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情熱の始まり ーニッポン放送開局70周年記念公演 舞台「138億年未満」を観劇してー

初めに…。
12月中旬の某日、大阪サンケイホールブリーゼで上演された舞台「138億年未満」を鑑賞した。

鑑賞して感じたことを言葉で残したいので、文章を書こうと思う。

筆者である私は1995年生まれの作間担である。私は高校生の頃から理系人間であるため、少し固い文章になること、少し理屈っぽくなるところがある。私は感情が薄い人間である。高い語彙力も持ち合わせていない。そういう人間であることを理解していただいた上でこの文章を読んでいただけると幸いである。
自分がこの舞台を通して感じたことを忘れたくないという備忘録的なものである。

大千秋楽後にあげるので大丈夫であると思うが、この先はネタバレ。(シーン展開やセリフ等はうろ覚えなのでニュアンス)

(舞台について)
今回の舞台はストリートプレイ。
事務所の人が出る舞台はミュージカルが多い印象なので、歌を歌わないストリートプレイに出るのは珍しいなと発表された時に思った。
またこの舞台ではワイヤレスマイクを使用しない。
舞台の展開はとても目まぐるしい。高校時代と2000年時の話が入り組んでいるので、演じておられる俳優さんたちはこの舞台で何度早替えをしているのだろうと思った。
(板について)
舞台は回り舞台で、真ん中に建物があり舞台が回るたびに、岡山駅になったり、マルマン座になったり、教室になったり、大阪の韮沢の家になったり、小渕の通うシナリオ教室になったりする。

【ストーリー】(所々で感じたことを《》内に記載する。)
この舞台前半は大きく分けて3つの場所時間で描かれる。
1996年岡山県玉野市 
映画部の小渕勲(作間龍斗)とダンス部の韮沢カスミ(桜井日奈子)が高校3年生の時である。
2000年東京
小渕は東京でビジネスホテルの営業をしながら月30本以上の映画をレンタルビデオ屋で借りたり、シナリオ教室に通ったりしていた。
2000年大阪
韮沢は大阪でダンス専攻の大学4年生となっていた。彼女はダンス教室でインストラクターのバイトをしていた。

2001年3月の岡山駅から物語は始まる。
小渕は東京から岡山に帰ってくる。
小渕は岡山駅で高校時代に少しお世話になったラーメン屋の室田が博多に向かおうとしているところに出くわす。
そこに韮沢も現れる。韮沢は「よりにもよって小渕かよ」という。《会いたくなかったのかなぁと思う》

時は遡り1996年8月岡山。
韮沢はダンス部の友人(梓と智子)と共に玉野祭(文化祭)の衣装について話し合っていた。
そこにカメラを回しながら現れるのが小渕ら映画同好会のメンバー(福武・矢田)である。勝手に撮るなというダンス部に対し小渕はこう言う。
「ハート・オブ・ダークネスじゃがぁ〜」
「フランシス・フォード・コッポラのぉ〜」
("ハート・オブ・ダークネス"は1992年に公開された実際にある映画でフランシス・フォード・コッポラ監督の戦争映画の傑作である「地獄の黙示録」の制作過程をとらえたドキュメンタリーらしい。少し見てみたいと思っている。)
要するに映画同好会の3人は玉野祭のメイキングを撮りたいのだ。《とてもまわりくどい笑》
「知識ひけらかして、そんなんだから嫌われとんよ」と映画同好会の3人は言われる。
ダンス部の3人は映画同好会を追い返す。
「私らはいいけど、カスミは撮ってもろた方が良かったかもね〜。我が校のスターやし〜」
「それ言っとんあんたらだけやから!」
そして、3人は帰宅する。

時は流れ2000年東京
小渕はビジネスホテルチェーンの営業をしていた。
仕事終わりに後輩の鋸山とレンタルビデオ店を訪れる。
鋸山はこのレンタルビデオ店のAV旧作を全制覇しているらしい。
鋸山は小渕もAVビデオを借りてるだろうと言うが、履歴をみると小渕は映画ばかり借りていた。
小渕が月に30本映画を借りていることを後輩は不思議に思う。

時を同じくして2000年大阪
韮沢は大学4年生になっていた。同級生の真子と共にオーディションを受ける。
オーディション受けてると楽しくなってしまって踊り続けてしまう真子に韮沢は「普通に受けたら受かるよ!真子はこの学校のスターやし〜」と言う。《岡山時代に自分が言われてきた言葉を同級生に投げる。自分には力がないと感じてしまっているんだろう》
4年間大学でダンスを頑張ってきたが、学外で踊る機会はほとんどなかった韮沢。真子は卒業制作を選んでいたが、韮沢は卒論を選んでいた。
せっかく広い世界に出たいと思い大阪に出てきたのに、韮沢は大学と家とバイト先の狭い三角形に閉じ込められたままだと言う。

