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私が求める知性とは

私はよく「知性のある人が好き」といいます。私のいう「知性」とは、単に知識が豊富、というわけではありません。私のいう知性とは、「言葉で相手の意図を汲み取り(または汲み取ろうと努力し)、内容と相手の意図を理解しようとする姿勢」です。私はマニアックな内容を話すことが多いので、どうしても知識を披露するような形になりがちですがただひけらかしたいわけではありません。自分なりの解釈、考えを丁寧に伝えようとした結果、そうなってしまうのです。とはいえ、時には指摘を受けたり、教えてもらったり、意図しないの感想を受け取ることもあります。私自身、すべて正しくて完璧だなんて思っていません。でもそれは、どちらが悪いとか、間違えとか、そういうものでもないのです。どう思ったのか、なんで思ったのか、そこを共有しつつ、深めて、時には改善し、時には温める。この一連ができる人を、「知性のある人」と表現しています。

私は、配信中の荒らしのような暴言も拾うことがあります。私がそのコメントをどう受け取ったのか、そのコメントをしたことでわたしにどう思われるのか。もちろん、拾うことで余計荒れる可能性も理解しています。でも、荒らしや迷惑行為が、その人のすべてとも思いません。いちるの望みをかけて、というと大げさですが、たとえ当人に届かなくても、他のリスナーさんに届けば、価値があるとおもうのです。

人を悪くする要素は、不安、後悔、失敗、孤独などのネガティブなもの、もしくは、無知からくるものだと思っています。今の世の中、人付き合いが雑でも、他人と容易に繋がれてしまい、結果、孤独や無知に繋がっていると思うのです。

慈善活動や世直しをするつもりもありませんが、相手にレッテルを貼り、自分自身「知性」を失いたくないので、自戒も込めて書きました。

現に、私に枠内で叱られ、針のむしろのような状態にもかかわらず、きちんと話を聞いてくださった方もいます。少なくとも、考えを汲み取る姿勢は見えますので、知性のある人と思いますし、私自身伝えてよかったと思います。こころのどこかに、小さくともあかりが灯ったことを期待します。



ゆぃ。

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