パレ・ド・トーキョー・アイ・ラヴ・ユー
はじめに
参加しているnoteメンバーシップ「オトナの美術研究会」での月1お題企画「旅と美術館」で書いております。
フランス、パリへ旅へ行った時のお話です。
パリと言えば、美術好きならまずルーヴル美術館でしょ?かもしれませんが、ルーヴル美術館を訪れた人のストーリーは多いと思うので、あえて外して「パレ・ド・トーキョー」を訪れたことを書きたいと思います。
ルーヴルやオルセーには旅の前半に行って、ひと通りキャーキャーワーワーと騒いだ後、旅の最後に訪れた美術館、それが「パレ・ド・トーキョー」でした。パリに東京と名のつく美術館があるらしい、しかも現代アート専門の美術館。当時現代アートLOVEなワタシは、なにそれ?行く!ってことで行きました。
10年以上前のことです。
パレ・ド・トーキョーとは
現在
セーヌ川沿いにある現代アートの美術館で、左右の棟に分かれた構造の建物になっており、左翼(西側)に「パレ・ド・トーキョー」があります。右翼(東側)はパリ市立近代美術館です。
「パレ・ド・トーキョー」はコレクションを持たず、自主企画の展覧会を行っている美術館。「パリ市立近代美術館」にはピカソ、モディリアーニ、ブラック、ユトリロなどなどの作品からマティスの連作、ラウル・デュフィの壁画まで有名所のコレクションがあります。
歴史
<1800年代ー1910年代頃>タペストリー工場だった場所が軍用地となる。そこはセーヌ川の河岸で、第一次世界大戦同盟国の日本の首都東京という名の「東京通り」が建物沿いの通りの名称になる。
<1937年>パリ万博の時に近代美術宮殿として建物が建設され、「パレ・ド・トーキョー(東京宮)」と呼ばれるようになる。その後は国立近代美術館とパリ市立美術館となる。
<1939ー45年>第二次世界大戦では敵国になったため、「東京通り」は「ニューヨーク通り」に変更。建物の名前は残る。地下室はユダヤ人の財産を隔離する倉庫になっていたとか。
<1976年ー1977年>国立近代美術館はポンピドゥ・センターとして別の場所へ移動して開館。
<1978年>美術館とエッセイの博物館として開館。19世紀後半の絵画やピカソの作品、ポンピドゥへ移動しなかった作品などを所蔵する。
<1986ー1988年頃>西側建物に一時的に国立の映像・音響研究所や国立写真センターが入る。
<1998年>西側建物スペースの再開発プロジェクトは放棄。
<1999年>西側建物を現代アートの普及のための創造の場にすることが決定。
<2002年>内部を一部修復して「パレ・ド・トーキョー」としてオープン。
<2012年>修復と改修工事を経て再オープン。
長々と建物の歴史について書きましたが(パレ・ド・トーキョーのウェブサイトから一部引用)、東西の建物全体が「パレ・ド・トーキョー」なのですよね。西側の建物はそのまま「パレ・ド・トーキョー」の名前の美術館で、東側は「パリ市立美術館」ってことですね。
館内の様子
ワタシが訪れたのは、西側の「パレ・ド・トーキョー」の方です。今思うと、東側の「パリ市立近代美術館」へなぜ行かなかったのか?パレ・ド・トーキョーは夜12時まで空いているのに、なぜ?両方の美術館に行けたではないか?と思ってしまいますが、そこは若さゆえ。リサーチ不足です。
展示
展示は天井に張り巡らされたパイプ、オブジェなど。作品の解説などは読まず(読めず)に作品そのものをとにかく観まくるだけだったので、何かしら勉強してから訪れれば良かったのにと悔やまれます。作品の解説があったのかどうかも記憶がないのですが。しかし自分の落ち度含めて全て若気の至りということで、その時はとにかく楽しんだのでした。
何より印象に残っているのは、ボディペインティングをした人々のどでかいポスターの数々です。振り返ってみて思ったのですが、ボディペインティングって体をキャンバスにして色をつけるから、描く対象は唯一無二ですね。
大量生産されたものではない、個人の体は遺伝子レベルで考えても同じものは誰1人いない訳ですから。クローンだと同じですが、クローンを使ったアート作品ってあるのかな?と思ってみたり。(クローン文化財ってのはあるみたいですね)
日本ではボディペインティングってタブーなところあるかもしれません。表現方法として強力なパワーを持っていて、直視できないこともあるのではないかと。しかしパリのすごいところなのか、旅の良さなのか「パレ・ド・トーキョー」では軽く見れました。ポスターだったこともあり、1人1人違ったペインティングでシンプルに面白かったのです。
証明写真!
展示以外にも面白かったのは、証明写真機があったことです。来館記念に1枚パシャってことですよね?撮りましたよ。モノクロでした。証明写真が撮れる美術館に出会ったことがなかったので、旅で訪れた貴重な体験だったとつくづく思います。
現在パレ・ド・トーキョーのウェブサイトを見てみると、別の証明写真機が紹介されています。2012年の改修工事で新しい機械にしたのか、元々何種類もあったのか?どちらにしても証明写真機もお洒落なのでした。
おわりに
芸術の都パリはずっと憧れの街であり、若かりし頃に旅で行って又行くぞ!と思っています。パレ・ド・トーキョーも必ずやもう一度行きたい美術館です。(その時は事前の予習を忘れずに!)現在私は東京で暮らしていて、語り始めるとキリがないので省きますが、東京が大好きです。だから大きな声で言わせてください。
パレ・ド・トーキョー・アイ・ラヴ・ユー
パリ・と・トーキョー・アイ・ラヴ・ユー
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?