また時は遡り1996年岡山
映画同好会の3人は福武の実家であるマルマン座の片付けをしていた。
マルマン座は閉館してからしばらく経っており、もうすぐコンビニになると言う。
矢田っちは「コンビニのレジ横に映写機を置いてマルマン座の名残を残せばいいのに」といい、それに対し小渕は「映写機は映画部で買い取ろう」と言う。
矢田は映画に興味はないといいつつ、「部にするには3人必要で〜」と言う。この後矢田の横に小渕と福武が座りベタベタと触りまくる。《ここだいぶ発作間であった。笑いながらキモwと思った。笑》
休憩しようぜ〜といい出し、ポケットからタバコを取り出す。
小渕は「シネマクイ〜ズ!」と叫び、「マッチ!眼帯!(スー)ドヤ顔。」×2回行う。《ここのドヤ顔めちゃくちゃ好きだった。》
3人が休憩しているところに室田先輩が現れる。
矢田のことを「小島の弟みてぇじゃの〜」と言う。《ここ毎公演アドリブが入るが、そのアドリブの様子をニヤニヤ見てる作ちゃんが可愛すぎて、そちらに目を取られた。笑》
そして、室田先輩と共に3人はマルマン座の片付けを続ける。

同じ頃、校内では…
智子は夏休みの校内で彼氏(ヒデキ)とキスをしていたことを問題にされ、文化祭の活動自粛を寺田先生から言われていた。
部長は同意し、文化祭では餃子屋をすると言う。
「キスくらい良くないですか?」という3人に対し、寺田先生は高校生らしい振る舞いをしろという。
智子は「じゃあキスしたくなったらどうすればいいのか」
韮沢は「キスしたい気持ちをガソリンにして、ダンスを頑張ればいいのではないか?」という。
それに対し「そうするとキスしたい気持ちが消えるのではないか?それはヒデキに申し訳ない」と言う。
その会話を聞いていた寺田先生は「そのエネルギーは残るよ。エネルギー保存の法則って知ってるか?」と問う。「キスをしたいと言う気持ちをダンスにするとそのダンスを見た人にエネルギーは届いて保存されるんだよ」と続ける。
その話を聞いた韮沢は上履きを梓と智子に投げ渡し、智子のキスしたい気持ちをダンスにする。
梓と智子はそのダンスを絶賛し、「ダンス続けるんじゃろ」と聞く。韮沢は「舞台芸術学科のダンス専攻に進む」と言う。

マルマン座に寺田先生が忍び込んでいるところを映画同好会の3人と室田先輩は見つける。
寺田先生は映画のポスターを盗もうとしていた。
寺田先生は口止め料として5万円を渡すが、小渕は「映画部の顧問になってくれ」と頼む。
このやり取りの中で寺田先生が下手舞台袖に逃げるのだが、それを作ちゃんが連行してくるのが好きだった。《大千穐楽では連行の時、寺田先生の乳首引っ張ってきてて笑い死ぬかと思った》
室田先輩と矢田っちは寺田先生から口止め料をむしり取ろうとするが、寺田先生は顧問を引き受けると言う。

ここで、韮沢が学校の屋上で踊っている動画が映る。
これは2000年8月大阪の韮沢の家で真子がビデオを見つけ、勝手に再生したものだった。韮沢は映画は撮ったが、不祥事で上映されることはなかったと言う。
韮沢が作った手作り餃子を真子と2人で食べながら会話が進む。
ここで、韮沢は岡山に帰っていないことがわかる。せっかくシティーガールになったのに、岡山に帰るとすぐ岡山の田舎に染められ"カスミっぺ"に戻るのが嫌だと言う。
その発言に対し、真子は「岡山にいる時代の(先程の映像の)カスミは楽しそうだったよ?」と言う。
《その発言をカスミは複雑そうな表情で聞いている。今より昔の方が楽しそうだと言われると大阪に出てきた4年間はなんだったんだろうかとか思ってるのかなぁと感じた。》

