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アカシック・カフェ【3-epilogue】

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……お客が来ない。

陽は段々と傾いて、影がよく伸びている。陽も長い季節に、影まで長くなる時間まで……あの明窓館のお兄さん一人。
気を遣ってくれたのか、単なる食べ盛りなのか。ナポリタンのご注文があったが……ありがとう、だけどごめん、微々たるプラスだ。ないよりは無論マシなんだけど、焼け石に水ってやつだ。

はぁ。心の中で深く溜息。
まぁこんな日もあるか、と諦める。家計的にはよろしくはないが、まだ他の日の売り上げや、エージェントの裏収入で補えるレベルだ。一日早い休日みたいに思っておこう。

いっそ、暇つぶしに表通りをラプラス観測でもしてやろうか。久々だが、出来て損する技能じゃあないし。カウンターの中でこっそり、大仰なことを考える。
まずは軽く、一分から。静かに深く息を吸って、目元に微かな刺激を感じた瞬間、視えたのは見慣れた人影が三つ。いつもよりは、買い物袋で大荷物だ。

中止だ、中止。

「はーい!!やっちーやってる!?」
「いらっしゃい。お帰り、の方がいいか?」
「じゃ、ただいま。弥津彦さん」
「ただいま、弥津彦。ごめんね、お休み貰っちゃって」

風鈴が涼やかに鳴っている、はずなのだけれど、姦しい三人娘の勢いの前にはあまりに小さな音色だった。気安いのはいいけど、もうちょっと慎んでくれよ、花の乙女盛り。

遊んだ帰りなのに一切疲れを見せないシュウカ。大した言葉遣いだこと。こらこら、居酒屋じゃねーんだぞ。
俺のノリに付き合ってくれるハヅホ。相変わらず、人形めいて可憐に微笑む。
すこし申し訳なさそうな気まずさと共に、三つ編みの先っぽを弄る永愛。……律儀なのは結構なんだけど、午後からはそこにいたお兄さん一人だけだったんだ。

わざわざそれを言うのも、これはこれで気まずいので、ここは大人の余裕で繕う。全知に接続されればバレるんだが、接続する必要もないほどに、完璧に。

「大丈夫だ。気にするな」
「ほんと?」
「あぁ。お前が来るまでも一人だったんだから。一人で十分」
……それはそれで、ムカつく! アイスカフェラテ!」
「あっ、オイ!」

一人とは言えお客さんいるんだから大声出すな! バタバタ走るな!
……怒られた。なんでだ。いやまぁ、理由だって知ろうと思えば知れるんだけど、それは踏み越えちゃいけないラインだ。
跳ね去った三つ編みに声をかけることすらできなかった俺は、代わりに、同い年のティーンに教えを乞う。

「ハヅホ……なんであいつ、怒ったの?」
「さー、なんでかしら? たまには弥津彦さんも、悩んでみたらいいんじゃない?」

小柄な先生は、小悪魔めいて笑んで、永愛の陣取ったテーブルへ向かう。途中、ふわりとターンして、優しくウェーブのかかった髪を美しく舞わせながら付け加えた。本人は意図していなかろうが、それが画になるから恐ろしいものだ。

「あたしもアイスカフェラテ」
「……はいよ」

最後の頼みだ。お願いします。順番のルールでもあるのか、律儀に俺の眼前で出番を待っていた彼女に問う。教えてくれるんだよな? そのための待ちだったんだよな?

「……シュウカ」
「ハヅに同じ! 注文も二人に同じだよ!」

期待通りと言わんばかりに、すぱんと俺の伸ばした救いを求める手を、あろうことか伸びきる前に叩き落とす。腰に手を当てる仁王立ちスタイルから一転、実に愉快に軽快に外はねの髪を躍らせて、シュウカまでも席に着く。俺はカウンターの中で取り残されて、アイスカフェラテを作るしかなくなってしまう。

「……なんだってんだ」

溜息を、ついに心の外まで零しつつ、俺はオーダーに応じる喫茶店店主に戻る。オーダーをもらった以上は、仕事をするのだ。
黒と白が入り交じり、深く、深く色を変えていく。香りも、風味も、互いを活かしつつ変質していく。心が、静かに落ち着いていく。
その様を見つつ、永愛のお怒りの理由を考えてみたけれど、何も思い浮かばないまま、ついに出来上がってしまった。
さて、なんて言ってグラスを出したもんか。思わず牛歩気味になる俺の視界の隅で、少年がぐっと親指を立てていた。

||3話 全知の無知の知・おわり||

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