【蒼雑記】高梨蒼の信条語り(4:名前という呪いと祝ぎ)
はい、新しいお話のことを考えて考えて構想のまま進めないことでお馴染み高梨蒼だよ。
なんで進めないんだろう?ということについて、釈明というか言い訳しながら、僕の中の大きなこだわりの話をします。
要点
・名前は詩
・名前は祝福だったり、呪詛だったりする
・名前はすべてではない
人名を凝りがち
キャラクターを動かすにあたって不可欠なのは名前なんだけど、僕はその名前にかなり(そして、恐らくはむやみに)こだわる傾向にある。
例えば、アカシックカフェ。アレはもともと2018年の逆噴射小説大賞で作られたんだけど、連載版を書き始めるまでに一か月「弥津彦」の名前で悩んでたと思う。
もちろん、他の物語も大なり小なり……というか、いつも大なり悩んでいる。名前を考える時間と物語の本筋を考える時間、こと執筆の本格開始までに限定したら9:1くらいのバランスかもしれない。
……いや、流石に7:3くらいか。
そんな感じで、名前のことを考えまくってて、今も新しい物語を構想してるのに、全然始まらない。オイオイ。
名前は過去と現在と未来の物語である
俳句は17音、短歌はそこにさらに14音。
むかしむかしの中国、漢文なら五言絶句だの七言律詩だの。
都都逸だとどんな感じだったかな?
ともかく、ミニマルな詩というのは様々に存在するのだけれど、それらに比べても名前は『短い』。多くても五文字の十音程度だ。
あからさまに意味や仕掛けを仕込むことはできず、あくまで一般的な生活を旨とする名前でなくてはならない。
そんな制限だらけの中でも、個人としての在り様や、親の祈りや家庭環境、その人が生まれてくるまでに世界で起きたことを示唆したり(たとえば、英雄の名前に肖った名前とかね)、メタ的には背負うテーマや魅力まで、やろうと思えば広く、広く、いろんな意味を内包させることができるんだよね
例えば「弥津彦」は「大袈裟な名前を付けるような親/家柄」という背景や、「多くのモノを津々浦々に知る神様めいた存在」みたいなキャラクター自体に対するメタテーマが籠められています。そんな大仰な名前を付けられて、そういう環境で育った弥津彦が喫茶店のマスター/非合法エージェントを行っていることは、過去に悶着があったことを連想できるかもしれない。そして悶着があったということは、解決をするということ……。
つまるところ、名前は彼/彼女が生まれる前から未来まで詰め込んだ「世界一ミニマルな詩」なのだ。そこに人の一生以上の意味を籠められるんなら、練って名付けずにはいられないでしょう。
そういうの、一切気にしないスタンスならそれはそれでいいんだけどさ、そこを考えちゃうのが高梨蒼という拗らせマン、っていうお話でした。
呪いと祝ぎの見分け方
もちろん、(こういう言い方はどうかと思うけど)全ての人の名前がいい名前ってわけじゃない。
例えば「伝説の英雄」の名前を受け継いだこと自体が重荷になって倒れてしまったりとか、雄々しい名前を付けられたけれど本人は勇猛果敢血気盛んじゃなかったりとか、読み方や捉え方によっては変な意味になってしまうパターンもあるだろう。
基本的に名前ってやつは「祝福」であるべきだと思うけど、「呪詛」として本人を縛ってしまうこともある。残念な話だけれどね。
そういう事例を知ってるから、多重の祈りとかバックボーンとか意味を含めた名前を決めては、没にして、考え直す。
音、漢字の意味、同音異義語、苗字との組み合わせ、周囲との組み合わせ、その他諸々。とても難しい。
プラスの情報とマイナスの条件を照らし合わせて、最高に納得のいく名前が決まるまでずっと考えてしまうのだ。
呪いと祝ぎの掛け方・解き方
――考えてしまうんだけど、考え過ぎなのかもなぁ。
結局のところ、画一的な、絶対的な「呪いと祝ぎの見分け方」なんてものはなくて、そのキャラクターたちが……子供たち自身がどういう風に生きていくかが大事なのだ。どういう生き方を書けるかが大事なのだ。
我が身を振り返れば「高梨蒼」にもそんな重い意味はないはずだし(もらった名前なので推測になるけどね)、現実も本名の意味通りに忠実に生きてる人なんてそうそういやしないし。
確かに名前は過去と現在と未来とメタ的な意味を内包した詩たり得る。だけど、それだけに集中したいなら詩人、俳人を目指せ。
俺は生きた人間を、死んだ人間を、そこにある時間と空間を執筆(か)くのであって、暗示だけをしたいんじゃないハズだろう。
親目線でいろんな心配をするのは勝手だけど、完全無欠の名前なんて存在しないんだから、そこはもう、都合の悪い部分は見ないで、いい部分の祈りだけでバシッと決めてしまった方がいいのだろうね。
もしなんらかの毒や棘が残ったとしても、名前が転化した呪いは、過去のトラウマや些事の引っかかりのうちのひとつでしかない。なら、乗り越える克服さえも書けるはずだ。
つまりは、名前は人生の大きな一部であっても、全部じゃないってこと。
反省、反省だな。
というわけで
ここまでいろいろ語ってはみたけど、どうだっただろうか。
人生に必ずついて回る「名前」を一度考えてみてくれると嬉しい。自作だけじゃなくて、他の人の作も併せてみたり、シリーズのパターンを見出したりとかね。
俺も一度考え直してみる。もはや名前を考えるのが主題になりつつあり、本末転倒だからね。ウム。
じゃあ、今日はこんなところで。グンナイ。
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