時を同じくして、2000年東京
小渕はカルチャースクールのシナリオ講座に通っていた。
彼は会社で書く企画書の向上を目的(建前)とし、シナリオ講座に通っていた。
同じシナリオ教室に通うプロ志望だと言う吉田は少し(だいぶ)嫌味っぽい。
吉田がシナリオ教室の杉浦先生を怒らせ、小渕は追いかける。
(この間に舞台が回る)
なぜか吉田と居酒屋で2人で飲んでいた。
吉田は小渕に「ホテルに行ってセックスしましょう。人生経験も必要でしょう。」と言う。
「セックスします」と何度も叫ぶ吉田の周りで、それを否定し続ける小渕。《ここも発作間出てた。表情豊かだった。》
騒いでいると居酒屋の店員が出てきた。その店員は会社の後輩である鋸山であった。
小渕がシナリオ教室に通っていると聞き、この前のレンタルビデオ店でのやり取りも含め、点と点が線で繋がり、鋸山は小渕が夢を追いかけていることを知る。

時は再び戻り1996年岡山
映画部の3人が韮沢を主演とした文化祭のメイキングを撮っていた。
何度も撮ろうする小渕に対し、韮沢は早く終わってくれと思っている。小渕監督は10m先から撮影を見ている。《10m先から韮沢に駆け寄ってくるスキップ(?)がキモい。これは発作間。"ワンモアテ〜イク!☝️"も公演によって動きが違って、本当にキモい動きをしてる時の韮沢らのツッコミがまた良かった。》
韮沢は「大体なんであんたはそんな遠くから見とん?」と聞くと、小渕は「10m先にいる俺のとこまで気持ちをぶつけて欲しい」という。福武は韮沢に「じゃあお前は踊りよるときどこに向かって踊っとんや?」と聞く。「360度、前後左右、上から下まで。どこから見られとるとか関係なくない?太陽だってどこを照らしてるかなんて気にせんでしょ」という。《自身を太陽に例えるこの時の韮沢は本当に自信に溢れていたんだなぁと思う。また小渕も楽しそうに映画を撮っていて、お互いの好きがぶつかっているのが微笑ましいなと思った。すごくキラキラしていると感じた。》

また時は流れ2000年東京
小渕の通うシナリオ教室に新しく入った戸村。5分間のシナリオを書く宿題に対して115分オーバーの120分のシナリオを書いてきた。それに対して文句をいう吉田。そんな吉田に対し、現実を突きつける戸村。「この1年間に上映された映画は約200本、脚本を専門とする大学を出たのが約800人、30年で24000人。脚本家として仕事ができるのは0.8%だ」と戸村は言う。
そして、小渕に対し「この確率で貴方は仕事を続けることはできるか?」と聞く。中根さんは相手にしなくていいと言うが、小渕は頭の中で何かが切れたのだろう。シナリオ教室を辞める。

時は遡り1996年岡山(文化祭)
フォークダンス部は餃子を売ることになっていた。
踊れないことを観客に謝る韮沢ら。ただ彼女はそんなことで折れる人間ではなかった。
「たーだ?私たちは踊る餃子屋です!」といい、3人は踊り出す。
小渕らはその様子をカメラに収める。

時は流れ2000年大阪
韮沢がダンス講師のバイトをするダンス教室。
韮沢の生徒の親が、韮沢のバイト先の上司であるダンスのコーチに「子供たちはプロを目指しているから学生ではなく、実績のあるコーチにちゃんと指導をしてほしい」という。
コーチは「ダンスは学生だからとか関係なくて、韮沢ちゃんにも能力はあるんですよ」という。
生徒の親が帰ったあと、「飛行機代出すからNY行ってきたらいいよ。1ヶ月も居れば何かしら賞取れるし。韮沢ちゃんは大して才能もないし良くてダンスの講師止まりやから」と言う。
それに対して韮沢は「才能を努力で埋めようとしてるんです」と言うが、コーチに「俺が横綱目指して、なれると思う?」と聞かれ韮沢は一度帰ろうとする。
韮沢は立ち止まり、「エネルギー保存の法則って知ってますか?」と聞く。「才能大事ですよね、わかります。でも、私がダンスに注いできたエネルギーはなくならないですよね」と問う。
それに対しコーチは「知ってるよ。俺物理学科やったから。でもああいうのって、摩擦係数は0とするっていう注意書きが頭につく。タイヤはいつか止まる。摩擦が働かなければ永遠に回るはずだけど、現実世界では摩擦がかかってやがて止まる。物理の問題では摩擦係数を0にしないと問題が成立しないからそうしてるけど、韮沢ちゃんがダンスに注いできたエネルギーは摩擦によってすり減って消費されてしまうねん。"ここ現実やから"」と言う。
《ガチガチの理系(物理化学選択)で過ごしてきた人間にはこのセリフはめちゃくちゃ刺さった。物理の問題上では摩擦は存在しない、でも現実世界は違う。人の感情のエネルギーの消費を摩擦で表現してるのとてもわかりやすくて、それでいて直接的すぎず好きな表現だった。》

