奥智裕さん愛を垂れ流す
文章と言うには心情を羅列しすぎているが、気持ちを伝えるにはいいかなという結論に至り、あまり推敲せずに書き上げた文章だ。
街人の歌はひかりで、いつでも待っていてくれる温かい場所。例えるなら干したてのふかふかのお布団。
こんなすてきな音楽をつくれる人はほんとうに特別なのに、街人の音楽を聴くたびにどこまでも謙虚でおごらない、温かくて切ない人柄を感じる。ともさんに自信を持ってほしいけれど、不安になってしまうともさんが居るから独りぼっちじゃないんだと思える。
かっこつけてるともさんも、素直なともさんも、全部輝いていてかっこいい。
ここからは私の話。できているかは別として、意識として人にやさしくあろうとしている。
でも自分が1番そういうやさしさが欲しい。決して見返りを求めている訳ではないが、今もらえるやさしさに満ち足りず、やさしくされたいと願ってしまうことがある。
きっと特定のだれかのやさしさとか、そういう話ではなくて、やさしい世界を望んでいるんだと思う。24を聴いて 「優しい歌を歌っていたいのに 優しくされたいのは 僕の方だったんだな」で同じきもちかもしれない、と少し安心してしまった。
ただ、ともさんの歌はやさしいということを私はこれでもかと伝えたい。もう既にとてつもなくやさしい歌を歌っている、眠れない夜に寄り添ってくれてゆっくり背中をさすってくれる街人の音楽に何度も救われている。
できるならずっと街人に鳴らしつづけていてほしいし、ともさんには歌っていてほしい。でももし消えてしまう日が来たら(考えたくもないけれど)絶対に街人の音楽を忘れることは無い。
狂ったように泣いている私に、手を差し伸べてくれるともさんの声があった夜を忘れることは無い。これからも一緒に夜を越えてほしい、なんておこがましいことは言えないが、勝手に街人の音楽と共に夜を越えているきもちでいる私を、どうか笑ってゆるしてほしい。
過去も今も未来も不安で、なにが正解かわからない。自分がやっていることにも自信がなくて、泣くことしかできない。
それでもともさんのやさしさが温めてくれて、ちょっと寒くなくなる。どこかでともさんが生きていることが私の歩みの追い風になっている。
街人が形にして届けてくれた音楽のすべてを愛している、救われている。月がかげり眠れない夜でもいつも光っている星、私にとってのともさんはそんな存在です。
(街人が解散してkaoがまだ発表されていないときに書いた文章です。今はkaoがいてくれて嬉しいです。kaoのtelepathが出たときの文章も、また。)
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