薄れる記憶のなかの、美しいあの景色のこと
会社を辞めて、半年が経った。
悲しみでずぶ濡れになったあと、怒りでむりやり焼き尽くすようなことをくりかえす日々だった。
記憶が少しずつ薄れている。喜ばしいことではあるけれど、あの日々のなかで見た美しい景色のことは覚えておきたいと思った。
地下鉄の階段をのぼって
晴れた日に会社の最寄駅の階段で見られる景色が好きだった。
地下鉄の構内の壁はタイル張りだ。蛍光灯の光でぬるりと光る。蛍光灯の白っぽいような黄色っぽいような光を浴びていると、飲み会帰り終電の2本前の電車に乗り込むときの気持ちになる。ここには太陽の光が届かない。地下鉄には夜がある。
地上の出口へ続く階段をのぼる。だんだん太陽の明るさに近づいていく。少し先の壁がガラスになり、太陽の光をはっきりと感じられる。右側には街路樹の葉が見える。光に透ける葉の色は、いつでも若葉のようなやさしい緑だ。その奥の青空。この光のなかで昼寝ができたら最高だ。
大人たちの向こう側の窓
冬、大事な会議だった。デザイナーさんを招いて、次に出る雑誌の表紙の打ち合わせをしていた。8人座れる会議室の席が、珍しくすべて埋まっている。社長と編集長とデザイナーさんの会話が噛み合わない。平社員である私は早々に意見を伝えてしまって、あとはコピー機と会議室を行ったり来たりするくらいしかやることがない。
窓の光がとてもきれいだった。格子状の線が入ったガラス(網入りガラスと言うらしい)の、線の交差点に光が反射してきらきらしていた。冬の曇天に差す光ほどありがたいものはない。
こんがらがった会話を続ける大人たち越しの窓。(ねえ、窓の光がきれいだよ)なんて、誰にも言えない。先生のホームルーム中、遠い席に座る友達とこっそり目配せするような、そんな冬の昼前。
花の色は
今日の昼はサブウェイで買おう。進まない仕事で頭のなかにある小さな水槽がたぷたぷしている。歩くたび、ばしゃばしゃとこぼれていく。
会社の裏から出る。太陽のにおいがしそうなくらい、やさしくて丸い春の陽気。まとまらない考えに気を取られてふらふら歩き、路地を曲がる。
ピンク。
(いや、桜だ)
日光がスポットライトのように桜を照らしている。小さなお寺から外へ手を伸ばすように、桜が路地側へせり出している。
今年も花見の予定はない。休日の予定を立てるのが、月日を追うごとに下手になっている。
(今年の花見はこの桜でおしまいか)
スーツを着たおじさんの隣で、私も写真を撮る。スマホのなかの桜は現実のものより褪せて見えて、生身の自分と花が同じ時間を過ごすから美しいのだとわかった。
生き延びなきゃと思った。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?