2000年東京(レンタルビデオ店)
鋸山とおじさんがAVの取り合いになる。
鋸山とおじさんが話し合いになっている時に、小渕が看板の重しのコンクリートでおじさんを殴る。
小渕には悪びれてる様子はない。それどころか「まだありがとうって言われてない」とほざく。
この態度に鋸山は小渕が会社を辞めたがっていると感じた。それを問い詰めると小渕は鋸山の顔面を思いっきり蹴る。《飛び蹴りが綺麗すぎるよ作ちゃん。脚長いね…。》そして、去ろうとする。
鋸山は「会社を辞めるなら会社のお金押領して、俺にだけ隠し場所教えてくださいよ〜」と冗談を言うが、小渕は「そんな映画みたいなことおきなかったよ」と言う。《現実に対する諦めみたいなものを感じた。》

2001年2月大阪(韮沢の家)
韮沢と真子が韮沢の部屋でお喋りしていると、韮沢の兄が乱入してくる。
韮沢が荷物をまとめていないことを怒る兄。
それを「細やかな抵抗なんじゃないか」と庇う真子。韮沢が自分に相談してくれなかったことも寂しかったのであろう。
真子に対し、「この部屋真子にあげる。韮沢カスミとしてここに住んでよ。名前もあげる。私の名前でダンサーとして有名になってよ。」という韮沢。
真子は「私があんたになったとして、あんたは誰になるん?」と問う
韮沢は「私…?私は誰でもなくなるんだろうな」と言う。
暗転し、韮沢が文化祭の時に受けたインタビューの様子がスクリーンに映し出される。《これからの未来を想像し、夢を語る韮沢。四年後の夢に敗れた姿との対比が実に残酷である。》

物語は後半に突入する。

2001年3月岡山
舞台冒頭の岡山駅で小渕と室田先輩が出会ったシーンから再び始まる。
そこに現れる韮沢。小渕は韮沢に「その鞄ええな」「鞄は安いか高いかじゃない、大きいか小さいかや」「カバンが小さいってことは帰省ってことだろ?俺Uターン」と自分が出戻ってきたことを話す。小渕は帰ってきたことを内緒にしたいらしい。
《「帰ってきたことを友人に連絡した方がええかなぁ?」と言う内容の話をするときの「あぁ〜😟」の表情が作ちゃんのも、日奈子ちゃんのも良すぎて、大好きだった…。》
韮沢も別れ際に、「私もUターン」と叫ぶ。小渕は「OK!内緒なぁ〜」と言う。

2001年博多(ラーメンMUROTA)
室田先輩の博多の店では矢田がバイトとして働いていた。
そこに福武が開店祝いの花輪を持ってくる。
矢田を見つけた福武は矢田に「会いとうなかったじゃろ」と言う。
室田先輩に小渕から「博多の店で働かせてくれないか」という電話がかかってくる。
室田は電話を切った後、「矢田と一緒じゃったで」「小渕は東京に負けて帰ってきて、こっそり働かせてくれんかと言ってきた」と言った。
そして、室田は「田舎に残っとる組を見下してるんだろう」「負け犬はお前ら(小渕や矢田)じゃけぇの」と言い捨てる。
その言葉に「正論!正論、正論、正論、正論、せいろーん!」と矢田がキレる。傷口を抉るようなことを言ってきた室田に「距離感が田舎なんよ!」と言葉をぶつける。

2001年岡山(韮沢が働く産地直送の野菜や果物を売る店)
ほとんど客が来ない、ほぼ休憩をしてるような産地直送の野菜や果物を売る店で韮沢は店番の仕事をしていた。
そこに韮沢の兄がきて、韮沢の高校の制服を持ってくる。「それ着て、地元の高校生がお手伝いしよります〜みたいにして座っとけ」と言う韮沢の兄。韮沢はその言葉にキレる。
その様子を店の様子を見にきていた農家の男も見ていたのだが、その男が「こんな何もないところでも自然などいいとこはあるんだ」と言う。それに対し韮沢は「雨の音が違うんです。雨の音。アスファルトに当たる音と葉っぱに当たる音は全然違う。大阪にいる頃は毎日が刺激的でそんなこと気にもしなかった。花鳥風月に感動するくらい暇になってしまった自分が寂しい。」と言う。

