【#ぞらくがき】ヒグチアイのうふふプロジェクト 応募エッセイ
zoraです。約1年半前、アイさんに会いたいがためにかなり力を入れて書いた応募エッセイを公開してみます。アイさんに褒めていただいてとても嬉しかった記憶があります。テーマは「渋谷での思い出」。今読み返すと少々肩ひじ張りすぎているような気もしますが、そのまま載せてしまいます。
渋谷での思い出
日常、無彩色の場所にいると、自分はこの程度で別に良いのではないかというような諦念が身体を纏う。決して「自分」より上に浮き上がることはないこの感覚。良く言えば安住、悪く言えば停滞。私はこれを叩き壊したい衝動にかられることがある。その感情にそぐうのが渋谷である。渋谷に立ち、私は自分とは違う無数のきらめきを吸う。誰にも馴染まないほどの崇高な姿勢の持ち主、また彼らによって生み出されたものが寄ってたかって渋谷を構成している。私はその内側から、それでいて構成員ではなく傍観者、いや受益者として渋谷を見るのだ。
東急百貨店で母と高級品を眺めた。友人と109に行き、あの場所が放つ強いエネルギーに圧倒された。塾の講習が渋谷であったときには、宮益坂口のパン屋で普段は口にしない値段のパンを買った。タワレコの上階で、最前線をひた走っているような心地になった。数多のファッションビルを渡り歩き、好きなだけ好きな服を味わった。粗野なセンター街の看板と、ぽつりと空いた薄汚い路地の一角を見て、甘美な憂いに浸った。そのすべての瞬間、私は「自分」から離れ浮遊しているような感覚に陥る。渋谷が持つ、あらゆるものをすべて織り交ぜて渦を創り出す強靭さと、にも関わらずそれが持続しなさそうな儚さと危うさを持ち合わせた渋谷の虜に、私はなっているのである。
だからこそ、私にとって渋谷は定住する場所ではない。あくまで行く場所である。もし定住してしまったとしたら?渋谷までもが色を失い、私はいつ何時も「自分」から逃れられない。渋谷をたまに吸うからこそ、「自分」の先を見ることができるのだ。
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