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僕らロックバンドになって

2021年11月4日に書いた文章を整えて公開する。今わたしも(え…?)って思った。2021年ってもう2年前じゃんね。今2023年だけど…どんだけあっためてたん…

街人のロックバンドになってという曲について文章を書く。このときのわたしは毎日時間に、やるべきことに、全部に追われている感覚があった。休むことすらも出来ないし思うように頑張ることもできなかった。

生きている意味がわからなくて辛くて、生きている意味を考えずに日々を大事に出来るひとがどうしても羨ましかった。漠然と悲しくて消えたくなってしまった。

精神を削って生きているなら死んでしまったほうが、なんてしょっちゅう考えていた。これは今もかもしれない…

わたしは普通より(無論普通ってなに?という感じではあるが)希死念慮を抱く頻度が高いと思っている。自分自身としては深さももちろんあって、(驚くほど辛くてしんどくて全て無理なのであきらめさせてください殺してください)とは思うが、実際に自傷行為や自殺企図に至ったことは1度しかない。

しかし些細なことで傷ついて、(もう全部失敗...終了しか選択肢はない...)と思ってしまうのだ。どちらが辛いか、またはどちらも抱えるのが最も辛いか、などは関係ない。

自分の世界は所詮自分のものだから、自分が辛ければだれがなんと言おうと自分が1番辛いと認めてあげていいと思う。まあこれは落ち着いているときのわたしの思考であって、不安定なときは自己嫌悪に襲われてそれどころではないのだけれど…

今回も前置きが長くなったが、「ロックバンドになって」という曲について書きたい。この曲はわたしが全人類に聴いてほしいと思っている、すごくお気に入りでおすすめもしたい曲だ。

街人の音楽はどれもやさしくて、日常に寄り添ってくれる。だから共感することも多く、帰り道で染みて泣きそうになることはあったがまとめて泣く夜に改まって聴いたのは初めてだ。

ロックバンドになってはまずギターやドラムの音たちがなんと言っても絶妙でだいすきだ。うるさすぎず、だからといってThe・バラードといったしんみりした雰囲気を与える訳でもない。

かっこよくかき鳴らす音の中に、"ロックバンドとして"必死にひとを勇気づけようとしている気持ちがひしひしと伝わってくる。ともさんはきっと自分の才能や努力、積み重ねてきたものをひけらかして自慢げにかざすようなひとではないだろう。

バンドは本当に個性豊かで、そういうものを示すことで勇気づける類のバンドも多い。わたし自身その種のバンドも聴くことはあるし、決してその励まし方を否定している訳ではない。

ただ、それに対して、謙虚ゆえの不安を抱えているんだろうな、とこちらが感じるともさんだからこそ作れる音楽が、ロックバンドになってのような温かくてどこか身近に感じられる音楽だという話がしたい。街人の音楽は格段むずかしい言葉を使っている訳ではないが、ハッと気づくことが多い。

"別れてくのはまた会えるから なんて 単純じゃないよな"は特にその例である。当たり前の日々がいとも簡単に消え去ってしまうこと、だいすきなバンドが解散してしまうこと。

そういう儚さ、さびしさ。"悲しいことに流されたくはないよな 悔しがってる時間も勿体ないよな"から感じる、いつまでもしがみついてしまう人間のめんどくささや不安、自己否定。

ロックバンドになってはその全てを肯定してくれるようで、とても安心する。自分でダメだと思った日もさよならする必要はないってともさん言ってるし、人間ってわたしも含めて多くのひとが不器用で、けっこう愛しいのかもなんて思えたりもする。

「がんばれ!前を向け!俺らに着いてこい!ぜったい大丈夫!」ではなくて「そのままでいいよ。後ろを振り向くこと、無理してやめなくていいよ。俺らもたまに挫けるけど君のロックバンドになるよ。信じて。」という手の差し伸べ方をしてくれている。

しかしそういったありのままを受け入れてひたすらにやさしい音楽の最後で「信じてほしいんだ」を残すところが街人というロックバンドだ。「卑屈になっても進めなくなってもいいけど、自分を、俺たちを信じてね。」というメッセージ。

わたしは自分が1番信用ならないからまだまだ街人の願いをすなおに聞けない部分はあるけれど、街人のことは一心に信じたい。現に、この音楽をつくったひとが存在していることが(しかも同じ時代に!)救いだと思っている。

真っ暗な夜だって、この曲を聴いているとこころに固まった黒いさびが少しゆるくなっている気がする。小さな小さな、今にも壊れそうな胸にも火がともされる。

そうやって孤独な闇に灯りをともして目の前をほんのり照らしてくれるのは街人だ。つまり彼らは紛れもなく、わたしのロックバンドだ。

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