2001年岡山(福武のレンタルビデオ店)
韮沢が福武のレンタルビデオ店を訪れる。
「韮沢ならタダでええよ」という福武に「そう言うと思った。」「だって、あんた私のこと好きじゃったが〜」という韮沢。
「なんで俺が韮沢のこと好きだったかわかったんだ」と聞く福武に対し、「あの頃はみんな私のこと好きじゃったから」と答える韮沢。そんな韮沢に対し、福武は「それでこそ我が校のスター。そのままでおって欲しい。」というが、韮沢は「福武、あんたは見る目がないね」と返す。《韮沢は自分の実力を大阪で痛感しているため、自分は何者にもなれない人間なんだからと思い、この発言が出たのかなと感じた。》

韮沢が帰っていくと、隠れていた小渕と矢田が出てくる。《小渕が出てきながら、「だってあんた私のこと好きじゃったが〜」と韮沢の真似をしながら出てきてたのほんとに面白かった。笑 癖強だった。笑》
韮沢がきた瞬間隠れた小渕と矢田に対し、福武は「お前らはいつまでこそこそしよるんや」と怒る。
そして福武は「スコセッシが日本での撮影場所を探すために岡山にくる。」と言う。「なんとしても玉野に決めてもらうためにPR映画を俺たちで撮ろう」と言い出す。

2001年岡山
小渕らは寺田先生に出てもらいPR映画の撮影をしていた。
そして、休憩することになり小渕と矢田はポケットからタバコを取り出す。タバコを吸いながら「最近タバコうめぇんよねぇ」という小渕。
遠くの景色を見て、「みかんの花ってあんなに綺麗じゃったかなぁ」という。《小渕も先程の韮沢と同様に都会から岡山に帰ってきたことで自然が美しくみえるようになったのだろうなと思った。韮沢はこれを寂しいと言っていたが、小渕がどう思ったのかが気になる》

そこに演劇部が来て、映画を撮る。この様子を韮沢は見学している。
小渕は韮沢に「出る気になった?」と聞く。韮沢は「見学で満足」と言う。
小渕は「韮沢は最近踊りよるん?」と聞く。世間話かのようにそんなことを聞かれ韮沢は怒る。そして踊り出す。足を組んだ姿勢で止まる「今さ、こうなっとるんよ。でも踊るのを辞めたわけじゃない。この一瞬のストップもダンスの一部なんよ。次動き出して初めてこの止まっていた時間がダンスになる」と韮沢は言う。そして「今の私たちが何者なのかは次動き出した時に決まるってこと」と続ける。
《生きていれば立ち止まるというか、強制的に止められてるような時間が生まれることがあると思う。そこで次どう動くかはとても難しい。ただ、完全に韮沢は諦めてはなかったんだなぁとこの場面から感じるので、どう動くかは楽しみだなぁと思う》

1996年岡山
夕日のインサート撮る福武と矢田
ここで矢田は卒業後東京に行って映像関係の仕事に就くと言う。
剣道部の女の子の近くに男の子が走り寄ってると思い、「チューしろー」という2人だが、その走ってきた男は顧問である寺田先生だった。寺田先生が隣町の映画館からポスターを盗み走って逃げているところであった。
これにより映画部は活動自粛となり作成した映画は上映できなくなる。

2001年岡山
韮沢も結局映画に出る。
何度やっても上手く撮れない韮沢に対し、文化祭のメイキングの韮沢がよかったといい、もう一回撮らせてくれと言う小渕ら。
「誰があの時あんな風に私を撮ったのか」と韮沢は聞く。韮沢は「現実の私が一生追いつけない理想の自分を見せられ、現実との差を痛感させられた」と続ける。

2001年岡山(バス停)
タバコを吸いながら小渕らが話す。
「大体映画はできた」と話す小渕と矢田。それに対して、「がっかりだ」と福武が言い出す。「真面目に映画を撮っていて、思っていたのと違う」と福武は言う。
小渕は「スコセッシいつくるん?」と聞くと福武は話をはぐらかす。福武はスコセッシが確実にくるかどうかは知らなかった。
「138億年!」と福武は叫ぶ「宇宙はビックバンで始まって広がり続けてる」と言う。
そして、衝撃を受けた映画を小渕と矢田に聞く。「それが俺たちのビックバンだ」という。
「(その映画を見て)まだ15年しか経っていない。15年前に爆発して、もうおしまい?138億年続けろよ!」と言う。
そして、福武は矢田に殴りかかる。続いて小渕にも。そして、3人で頭突きをする。《ここで小渕と矢田は何か吹っ切れたような感じがある。》

