CRYAMYとわたし
6月16日、日比谷野外大音楽堂にてCRYAMYのワンマンを見た。吐きそうなほど緊張して会場に向かい、長蛇の物販を諦めて開演。
正直いつ「解散します」と明言されるか気が気じゃなくて、おわりまでずっと落ち着かなかった。それでも、喜怒哀楽ぜんぶ持ち寄ったかけがえのないひとときだった。
1曲1曲について話す気分にはなれないので、心に残ったことを記しておく。
喜
今日を迎えることができて、カワノさんが楽しそうに歌っているのを見られて、うれしかった。おとなりでカワノさんとお話したときに、野音はもう這ってでもやりますからね、と言っていたから、お互いに今日にたどり着けてよかったと思った。
怒
どうしてこんなにたくさんの人が愛を伝えても、カワノさん自身の低い自己評価を真実だと信じて疑わないんだろう。俺ってすごい人間なんじゃないかとか、俺はステージに立っているときは愛されているんだとか、ちょっとは思ってくれたっていいじゃない。
とてもかっこいい乗り方をしていたお姉さんが、ディスタンス辺りからうごかなくなってしまったのをすごく覚えている。カワノさんが最後を匂わせたときから、呆然と立ち尽くす聴き方に変わってしまっていた。
色々な人が泣いたりぼーっとしたりしているのを見て、自分もそうなっていたのは棚にあげて(どうしてこの人たちの手を離そうとするんですか?こんなに想っているのに!)と怒りが湧いた。
哀
こんな感じで怒っていたわけだが、テリトリアルを聴いたら一気に申し訳なくなった。「君の絶望に触れていたいよ」に何度救われたかわからないが、わたしは絶えずカワノさんの絶望に触れようとし続けていただろうか。
触れられないことはわかっていても触れようとし続けていただろうか、そんなことは残念ながらない気がする。こんなんじゃ1人で背負って苦しくなってやめてしまうよな、と納得がいってしまった。
むしろ辞めて気が楽になるならそのほうが幸せだと思ってしまった。
「歌うということは 負けるっていうことだよ」という歌詞がずっと理解できなかったのだが、この日すこし理解できた気がする。カワノさんにとって歌う自分は理想の自分であって、自分のしょうもなさを隅に置いて、音楽を理想の自分に任せてしまうことを「負ける」と表したのかもしれない。
カワノさんはこの上なく誠実にこちらと向き合ってくれていたし、剥き出しに感じたし、カワノさんにしょうもないところなんてないと思う。でもカワノさんがそう思うんだから仕方がないよね。
楽
怒と哀の割合が多く感じるが、実際は楽しい時間も同じくらいあった。これで終わりかもという思いは拭えなくても、純粋な(かっこいい!)で拳を上げて体を揺らして歌詞に泣くことがたくさんできた。
マリアで「死ね」と言わなかったことや光倶楽部で「茶髪がダサい 嘘 似合ってるよ」と言ったこと。他にもなにかあったのを忘れたが、そういうふわりと通り過ぎる風のような優しさに(ああ最後なんだなぁ)と感じつつ微笑んでしまった。
「今日は使いこなす」と言って叫んだところや「完璧な国」と曲振りをしたところ、めちゃくちゃかっこよかったよね。今でも思い出して心臓がぎゅっとなる。
すきだった言葉
「悪い人もいるけどいい人もいるから 忘れないで」
悪い人とたくさん出会ってそれでもいい人に出会ったことを大事にしているカワノさんから出たこの言葉は、とても力があった。わたしも人間不信をかじっているし、こんな思いをするくらいなら1人でいたいと思うことが何度もあった。
それでも人を信じるうつくしさだとか、それがもたらす幸せだとかを教えてもらった。人に裏切られる度にCRYAMYを聴いて泣いて立ち上がってきた今までが思い出されて、きっとこれからもそうなんだと思った。
それでいいのだと、それしかないのだと、思った。
「かっこいいこと言えないけど大事なことってこんくらいのこと かっこよくないこと」
これもかっこよかったよね。大切なことは大それたことじゃなくて、いつもそばにあるものなんだろう。
「ちょっとでも自分を信じて 顔が不細工だとか勉強ができないとかそういうことに飲まれて自分や他人を信じられなくなることがあるかもしれないが」
ちょっとでもと言ってくれる辺り、お客さんの性格が見えているな〜とうれしくなった。わたしはまさにこういうことに飲まれる性質で、自己評価や他人の評価基準に振り回されてしまう。
それでもちょっとでも自分を信じようとしなきゃダメだ、と思った。総じて、今までのようなことがこれからあるだろうが、それでもどうにかやっていくことを任されたライブだった。
おわりに
青空が夕ばみ、暗くなって月が光る。ステージでは大好きな人たちが色々な光に照らされて音楽をつくっていた。
苦しくてカワノさんを見られず空を見上げることが何度かあった。その度(あぁ、空の色が変わってしまう、時間が経っていく)と考えた。
でもそういうものなんだろう。すべてが変わって、どんなにつらくても生きていれば時間が経って命がすり減っていく。それが絶望でもあり希望でもあると感じた。
CRYAMYのライブはいつも終わったあとに苦しくなった。生きなきゃ、と思わされるのがしんどかった。
そうやって生かされてきたのだと思う。「だからあなたが世界よりもだった」。あなたが世界よりも、だったから生きていられた。
すべてのことが自然に移ろう中でCRYAMY・カワノさんと一緒に過ごせたときがあったこと、本当によかった。カワノさんの気持ちもまた流れていく中で、音楽に漂着するときが来たらうれしい。
カワノさんが穏やかな日々の中で過ごしていけますように。これからのわたしが世界のほんのひとかけら、綺麗なものであれますように。