苦手な音を聞きながら生きていく
私も、耳が聞こえなくなればいいと思った。そんなことを思うなんて、手話を勉強する者として失格だ。
でも、苦手な音が聞こえなくなれば、どんなに楽に生きられることか。音を聞いて、感情をどうコントロールするかは、自分次第ってわかってる。今日もあの音が、私をおかしくする。
小学6年生、秋。私は鼻水が出ていた。「風邪ひいたかなぁ」と思いながら、学校の廊下を歩いてる時だった。突然教室の方から、児童たちのざわめきが聞こえた。「もしかして自分の思っていることが伝わったのかな」私はそう思った。それから人の咳と咳払いを聞くたびに、「自分の思っていることが伝わっているから咳をするんだ」と思い込み、悲しい気持ちになったり、イライラしたりするようになった。
中学生になった。場面緘黙症のゆえに、いつも暗い顔で下を向いているおとなしい生徒だった私は、苦手な音(咳・咳払い)を聞いて落ち込んでも、誰にも気づいてもらえなかった。人が気を遣うといけないと思い、誰にも相談することもできなかった。
特別支援学校高等部を卒業して、社会人になった。環境が変わり、私は場面緘黙症を克服し、どこにいても元気で明るい性格になった。でも、苦手な音を聞くたびに、悲しい気持ちになったり、泣きたくなったり、イライラしたり……。大人になってからも、変わらなかった。いつも元気で明るいのに、苦手な音を聞いたらネガティブになる。ずっとポジティブでいたいのに、苦手な音を聞いた私の感情は、そうさせてくれなかった。
高等部を卒業してから1年間、障がい者就労継続支援B型事業所(障害者就労施設)の利用者として働き、2年間、就労移行支援事業所(障がい者が就職するスキルを身に着けるために訓練する施設)に通った。
自分の思っていることが伝わっている感じがすることは、職場の職員に話したけど、咳と咳払いが苦手なことはまだ言えなかった。結局、苦手な音を聞いて泣いてしまうから、就職はできず、またB型事業所に通うことになった。私が、人の咳と咳払いが苦手だと相談できたのは、高等部を卒業してから5年後だった。
そんな私にも、得意なことがある。それは手話だ。小学生の頃から手話に興味を持っていた。高校生の時も少し手話の勉強をしていて、社会人になりまた勉強を再開した。地域の手話サークルに参加したり、手話奉仕員養成講座を受講もした。
養成講座を修了した私のもとに、一通の封筒が届いた。市役所の障がい者支援課からだった。『手話通訳者の登録について』と書かれていて、私は「登録したい」と思ったのも束の間、ある思いが脳裏をよぎった。
「私、人の咳苦手だからなぁ」
もちろん、私だって咳は出る。風邪をひいた時とか、水を飲んで喉に引っかかった時とか。咳をする人の気持ちはわかる。だから、人に咳をするのを我慢してほしくない。でも、やっぱり咳と咳払いを聞くと、ネガティブな感情が生まれてくるのは、自分ではどうしようもできない。だから、手話通訳者になれないことは、すごく悔しかった。
私は手話検定試験を受験した。人が多くて、会場内でも苦手な音は聞こえてくる。それでもなんとか耐えて、読み取り試験を終えた。次は面接試験。テーマは『自分の夢、または興味のあることを話してください』だった。
私は、聴覚障がい者と聴者の面接官二人を前にして、手話で将来の夢を語った。
『私の夢は、手話通訳者になること。でも今は精神の病気があるから、通訳者になることは難しい。でも、できることを少しずつして、いつか手話通訳者になるために頑張りたい』
笑顔で、落ち着いてゆっくりそう表した。次に面接官から手話で質問があり、手話で答えた。
『通訳者 なりたいと思ったのはいつ?』
『手話奉仕員養成講座 終わった後 通訳者いいなと思った』
『通訳者になったら、頑張りたいことは何?』
『たくさんの人の前に立つのは緊張する。でもろう者(聴覚障がい者)のために伝える。通訳できたらいいなと思う』
最後に笑顔で『ありがとうございました』と手話で表し、会場を後にした。
2か月後、合否の通知が届いた。結果は合格。手話検定試験は、聴覚障がい者と手話でコミュニケーションがとれるかどうかを問うためのものだから、直接手話通訳者に繋がるものではない。でも、ひとつ自信がついたみたいで嬉しかった。
これからも苦手な音を聞いて、泣きたくなるし、イライラすると思う。将来、手話通訳者にはなれないかもしれない。それでも手話で会話をすることは好きだ。夢は叶いそうもないけれど、聴覚障がい者たちとの会話は楽しい。楽しいことを心から楽しんで、色んなことにチャレンジして自信をつけていきたい。私はこれからも、ネガティブな感情と上手く付き合いながら生きていく。
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