2001年岡山(韮沢が働く産地直送の野菜や果物を売る店)
韮沢が働く店にオックス明美という女性がやってくる。
カードしか持っておらず、とても嫌味っぽい。
そして一度去っていく。
小渕は韮沢に映画が中止になってしまったことを謝る。
そして、オックス明美が現金(ドル)を持って戻ってくる。
その後ろには帽子を被った男性(英語しか話さない。オックス明美が通訳する)(劇中では明言されないが、スコセッシだと思われる)が立っていた。
その男性に「まだ映画は完成していないが映画を見て欲しい」と小渕は言う。男性は「言い訳ばかりしているから映画が完成しないんだ」と言う。
そして去ろうとする小渕は「あなたの映画に救われた」と伝える。するとその男性は「救われただけで済んだならよかった。俺は映画に呪われた」と言う。

そしてこう言う。
"Movies, and art, are under the jurisdiction of the devil. I was chosen by the devil and cursed, and I am made to create movies in the prison of the devil. Even if I want to escape, I can't. The devil appears in front of you with the face of God. If you only see the face of God and feel being saved, you are lucky. Stay that way. Don't wake up. Don't come any closer. Stay there. You will be happier. You can stay as a movie fan. But I'm here, in the jurisdiction of the devil."
(この部分は劇中では翻訳されない。パンフレットの一番後ろにこのセリフが記載されている。)

このセリフを訳すと以下のようになる。
「映画や芸術は悪魔によって取り仕切られている。私は悪魔に選ばれ、そして呪われ、悪魔の牢獄で映画を作らされている。たとえ逃げたいと思ってもそうすることはできない。悪魔は神の顔をしてあなたの前に現れる。もしあなたが神の顔を見て救われると感じたならば幸運である。そこにずっといろ。目覚めるな。近寄るな。そこにいろ。そうすればあなたはもっと幸せでいられる。ただの映画のファンでいることができる。しかし私はここにいる、悪魔の支配下にいる。」
《この男性(スコセッシ)はおそらく夢を叶えた人。だが、その夢を叶えた先にあった現実に苦しめられているのかなと感じた。芸術というものに囚われ抜け出せなくなり、好きだったものに支配され、もがいているのかなと思う》

この言葉を聞いて、韮沢は「英語わからんでよかった〜。よかったんよね…?」と小渕に問う。
小渕は「うん」と答える。《しかし、小渕の表情などから、おそらく小渕はこの男性が言いたかったことをほぼ理解していたのではないかと私は思った。》

1997年3月岡山駅
韮沢を兄が見送りに来ていた。カバンいっぱいに詰めた缶詰などの食料を韮沢に持たせ、見送った。
そこに小渕もやってくる。
夢と希望に満ち溢れている小渕と韮沢。
小渕は楽しそうにこう話す。「お互い別のフィールドで有名になって、後から小渕監督と韮沢カスミックスって高校一緒だったんだって」(この後に毎回違うアドリブが入るのだが作間龍斗すぎる)「俺うざくない?」「ちょっと浮かれとんかも」と続ける。
韮沢は「ちょっとは考える?うまくいかんかった時のこと。」と聞く。小渕は「隕石が落ちてきたらって?」と答えると「いや考えんな。」と韮沢は言う。「そーゆーこと!」と小渕は言い、ここでこの物語は幕が下りる。

【舞台「138億年未満」を通して感じたこと】
高校時代の小渕と韮沢はやりたいことに溢れていた。やりたいことがあり、それを続けれると信じて疑わない自信があるように感じた。(私も10代の頃根拠のない自信がいつもあったのでそのような感じだと思う。)
それぞれの夢を叶えるため、希望を持ってそれぞれ玉野を離れた。小渕は東京で、韮沢は大阪で4年間暮らすうちに、日常生活による摩擦でその希望たちは消費されていってしまう。現実を突きつけられるのだ。
同じタイミングでUターンした2人。"もう何者にもなれないかもしれない。でもまだ何かできるかもしれない。" そんなふうに思いながら日々を過ごしていたのかもしれないと感じた。
立ち止まっている状態だが、何かはしたい。22歳の人生の"もがき"を感じた。

