「デザイン」という行為に存在している“矜持”と“やわらかな距離”
普段から取り止めもないことばかりぐるぐる考えていると、自分が今どこにいるのか確認してみたくなります。今回は、僕がデザインを扱う者としてぼんやり考えていることを、所属しているチームの話を交えながら言葉にしてみようと思います。
はじめに
「デザイン」という言葉に出会ったのは小学生の頃でした。
僕たちの担任の先生は少し変わった人で、学級通信に載せるためのイラストを、よくあるカット集からではなく、児童が描いたオリジナルのものから選んでいました。
僕は自分の描いたものが複製され、クラスのみんなの手元に届くのが楽しくて、たくさんのキャラクターを考えては先生のところへ持っていったことを覚えています。
ある時、先生に「将来はこういうことを仕事にしたい」と話すと「それならグラフィックデザイナーになるといいよ」と教えてもらいました。
今思うとそれがどんな仕事なのか理解できていなかったけれど、その瞬間、僕はグラフィックデザイナーになることを決めました。
それから20年ほど経った今、僕はデザイナーを名乗っています。でも、あの頃漠然と思い描いていたのとはちょっと違う仕事をしています。
デザインを幅広く捉えるチーム
僕の所属しているIDL [INFOBAHN DESIGN LAB.](以下IDL)というチームは、単純に“イケてるクリエイティブを制作するチーム”というわけではありません。デザインする対象は、アプリや家電などのプロダクトのこともあれば、形のないサービス、顧客とのコミュニケーションのための指針、はたまた30年後の未来の世界のこともあります。
目に見えないもの・まだ存在しないものをデザインするために、僕たちは小さな変化の兆しや人々の奥底で眠っている想いをインタビューをはじめとしたリサーチによって手繰り寄せ、ワークショップなどの共創・創発のプロセスを駆使して価値を統合・再定義しながら、目に見える・触れられる状態にしていきます。
所属しているのは、いわゆる“デザイン”と名のつくものをバックグラウンドに持つメンバーだけではなく、編集やエンジニアリング、マーケティングなど、多様な専門領域を持つメンバーたちです。「ストラテジスト」「デザイナー」「デザインエンジニア」という肩書きはありますが、それぞれが自らの得意領域を活かしてデザインを取り扱う専門家としてプロジェクトに関わっています。
得意領域を活かすと言っても、たとえば「ビジュアルデザインが得意だから美しいアウトプットを作るだけ」というわけではありません。リサーチの段階でも実行者として参画し、さらにはプロジェクト全体をデザインすることも自らの取り扱う領域に含めています。それは他の強みを持っているメンバーも同様で、全員がお互いの特性を認めた上で、それぞれの観点からカバーし活かし合える関係性が成り立っています。
初めて会う人の家で2時間お話を聞いたり、クライアントとの6時間のワークショップを進行したり……。一見すると「紙やPCに向かって何かをつくる」ようなデザイン行為とは趣が違いますが、常に新たな挑戦や未知の価値に遭遇できるという意味では、実にクリエイティブな行為だと思います。
ところで、絵を描くのが楽しくてグラフィックデザイナーを目指したのに、なぜ幅広い領域を取り扱うチームに飛び込もうと思ったのか? それを語るには、少し時間を遡る必要があります。
それまでの仕事で感じた“不可侵領域”
IDLに所属する前、僕はアプリやWeb、書籍などの制作を行っていました。小学生の頃に思い描いていたものに近い“絵を描く”──いわゆるビジュアルデザインの仕事です。
ところが、どうしても「決められた要件や提供される素材の中で、どれだけいいものがつくれるか?」という発想になってしまい(それはそれで楽しいのですが)、つくっているうちに「これでいいと思える根拠はなんだろうか?」「本当にそうなのか?」「自分のしていることに意味があるのか?」という疑問が生まれ、自分がタッチできない“不可侵領域”があることに悶々としていました。
広がっていくデザインの世界で得た“矜持”
そんな折、IDLに所属することになります。紙の上や画面に映るものをつくっていたところから、不確かなものや目に見えないものも取り扱うことになるわけですが、それほど不安はありませんでした。むしろ、デザインできる対象が広がることにワクワクしたことを覚えています。
実際、様々なプロジェクトに参画していくと、リサーチによって物事の背景にある文脈や理由を知り、対象の“意味”(※1)を考えることで、それまで抱えていた悶々とした想いは探究心や批判精神へと昇華され、それを自覚することによってデザインという行為の本質そのものに深く深く接近している感覚がありました。
最終的につくっていくものは、アプリのモックアップだったり、イラストだったり、動画だったり、概念図や仮想のカタログだったり、プロジェクトに応じてコロコロ変わります。しかし、どんな形態であれ、その根底にある“問い”や“意味”を遡れるようになったことで、自らのアウトプットに対してデザイナーとしての矜持(※2)を持つことができました。
“やわらかな距離”を漂う
デザイン、特にビジュアルデザインは、人やモノや情報の関係性を設計し、個別のオブジェクトと全体の佇まいを磨き上げながら、それらがもたらす“意味”を考えていく行為であろうと思います。そして、僕たちデザイナーはその最中、自らの矜持に厳しく問いかけながら、寄ったり、引いたり、逆さになったり、デザインする対象との間で変化する“やわらかな距離”を漂っています。
対象を批判的に見つめ、“やわらかな距離”で向き合うことができる能力は、デザイナー(あるいは広くものをつくる人々)が本来的に備えている特性のひとつです。その特性ゆえに、たとえ取り扱う対象が大きくなり、プロセスやフレームワークが変わっても、それに対応できるしなやかさがあるのだと思います。
こう考えてみると、実はクライアント(もしかしたらエンドユーザーも)との間にも“やわらかな距離”があるのではないか、と気がつきました。
僕たちの仕事は、自社サービスをつくることでもなく、依頼された内容をそのままつくることでもありません。「誰よりも近くにいるけれど、同時に一歩引いて異なる視点を示し、常に批判的に問いかける」ことは、デザインという行為を常日頃あらゆる距離、あらゆる角度から考えている僕たちだからこそできる関わり方なのではないかと感じています。(※3)
おわりに
小学生の頃に出会った「デザイン」という言葉は、いつの間にか僕を遠いところへ連れてきてくれました。
僕たちを取り巻く環境は変わり続け、人々の価値観も移ろう中、デザインの眼差しをもって答えのない問題に挑むことは、とてもエキサイティングで、僕にとって人生をかけるべき意義深いものです。そして、クライアントやチームメンバーを含む“仲間”とともに取り組むことで、きっとさらに遠い場所にたどり着くのでしょう。
そんなことを思いながら、今日も僕は“やわらかな距離”を漂うのでした。
補足
※1 文中にある引用符付きの“意味”は、ロベルト・ベルガンティ氏の「意味のイノベーション」における文脈を踏まえた「意味」を示しています。
(参考: https://www.worksight.jp/issues/1047.html)
※2 「デザイナーとしての矜持」という言葉は、コンセントの長谷川敦士氏がDesignship2018で語った「Design Confidence」にインスピレーションを受けています。(参考:https://www.slideshare.net/atsushi/design-confidence-designship-2018-124662546)
もう少し意味合いを広げて、問題の解決や“意味”を形作る実行者としての責任や自尊心、審美眼を含むイメージで「矜持」としました。
※3 クライアントとの距離については、(大変恥ずかしながら)Wantedly上に掲載されているインタビューで具体的な事例を踏まえて紹介しています。
https://www.wantedly.com/companies/infobahn/post_articles/242578