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【蒼雑記】高梨蒼の信条語り(3:会話劇主体作劇、楽しいね)
こちらのnote、読みました。
2、セリフだけの会話文を長々と書け
(意訳)
キャラクターの個性を出せてるなら会話だけでも端々に個性が出てくるだろう。語尾を強調しろというわけではないノーネ!
読んだ僕「えっ会話劇脚本やっていい!?」
記憶力がひよこ並なので連載小説で「こいつ誰だっけ」ってよくなってしまう読者に優しくできる三つの方策|バール @shu64737980 #note https://t.co/0xutlaqgBF
— 高梨蒼 (@A01takanash1) May 3, 2020
アッ?やっていい?
会話だけの脚本書いていいのかい?
ここ半年(二次創作で)書いてたんだけどパルプ向きにそういうのやってみてもいい? pic.twitter.com/hTtAMHpRuD
読んだ僕「えっ会話劇脚本やっていい!?マジで!?」
会話脚本好きなのだ
もちろん、「会話だけで本編完成させていいぞ!」という話をしているわけではないんだよね。あくまで「キャラクターを立たせるためのトレーニングの一環として、里程標として、番外編としてやってみてもいいよね」って話だよね。ワカルワカル。全面的な意味での推奨じゃないのはワカル。
それでも、こうして会話脚本を推されてるのは嬉しいですね。なんか重厚なパルプガンマンって地の文での表現力が高いから、こういう脚本型は小説として出すのどうなんだ…?って自問してたところがあったんですよ…。極端な話、地の文が上手くできないのがコンプレックスだったり。
でもやっぱり、ネットの二次創作SSとか、演劇畑をバックボーンのひとつとして持ってる人間としては、そういう形の会話劇基本のモノがめちゃくちゃ体になじむんです。
特にここ半年はいろんなことがあって、会話劇主体・一人称の二次創作小説をずっと書いてました。逆噴射小説大賞以来、noteにあんまり発表してなかったけど、実はここに出してないだけで書いてたのですよ。……経験値取得配分がかなり歪になった、って自覚はある。
具体的に何やってたかって言うと、刀使ノ巫女とアイマスで、ずっとラブコメを書いてました。パルプスリンガーの末席にはいるんですが、心臓撃ち抜く鉛玉より、心臓射貫くキューピッドの矢の方が実は慣れてるんですよね。ガハハ。
#とじオンリー No.31 青色秘抄にて
— 高梨蒼 (@A01takanash1) February 27, 2020
播つぐみのラブコメNL一人称小説「播つぐみという女の子は」を頒布いたします。
本編150頁、だいたいこんな感じでイチャついてます。ご興味ありましたら是非お立ち寄りください。
ゔぉるどれっど先生(@voldred2525 )によるめちゃ可愛つぐみ表紙が目印!! pic.twitter.com/LSJD62w2Eo
なんと本も出た。
BOOTHで販売中なので、よろしくだ。
会話脚本楽しいぞ
さて、これは皆さんに共感いただけるのか、それとも得手不得手がある部分なのかよくわかってないんですけど……
会話書くの、超楽しくないですか?僕は超楽しい。
前にも僕のルーツの一部が舞台演劇ってことを書いたと思うんですけど、多分そこが原因としてあるんですよね。
お芝居の台本って、(僕が読んだことがあるのは)基本的にセリフだけなんですよ。セリフだけを基準の八割にして、そこからイメージを育てて、劇を(役者自身と音・光・物理舞台設計で)創り上げていく=会話だけで人格と世界を創る。僕自身がその手法に慣れてる、っちゃ慣れてる。
で、それに慣れてるからこそなのか、脚本を創る側としてもついつい会話の展開をベースに書いちゃうことがあるんです。
「会話だけ先に全部書いて、そのあと行間を肉付けする」「会話の流れに応じて話の展開を変える」ってことはちょくちょくやるし、一番大掛かりな時は「会話に合わせてあとから天候を変える」ってこともしました。会話を、人の感情を映えさせるためなら雨を降らせたり星を降らせたりすることは厭わないんですよ。
やっぱり物語は「人」が大切で、「人」が一番映えるのは「感情」が溢れる瞬間で、「感情」は「会話」で顕れるんですよねぇ。
まぁ掛け合いが得意・好きだからって、そのためのノウハウがあるわけでもないんですけどね。でも、せっかく話題が向いたので、「全般的な話」と「特に二次創作をやってみて思ったこと」を纏めておこうと思います。
ご要望があったらその都度ノウハウや逸話を捏造するので、「この会話ってどうやった?」とかの質問があったらお気楽にお気軽にお伝えください。
まぁちょろちょろ見る限り、そんなに「会話が出来ない!」って四苦八苦してる人はいない気がするけど……。
会話劇書いてみよう!