この物語は小渕と韮沢が22歳で終わるが、この後この2人そして周りを取り囲む人々がどのような人生を歩んでいくのかとても気になる。
夢に敗れUターンしたとはいえ、"まだ"22歳なのだ。この物語で描かれている時代であれば、大学進学をしない人も多かったのかもしれないが、現在は大学進学をする人は描かれている時代より多いし、22歳は大学を卒業して、これからどう歩んでいくかを考えるような年齢であると思う。まだまだ夢を諦めるには早い気もしてしまうのだ。
小渕の人生に関してはスコセッシ監督の言葉を理解しているかしていないかによって大きく変わると思う(私は小渕はこの言葉を理解してると解釈したが)。スコセッシ監督の言葉を受け、彼はどのような人生を選ぶのだろうか…。
韮沢は小渕と2人のシーンで、「今は止まっているけど、この後どう動き出すかでここの意味が変わってくる」と言うシーンがあるため、どこか動き出したいという思いを常に心の片隅に持っていると思われる。
もしかしたらここからもう一度動き出せば2人とも何者かになれるかもしれない。
終わりのシーンが小渕と韮沢の夢と希望に満ち溢れた表情で終わるが、この後小渕と韮沢がどう言う人生を歩むかが分かっているからこそ、このシーンに心を打たれる。
このときの2人の煌めきは続かない。でもこの煌めきが続いてほしかったとも思うのだ。

少し私の話をする。
私も最近まで夢を追う人であった。ある道で成功したいと思いずっと学びを続けてきた。約8年(大学時代からいれると約11年)同じ分野にいた。だが、私は今の道では何者にもなれなかった。来年から全く違う道を歩もうとしている。この何年かで私が感じていることがある。何者かになるためには努力や才能はもちろん必要だが、"運"というものが必要になってくる。何かに失敗した時に"運"が悪かったと言うと言い訳に聞こえるかもしれないが、"運"よく成功している人が多いのも事実である。チャンスなんてものは意外なところに転がっていることもあれば、全然見つからない時もある。夢が叶わなかったときにはいろんなことを考えてしまう。でも、何かに向けて直向きに頑張ってきた期間はきっと無駄にならない。私はそう信じている。
だから、きっと小渕や韮沢もこの4年間から得たものをエネルギーにして、新たなビックバンを起こしてくれるのではないかと思う。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもないこの物語。現実味が強くて心に深く刺さった。
そうだ、現実ってこうだよなと思った。
私はまだ29年しか人生を歩んでいないが、生きていれば良いときもあるし、悪いときもある。その全てに意味がある。どっかしらで帳尻合わせられてるんだろうなと思うこともある。
人生は死ぬまで続く。山あり谷ありたまに迂回もしたり。それが70年なのか80年なのか、100年なのかはまぁわからないが、その終わりを迎える時に"いい人生"だったと思えればそれはハッピーエンドなのかもしれない。

【岡山弁】
私の祖母が岡山県玉野市の出身で、今も岡山に親戚がいる。なので、岡山弁には聞き馴染みがあり嬉しかった。
私の祖母は7人兄妹(男2.女5)で私の祖母が末っ子である。その祖母の兄弟の子供や孫が勢揃いする親戚の集まりが2年に1度夏に開かれていた。歳の近かった又従姉妹が岡山の親戚の子でその子たちとよくトランプやUNOをした。たった1泊2日ともに過ごすだけなのに、その集まりがあった後1-2週間くらいはいつも岡山弁と関西弁のハーフみたいな言葉を私は喋っていた。
また岡山にも行きたいなぁと思った。

【共演者の方について】(めちゃくちゃ話したいのだけど、長くなりそうなのでさらっと)
・桜井日奈子さん
日奈子ちゃんの声がとても好きだなぁと思いながら舞台を見ていた。
あと、ダンス大変だったんじゃないかと思う。コンテンポラリーに近いダンス。結構身体を酷使されてるように感じた。
1996年のキラキラと2000年の目の光を失ったようなの演技の切り替えがすごくて、リアリティを感じた。

・若林時英さん
映画部の中で一番現実を見てるのは福武だなぁと思った。実は一番現実味があると思う。叶うかどうかは別として、夢を追える人ってそう多くはないから。
「138億年!」と叫ぶシーンがやっぱり印象的。もう一回聞きたいなぁ。

・中野周平さん
矢田ってちょっと小渕と福武のことを下に見てるのかなぁって私は思った。
「正論!正論、正論、正論、正論、せいろーん!」のシーンめちゃくちゃ好き。矢田は外の世界で現実を見てきたからこそ言いたいことあるよなぁと思った。

・倉沢杏奈さん
韮沢が連れ戻される時に韮沢に寄り添う真子が好きだった。真子も夢を追ってる途中だと思うんだけど、一緒に夢を追っていた韮沢がいなくなるのはすごく辛かったんじゃないかなぁと思った。
オックス明美の嫌味っぽい感じの方もほんとに嫌な女って感じで好きだった。

