一日一笑
「私、誰の役にも立ってない。」
あの時の私は、ただでさえ仕事ができないのに体調を崩し、思うように頭も体も動かなくて、自分の存在意義を見失っていた。完全に悲観モードだった。
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そんな日々の中で、知人とカフェに行った。
いつものように私は一方的にべらべら話してしまったのだけど、
「私、昔はお金をもっている人が偉いって、本気で思ってたんだよね。」
「お金がない人は、人に意見する権利もないと思ってた。」
「馬鹿だよね。発言するのにお金なんていらない、株主総会じゃないんだから。(※)」
そのセリフが、なぜだか相手に妙にウケタのだ。要因としては、知人が株主関連の仕事をしていることが大きかったと思う。それでも、私の些細な一言で相手がこんなに笑顔になってくれたことが、本当に嬉しくて。仕事じゃなくて、こんなプライベートの他愛のない一言でも、人を幸せにできるんだって思った。自分が存在していいような気がした。
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それから1ヶ月間、「一日一笑」をテーマに暮らした。
「一日一笑」とは、1日に1回は他人を笑顔にすることだ。
▼実際に行った「一日一笑」▼
カフェでトイレの場所を案内したら、ありがとうと笑顔をもらった。
朝、自分の寝癖の恥ずかしさに負けず、同じマンションの人に会釈してみた。向こうもペコリと会釈が返ってきた。
飲食店で「セキグチ」さんと聞き間違えられる。一瞬、セキグチさんでやり過ごそうと思ったが、後日もこの名前を使うことを思い出し、変な間で訂正した。店員のお兄さんがくしゃっと笑った。
なお、私の名前は「セキグチ」とは一文字も被っていない。テニススクールでバックストロークを華麗に決めたら、コーチがわざわざ私の方を振り返って褒めてくれた。周りのレッスン生もコーチも私も笑顔になった。
オンライン会議。相手が画面の向こうで静かにクスッと笑ってくれた。
ファーストフード店でテイクアウトで注文したつもりが、イートインで商品が出てきた。お姉さんは笑顔だった。私はその笑顔を守った。
取っ手のついた袋の受け渡し。私は相手が取っ手を掴めるように、底を支えて渡そうとしたら、相手も底側に手を出していて、2人で思わず笑ってしまった。
家電量販店の前にて。周りの人々は自分に夢中で、笑顔で呼び込むお兄さんを無視している。気付いてもいないのかも。私はお兄さんに微笑みを返した。
この対応でいいのか!?みたいのもあるけれども、自分が思った以上に、私は他人を笑顔にできていた。こんなダメな自分でも、他人のためにやれることはあった。
私は「役に立つ」を大きく捉えすぎていたのかもしれない。確かに、世界中に知れ渡るサービスを作るクリエイター、人の命を救う医療従事者は、紛れもなく誰かの役に立っているだろう。素晴らしいと思うし、尊敬する。憧れもする。
でも、目の前の1人コンマ数秒を笑わせることだって、役に立つに入れていいと思うし、それはそれでかけがえないことだと思うんだ。思うんだよ。