【蒼雑記】小説を書くときに気を付けていること・補記
今日はこれのはなしです。ちょっとした参考にでもしてくださいな。
自分で見直せるようにもしておきたいからね。
目次
・声に出して読もう
・名前に願いを籠めよう
・五感を使おう
・天気に頼らないようにしよう
・声に出して読め
どんなシーンでも――会話でも風景描写でも、一人称でも三人称でも――声に出して読むことは大切だと思っている。
文字はそのままでは点と線だが、「言葉」として扱い理解する瞬間には必ず一部が音として溶け出すはずなのだ。であれば、書くときにその確認を怠る道理はない。
会話のテンポは重くないか?逆に軽すぎないか?(出来すぎたコントの台本になっていないか?)あるいは、二人が同じような言葉遣いでごちゃついてないか?
情景描写は重すぎないか?そこの一語を上手く代替すれば韻を踏んで印象を変えられないか?(そういう洒落とか言葉遊びは好きな方だ)
印刷して初めてわかる、という指南も絵にはあるそうだが、僕は朗読して初めてわかる、を文章表現の道で大切にしていきたい。
なにせ、語って演じる役者の経験者なので。
名前に願いを籠めろ
名前は唯一無二のアイデンティティだ。それを蔑ろにしては「創作」と言ってはいけない気がする。あくまで個人の意見だけれど。
その町はどうしてその名前で呼ばれるのか?その人の親は何を思ったのか?願いや由来は「それを付けた人の視点で」ちゃんと考えねばならぬ。ツイートでも触れたけれど、気を抜くと「高梨蒼の趣味で」名付けてしまいかねないからね…。
例えば「雪」「月」「花」とヒロイン・モチーフを決めたとして(ここまでは高梨蒼の趣味)、雪の少女は一般的な家庭で「穢れない子でありますように」と「ましろ」、月の少女はロマンチストな家で「静かな夜に生まれた子」として「静宵<しずよ>」、花の少女は堅苦しくない家庭で「大切なお姫様」として「愛花<あいか>」と。
少し工夫すれば三家族三様それぞれのスタンス、名前の(漢字や読み方の)重みが違ってくるし、個性が出る…はずなんだ……命名論はちゃんと人と話したことないんだよな。
ちなみに名付けはこれとか凝ったなぁ。(隙あらば宣伝だ)
五感を使おう
小説のメディア特性は「読む」読んだ内容を「頭で再構築する」そして「追体験する」。
文字情報しかない以上、言ってしまえば大半を読者の想像にゆだねてしまうわけだ。であれば、想像するための材料は多いに越したことはない。
例えば情報量が100詰め込めるとして、それを「景色70」「音30」にしてしまうと、写真を見た方が早い、ということになる。イラスト見て音を想像すれば終わり。
一方で「視界、音、匂い、主観者の喉の渇き、etc…それぞれ10ずつ」とすると、視界の材料からも聴覚の手がかりからも想像の手がかりが出来る。その上「主観でしか感じられないモノ」を読んで理解すれば読者はきっと「没入」する。
想像に委ねると言えば聞こえが無責任だけれど、「想像させる」とは即ち、最初に触れたように「体験させる」ことだ。主人公が見た景色を読者は想像で観て、感じた風を読者も想像で受けるのが小説だ。
であれば、僕らが日々感じているように、世界の感覚も不定形の第六感も、須らく描写すべき…なのだろう、な。
もちろん書けばいいってモノじゃないし、適度な取捨選択は絶対に必要だけれど。
景色の変化に頼りすぎない
雪が降ったり雨が止んだり、一時期天気の変化に心情を託しすぎたので、戒め的に気を付けています。
大自然、便利なんだよな…。ある意味では梵我一如と言えるかもしれない。人の心という小さな”一”と、天気の”全”はリンクする…世界は我、我は世界…。
与太話はともかく、描写がワンパターンになるのと「必殺パターン」が出来るのは似て非なるものなので、安易に天候操作しないようにしましょう。はーい!
おわりに
思いのほか自分のポリシーとかぼんやりしたものをアウトプットするのは刺激になるかもしれない。
こういうダラダラ語りも需要あったらするんで、ましまろ箱にでもなげておいてくださいね。
今日のひとこと:拘りも結構だけど、拘り過ぎて腰を重くしすぎないようにしようね。書けーーーッ!!!わかっているのか!!
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