アカシック・カフェ【2-2 閉じた大屋根・開く本音】
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すっかり冷めていたであろうコーヒーを、淹れ直しを固辞した彼は一口飲む。ゆっくりと嚥下して、問い直す。語気は幾らか軽く、永愛の残酷すぎた一刀で、逆に重苦しい緊張の糸は斬られたらしい。
「……つまり、です。『もしこっちの道を選んだら』って、そういうのを見たいんですよ」
「申し訳ないけど、そういうのはアカシックスの――アカシックレコードの範疇の外側です。アカシックレコードには、イフはない」
「どっちかって言うと、占いやオカルトの領域?ですね」
丁寧に答える俺に、永愛がさらに続ける。……その後に、反応はない。そんなにショックだったのか、言葉を選んでいるのか。如何せん、何に悩んでいるのかがわからないと助け船も出しようがない。同じ結論に達したのか、砕氷船を出港させたのは俺ではなく永愛。
「何があったんですか?お兄さん」
「あった……というほどのことは、ないんだけど」
「そんな人を、矢車さんはここにやりませんよ」
矢車の旦那からの紹介で来る人は、基本的にどうにもならなくなった人ばかりだ。後悔や、悲しみや、忘れ物。そういう過去の、自分の根っこそのものに、今の自分の枝葉までからめとられた人間が、「合言葉」と苦悶を胸にここに来る。多少の思い違いがあったとはいえ、相談者様の悩みは本物のはず。ならば尊重するほかない。
そのあたり、誰かさんの紹介とは違うんだよな。
俺は、彼のと同じく冷めたコーヒーを軽く口にして、質問を変える。すっと、気持ちが収斂された気がする。オーダーが無茶苦茶でもなんでも、まずは話を聞かなきゃ始まらん。
「話せるところからでいいんです。少なくとも矢車さんに少しは話せたんでしょう?」
「……えぇ、まぁそうですけれど」
「ちょっとずつでいいので、教えてくれると助かります。あとのことは私たちと一緒に考えましょう」
胸に手を当て、穏やかな笑みを浮かべる永愛。本当は、契約前誓約書の書き途中に話を深掘りするのは悪手だし、バッドマナーでもある。けど、話が転がった以上は進む。話を転がすために進む。
しばしの、何度目かの沈黙の後。相談者は、ほんの数秒の間、じっと組んだ両手を見て考え込んでいた。そして、ぐっと頷き、意を決してバッグから取り出したのは、一枚の、未開封のCD。
「……これ、見てください」
そのジャケットには、古びた洋館とピアノ、そして一人の女性が写っていた。元は純白だったであろう外壁には蔦が走り、ところどころヒビが入っているようにも見える。女性の足元の草は真っ黒なピアノの脚の半分ほどの高さまで生い茂っている。そんなピアノに体を預けた女性のドレスは、空と同じ青。真っ直ぐにこちらに向いた目と微笑みは、どこか無責任な気楽さを湛えている。
「これ、僕の幼馴染なんです」
「へぇ。綺麗な人ですね」
「えぇ、昔から、綺麗な音を弾くやつでした」
永愛と彼のピアニスト評が噛み合ってない。この場合、どちらかといえば相談者の視点と瞳がやや虚ろでズレている。ぼうとして、だけど熱を持っている。幼馴染を自慢するような誇らしさに収まらない、憧れと、行き過ぎた穏やかさのある声色。長い指がそれと似た優しさでそっとケースを撫でる。
これって、あれかなぁ。
「つまり、その……彼女と一緒に成れたかも、とか。そういう可能性を見たいんですか?」
「違います」
断言だ。強い意志だ。今日一番のはっきりした言葉に、永愛が小さく跳ねた。もっての外だと言わんばかりの重みで首をゆっくり横に振り、彼は続けて吐露する。ケースを取った手には力がこもり、プラスチックが小さく軋む音がした。
「僕も……もしかしたら、今頃は『こう』だったんじゃないかって」
「こう、というと」
「CDデビューってことですか?」
「まぁ、ありていに言えば、ね」
自嘲するように微笑んで、彼はケースを再度テーブルに置いた。かつん、と硬質で寂し気な告白のピリオドが打たれた。
>>つづく>>
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