言うほど立派なテクニックはないけど、一応なんか書いておこう。
・まず書いてみる
大前提。……いや、大事なことなんですよ。
極端な話をすると、舞台設定的なことを詰めずにとりあえず「何の話をしてるか」「どんな人たちが会話してるか」だけ決めて会話をする。『素舞台で二人の役者が立っている』ところから始める。すると、だんだん会話が熱くなると「飲み物を手に取ったり」「片方が電話を一回切ったり」する。逆に沈黙すると、しばらく「あー……」とかの間が開いたり、気まずくなって外を見る⇒景色の描写が発生したりする。
あとは、ある程度の会話がまとまったら情景を継ぎ足していくわけですね。
・舞台を決めて書いてみる
普通はこうだ。舞台じゃなくても部屋の一室、車の中、電話とか。
今度は家具や小道具があるから会話を作りやすい!
普通はこういう風にやるんだろうなぁ…。
・結末を決めずに書いてみる
好き勝手喋らせる方が楽しいことがあります。というか『キャラが立っているなら会話だけでも話が成り立つはず』という今回のインストラクション、トレーニングの主題から考えると、この方がいい。
もし結末が決まっているなら(例えば「二人は喧嘩をしている⇒仲直りをして晩御飯を作る」が先にあったら)、どれだけ会話が別方向に捻じ曲がる余地があっても「最終的にはこうなってね」っていう『神様の作為』が入っちゃうんですね(唐突に時計を見て、「喧嘩はやめだ飯にしよう」とか言い出す)。これは健全ではない。人形劇です。
会話のトレーニング、延いてはキャラを立てていくトレーニングをするなら、多分「一回は好き勝手に喋らせる」っていうのは必要なんじゃないかなぁ、と思います。その方がきっと楽しいし、その人となりが分かって愛着が湧くしね。
ただ、「どうしてもそうならないといけない」っていう長期的な意味での『神の手』はきっと必要で、キャラの性格を理解した上で「どうやって仲直りに持ち込ませるか」みたいな調整は必ずいる……。そういう「長期的なオチ」とか「全体を通じてのトリック」をちゃんと考えれないのは俺の弱みだと思います。はい。
・読んでみる
書き終わりましたらば、声に出して読んでみましょう。やっぱり「会話」なので、本当に口に出してみて変かどうかを確かめる必要はあると思うんですよね。脳内再生もいいけど、演技、しよう!
×注意:話し言葉表現と句読点に気を付けろ
会話の様子ってやつを本当に喋り言葉、音でイメージすると、なんていうか……これは、僕だけなのかもしれないけれど、舞台上で喋るときの「強調」とか「間」をイメージしすぎてしまって、後から読み返した時に「あれ、やたらと読点が多いぞ?」ってなる、ことが、ある。こうやって、後ろ暗い部分とか、自分にとってあまりよくない……よくないっていうか、アレだ、やや言いづらいマイナスの話題っていうのか、それを出すときは特に、こうやって区切り区切りの、回りくどい書き方をしてしまうことが、ある。
こんな感じに強い癖が出てしまうので、話し言葉の扱いには注意がいるという話でした。
一人称小説だと、地の文まで「一人称者の語り」になるから全編で注意がいるんですよね。大変だ……けど、書きやすいんだよね。
要注意、要推敲!
会話劇メイン二次創作をやってみてわかったこと
前述のとおり、ここ半年くらい、ずっと二次創作やってたんですよね。本2冊分くらい。文字数に直すと6万字+13万字くらい。
で、やってみてわかったこともいくつかある。
○商業作品、キャラ立ちがすごい
前掲のnoteでは「キャラが立ってるのなら会話だけでも話が分かるはずだ」って言及があったけれど、まさにその通り。
二次創作会話劇をしばらくやったんですが、(そのキャラクターを俺も読み手も理解しているという前提があるとはいえ)話を回しやすかった・話が伝わりやすかったんですよね。商業で成功してる所謂「きちんとした」作品には、「こいつはこういうやつ!」ってキャラ立ちがある。だから二次創作をしやすいし、そもそも論、それがないと一次創作作品としての完成度が高いとは言えないよね。
そりゃドラマCD、会話だけで話を進める作品でも売れるわけだ。キャラ立ってるから「その子」が喋ってるっていう説得力と面白さがちゃんとある。
だいたい、小説本作った方のヒロインちゃんってアニメの派生アプリのサポートユニットで、メインシナリオにちょっと関わってる+ちょっと個別ストーリー持ってるくらいの情報量だったんですよ。それが150ページの本になるんだから、「キャラが立ってる」って大事だなぁ、と思い至りました。
やっぱり商業作品ってすごい。
○会話劇(からの作劇)、やっぱりやりやすい
キャラクタードリヴンっていうんですかね。「キャラクターありき」「感情ありき」で話を進行させる奴。ここ半年、特定キャラクターとのラブコメを練り続けたことでそっち方面に経験値がドバドバ入った気がする。ほんと?