・菊池銀河さん
鋸山の「せーんぱーい」が今も頭にこびりついて離れない。笑
フォークダンス部の部長で、文化祭の出し物他の部に取られてるやつ言う時の動きがめっちゃ癖だった。(あと捌ける時に引き戸を力強く閉めすぎて毎回ちょっと枠動いてるの笑いそうになったの私だけですか…?笑)

・井上向日葵さん
今回見てる中で一番好きになってしまったのが井上向日葵さん。梓も戸村さんもすごく好きで…。
特に戸村さんの長台詞のところが、現実を突きつけてるのに声が明るくて、そのギャップが大好きだった。

・相原未来さん
印象的なのは吉田さん(私がシナリオ教室のシーンが好きすぎるだけなんだが)。癖強だった。「セックスします!」も強烈だった。笑
あとは戸村さんに言いまかされてサイレンのように泣くシーン。あの泣き声また聞きたいなぁ。

・永島敬三さん
ダンスコーチのシーンが印象的。韮沢に現実世界にある摩擦を教えるシーン。残酷なんだよな。あのシーン言ってることに対して、声が優しいから余計に辛い…。

・山口航太さん
岡山駅での室田先輩が3号店の手の出し方がこれ🤟だったんだよな。笑
室田先輩若干治安悪い。近くにああいう人いたらできるだけ関わりたくないかも〜。そう思わせてくれるような人柄を演じてる俳優さんってやっぱりすごいなぁと思った。

【作間龍斗さんについて】
作ちゃんについて少し語りたい。
とにかくよかった。それに尽きる。(語彙力を放棄するとこうなる)
作ちゃんが出るので、舞台を観に行ったが、板の上にいたのは確実に"小渕勲"であった。小渕勲の人生を生きていた。
でも所々に見える作ちゃんの片鱗。笑
その姿がすごく楽しそうで、イキイキしていて、多分それができるのはカンパニーの雰囲気がよかったからだろうなと感じた。素敵なカンパニーに恵まれてよかった。
発作間もいたんだけど、でも、やっぱり"小渕勲"だった。不思議なことに。作ちゃんの凄さを改めて感じた。
AVやセックス等普段の作ちゃんの口からは発されないような言葉が聞けた。タバコを吸っている姿もかっこよかった…。
普段から作ちゃんの声は好きだが、マイクを通さない作ちゃんのクリアな声を聞けたのはとても嬉しかった。
あと、セリフがないときの細かい表情や動作がほんとに素晴らしかった!"目は口ほどに物を言う"なんて言うけど、作ちゃんの目は本当に口より達者にお喋りする。その目をこれからも見たいと思った。他の人のセリフの間の目線や細かい動きが本当に自然で"小渕勲"がどのような人なのかがすごく伝わってきた。いろんな人の人生を演じる作間龍斗が見たいと思った。
あと脚の長い小渕くんも好きだけど、私は大きな手の小渕くんが好きだよ。

優斗が退所する報告の4日後(9/23)に上がったブログで、最初に"まず、僕はステージに立ち続けます。"と言ってくれた作ちゃん。
"きっと皆さんが思っているよりもステージに立つことが好きです。"とも教えてくれた。
そんな彼がステージに立っているところをBINGO大阪以来に生で観た。
作ちゃんはHiHiに誘われなければ99.999%この世界を辞めるつもりだったといろんな媒体で言っている。
作ちゃんは「HiHiは自分を見つけてくれた居場所だ」と言っていたから、HiHiが5人でなくなるとなったとき、いつかいなくなっちゃうんじゃとも思った。
9/23のブログで"これからも作間を見ていてください。"とも言ってくれていたんだけど、この目で作ちゃんが舞台に立ってるのを観るまですごい不安だった。だけど、今回の舞台を観て作ちゃんがすごい楽しそうにお芝居してて、「あぁ、またこの姿をこれからもずっと見ていられるのかな」って思った。
彼がステージに立つことが好きだということがほんとに伝わってきた舞台だった。
この仕事を続けてくれてありがとう。

"作間龍斗"を通じて素敵な作品に出会うことができ、本当に幸せである。
元々舞台を見るのは好きな私だが、また好きな作品が増えた。
作間龍斗さん。この世に存在してくれてありがとう。
貴方が生きる時代と同じ時代を生きていれることが本当に嬉しい。私は貴方のことを知ってまだまだ日は浅く、貴方のことを多く語れるようなオタクではないが、貴方を知って今応援できていることが幸せである。これからも貴方にいろんな場所で活躍してほしいし、可能な限りその姿をこの目で観に行きたいと思っている。そして、これからも貴方に愛を伝え続けたい。

作ちゃん大好きだよ!💜

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