨拶を交わす中で、「あおちゃん、胴上げしたい!」と、なぜか胴上げをされた。インターン生でもない。鯖江住民でもない。森さんについて来た、ただの学生である私が。私はここで「あおちゃん」として受け入れられていたのかもな、とまさかのそこで感じた。
私はなぜか何者かであろうとしていた。自分を何かの枠に当てはめることで、安心しようとしていたのかもしれない。今は枠じゃなくて、関係性を近い・遠いみたいな点の集合で考えるようになった。さばえまつり事務局メンバーから私は近いけど遠い、鯖江住民からは遠い、でも森さんにはどちらかといえば近い、みたいな。(絶対図で表したほうがいい)
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一方向を、双方向に。
全員を巻き込む、無理。全員を納得させる、無理。「無理」っていつもは言わないけど、これは無理。「地域の人」という曖昧な言葉を乱用しすぎて「地域の人=全員」感を感じる時がある。地域の人が納得しないとできない、とか。私は自分のやりたいを抑えているように思える。地域で学んでいく中で、「私がこれをやりたいからやるんだ!」みたいな気持ちが薄れてきてる気がする。
何かをやりたいという気持ちは、ある意味一方的。ただ地域に出た途端、一方的ではいけないと思ってしまう。双方向でなくてはいけないと思ってしまっている。双方的である理由を無理につける。でも、さばえまつりはそれをあまりしているように見えなかった。そして受け入れられた。しかも、双方向の楽しいに繋がっていた。自分のやりたいが双方向になるように動いていたのか?ターゲットの問題か?私にはまだそれがわからない。
私が見えていた範囲で、さばえまつりに訪れていた人たちを分類してみた。その時、参加者か客かみたいなのを枠に当てはめて分けるというより、近い・遠いで判断する方が合っているような気がした。枠というものがそもそもなくて、曖昧な境界なのだとすれば、一方的みたいな言葉もないような気がした。右から流した赤い色水が、左側から流れる青い色水にじわっと混じる。そして紫色に変わるみたいな。赤が青が塗りつぶしてしまう、みたいな感じじゃなくて。じわっと混じって、新たな何かを生んでいるみたいな。伝わるかな。さばえまつりは枠がはっきりしてなくて、そんな感じがした。
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なりたい自分と自分らしさ
さばえまつりは、なりたい自分になれる場所な気がした。ただ、自分らしかったかと言われれば、はっきりとは答えられない。なりたい自分になろうとしている自分は、果たして自分らしいのか?とか考えてたら終わりなので、自分とかないから。で済ませたいところでもある。
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なんか良いなと思ったこと
・ちょっと背伸びができる舞台
・毎回絶対知らない人に出会えるまつりのいえ
・前日ですら「あおちゃん楽器できる?」と混ぜてくれようとする感じ
・判断基準ができるできないじゃなくて、やりたいかどうか
・知らない人もここにいるだけで受け入れあってる感じ
・ミーティング中、唐突にみんなで体幹鍛え始めた回
・一生楽しく話し続ける馬喰町バンド
・こどもが親の一歩を踏み出させてくれていたこと
・弓矢に長蛇の列ができていたこと
・弓矢を楽しむこども、作り方に関心を持つ大人
・当日輪投げセットを持って現れたKさん
・ただそこにいるトイプー様
・人によって体験するものも感じ方も違う祭りだったこと
・誰とか関係なく肩を組んで盛り上がっている様子
・踊り初見なのに、なぜか楽しんで踊っている感じ
・さばえまつりを振り返って泣きながら鯖江を離れたこと
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今思うこと
さばえまつり。というか、森一貴。
私が鯖江に巻き込まれた(巻き込まれに行った)きっかけだ。
森さんの授業を受けるたび、この人の頭の中が知りたいと思うようになった。森さんの与えてくれる知識が、私の考えを言語化してくれるような気がした。ただずっと、「この人は何を考えているんだろう。」と思っていた。
さばえまつりを終えた今、思うこと。本来交わることのない人たちが交わり、それによって生まれた網目が揺れ、また新たな交わりや動きが生まれること。その網目がどんどん増えていくこと。揺れること。それが森さんが求めていることなような気もしているし、私が言語化したいと思っていた理想でもあるような気がしている。まだ言語化足りないけど、なんかこんな感じ。「わからなさ」をもっと言語化していきたい。
私はこの人を尊敬する、とは思わない、というか、その言葉がまだ合っているかがわからない。でも、この人に自分の能力を求められるような人間になりたいとは思うかも。直接は言わないけど、ね。
さばえまつりを通して、いろんな人と出会った。少しだけどイベントの立て方も知れた。それはこれからの私にとって、すごく大きな価値になると思う。
来年はどんな景色が待っているかな。