元々の適性がそっち方面だったのかなぁ。……ってことを考えてたら、丁度Twitter上で「俺は共依存適性があるのか…」「そうだ…そして共依存適性はスポーツで言うところの『足が速い』だ…」って言われました。そうなの?
キャラクタードリヴンは楽しいんだけど、やっぱりこう…忍殺とかBOW-WOWとかみたいな…「舞台」が先に立つ物語もやっぱり憧れるんですよね。実はそういう案もあったりするんですよ。実は、ちゃんと。
さて、なんでそういうのがやりやすいのかってことを考えると、やっぱり舞台演劇があるんだろうなぁ。せいぜい3年位しか向き合ってないんだけど、創作とかとちゃんと向き合い始めた初期にがっつり耕した畑だからか、強く在るんだね。
舞台演劇全般がそうかはわからないけど、俺の中だとキャラクターは「会話」に拠って立つもので、「個人」じゃなくて「精神」としてふわふわ存在しているんですね。だからこそ『見た目』を重視しない(それを体現できるなら、役者は代わったっていいから)というのは、前掲のnoteで触れたとおりです。
で、そういう風に「属性ありき」「精神ありき」だと、結局肉体的な特徴(背が高いとか、若者らしいとか)を動作で表現するとか、風景の変化を出すより先に会話させた方が早い+それに応じて周囲を変化させた方が早いっていうか……。なんていうか、人間関係には掛け合いが最初にあるというか。
だからなのか分からないけど、文章を長く書くのがしんどいときでも会話の掛け合いだけですらすら書けちゃうというか。
舞台演劇の台本も基本的に会話が書いてあるもの。独り芝居するシーンもあるにはあるんだけど、会話より先に・高密度に台本に書いてあることは少ない気がするしね。
ただ、勿論精神性が立ち振る舞いに顕れるものだし、そういう精神性から服装を把握して選び出す衣装さんには役者としても演出としても助けられたものでした。今の俺が会話劇だけ先行している件についてには「キャラクターが精神だけでそこにいる」っていうのは説明として根拠薄弱。修練不足です。もっといろんな手法で「その人となり」を描けるようにならなきゃね。
・自分の中に無いメンタリティの引き出しを作れる?
二次創作は自分以外のところからキャラクターを借りてきて、それを解析して再解釈し、自分のものとして吐き出す行為。なので、「自分が考えたことのない考え」とか「触れたことのない精神性」を自分の中に一回納める必要があるんですね。それは多分、今後の創作にも役立っていくはずだ。
いわゆる「人間観察をせよ」「たくさん本を読め」系のインストラクションなんですけど、「二次創作を書く」のはこういった「観察」からプラス一歩して「実地使用」まで気軽にやれるわけです。メリットが大きい。
あと、そのキャラクターを描くにあたって『そのキャラクターっぽい別人になってないか』、『都合のいい人形劇になっていないか』、『そのキャラクターの本当の核は何か』みたいなことを考えるトレーニングにもなるはず。
これは一次創作にも持って帰れるノウハウのはずだ。「弥津彦は全知ではあるが、人の心は覗かない」とか「『銀』は道具としての自分に誇りを持っている」とか……。
デメリットとしては「今後同じ精神性を持ったキャラクターを作るときに『そのキャラクターの再演』になる可能性がある」ので、
×ウケたのは内輪の二次創作だからである。
はい。ウケたのは「そのキャラクターの共通認識が強固に出来ている」っていう大前提があることを忘れないようにします。
一次創作をしよう2020。
というわけで
しばらく一本完結する一次創作してなかったし、いい機会なので何か書いてみようと思います。何で書こうかなー?
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