夏、7週間と4〜7日目

信介以上にいい人なんていくらでもいるけど、信介がよかったんだ。
真奈美は、すべてを放棄したこの2日間の最後、午前4時に、やっとあの時の感情を言語化できた。

「過去に遊んでた子を、本気で好きになれないのかもしれない」
信介は、目尻、それから目頭の順に涙を落としながら、それでも静かな瞳に、間違いなく真奈美を映して言った。
この言葉はもう何回も聞いていた。その上でも真奈美は、その上でも、最後の指1本を離せないでいた。でも言葉は通じなかった。なにを言っても、一点張りだった。そのうち身体が砂になって、心臓の部分だけをぽっかりくり抜かれた気分になって、もうどうしようもないのだと、この夜にはもう時間は残されていないのだと悟った。

「ちょっと俺歯だけ磨くわ」
「無理しなくていいよ、ゆっくりで」
3時間とすこし経った頃、信介はそう言って、本当に洗面台に行ってしまった。
涙に押しつけられて、立ち上がろうにも立ち上がれずにどうしようもなかったのが、急に生活の外に放り出されて、やっと目が覚めた。

本当の別れ際のどっちつかずな態度とエゴまみれのハグやキス、手繋ぎには呆れたけれど、唐突な暴言で笑わせてやった。
信介は大げさにちいさくなった表情で、本当に涙を流していた。その姿が、好きなタイプとはやっぱり正反対で笑った。
それで終わった。


今日、街一番の花火大会には行かなかった。
出会った時の窓の外は、かえるが大音量で鳴いていた。今は、秋めいた鈴虫の声が、静かな夜に流れている。毎年夏のドライブで聴くプレイリストを、今年は全然聴けなかった。それでもよかったのに。
あぁ、やり切れずにいる。朝になって夜になって次の日になっても、やり切れずに、信介と過ごした時間と、叶えられなかった約束、信介に喜んでもらおうって漠然と、信介が寝ている隣で企んでいたこと、信介と過ごす誕生日やクリスマスへの期待や、信介が行きたいって言った場所、好きな食べ物が書いてあるメモを、どこにどう捨てるのか、仕舞うのか、その意思はない。

「でもこの数ヶ月は無駄じゃなかったよ」「真奈美ちゃんがいたおかげで、これは本当に、楽しかった」
うん、にもならない音を発音しながら、真奈美は、心臓をくり抜かれた身体の端っこで、記憶を消す装置があったらよかったと思った。

数時間後には結衣とアイスを食べながら、そんな装置があったらいくらでも出す、と言った。
写真は全部消した。

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