お互いの謎を愛せる関係【#自己紹介バッグへの道】
5ACがほしい。
毎日のように頭をよぎる。
その前に、書いておきたいことがある。あきやさんのマルジェラの記事にあった「謎を謎のままにできる」ということについて。
「どうしてあきらめるの?」
恋人がいた。大学生から社会人にかけて、4年付き合った。付き合っている期間は、ほとんどの時間を彼と過ごしていた。お互いのことを深く知り合えていたと思う。
別れを切り出したのは私だった。理由はいくつもある。少しずつ心が離れたのは、「言葉にしすぎてしまったから」なのかもしれないと思っている。
恋人は端的に言えば、心の機微に疎い人だった。ASDやADHDの診断を受けており、人間関係に悩みの尽きない彼自身も、そうした性質を自覚しているようだった。
初めて私が彼に怒ったとき、理由をいくらか説明するも理解していなさそうな様子を見て、私は「もういい!」と言い放った。そのまま黙ろうとする私に、彼は「理解したいからちゃんと説明してほしい」と言う。
そのときの私は「寄り添おうとしてくれているんだな」「察してもらおうなんて甘えた態度をとってはいけないな」と好意的に受け止めて、それ以来、自分の気持ちはなるべく言葉にして伝えるようにしていた。自分の気持ちを整理するトレーニングになったと思う。いっぽうで、私は繊細な気質を持っていたので、たびたび自分の気持ちを一方的に言わなければならないことに申し訳なさを感じていた。
そのうち、「これは私が気にしすぎなんだと思うけど」とか「私が偏屈なんだと思うけど」とか、そんな枕詞をつけないと自分の気持ちを言えなくなった。おそらく彼は、その枕詞を額面通りに受け取っていた。しまいには、「君のことをこんなに受け止められるのは俺しかいないと思う」とのたまうまでになっていた(これも当時は好意的に受け止めていたが、のちのち大ダメージをくらった)。
今思えば、自分で言った枕詞に自分で傷ついていた。「そんなことないよ」と言われたくて言っていた。彼が察してくれる人ではないことをわかっていたはずなのに。
その後、彼と喧嘩して、どうしてもそれ以上自分の気持ちを話したくなくないというときが来た。つらくてたまらない気持ちを、言葉にして伝えるのがしんどかった。彼は「どうしてあきらめるの?」と言った。
全身にずしん!と重力がかかるようだった。私が私の気持ちを言わないことは、言いたくないと思うことは、何かをあきらめることなのだろうか。私は彼に理解されなくても、自分で気持ちの整理をつければいいかなと思っていた。私の気持ちは必ず理解されないといけないものなのだろうか。
言葉を尽くしても、自分の気持ちのすべてを伝えることはできない。言葉を探してやっと伝えても、本当に伝わっているかはわからない。とても疲れる行為なのだ。そもそも不快の根本は、寝不足であるとか、生理前であるとか、相手の言動や具体的な事象によるものではない場合もある。それも相手が納得できる言葉で伝えなければならない。
相手が理解できないということで、なぜ私がこんなにしんどい思いをしなければならないのか。「人に理解されない感情や、言葉にできない感情を持ってはいけないのでは」とよぎるくらい、疲れた。
だんだんと、彼に気持ちを伝えることや負の感情を出すことをやめていった。言葉にして伝えるよりも、イライラを隠すほうがましだった。口をつぐんだすえに、私が限界に達した。
すべてを理解しなくても
いつからか、人の言動も自分の言動も、何らかの理由を見出さずにいられなくなった。納得できる理由をつけて、安心を得ていたのだと思う。でも、恋人と会話を交わしながら、人間はそんなに簡単に理由付けできるものではないことも知った。そりゃそうだよね、人間も生き物だから。
いっぽう、親は私の気持ちを聞きたがることはなかった。泣きながら帰っても、理由を聞きだしたりしない。怒ってても笑ってても、何も聞きださない。仕方ないので、聞いてほしいときは自分で話し出していた。
恋人の件があるまで、親は私に無関心なのだと思っていた。理解しようとすることが愛することなのだと思っていたから、何も聞かれないことが寂しかった。恋人と別れてから、じわじわと「聞かれないことのあたたかさ」を知った。親は私がどんな感情であっても、理由を求めたりしなかった。そのままでいさせてくれた。家は、言葉にならない気持ちを抱えていられる場所だった。
言葉は遅れてやってくる。それを話すも話さないも自由なのだ。話さないからと言って、なかったことになるわけでもない。
すべてを理解しなくても愛することはできる。私は25年もかけて親に教えてもらったのだ。
謎を謎のままに
やっと話が戻ってきた。マルジェラの話だ。
私は「謎を謎のままに」できるバッグが必要だと思っている。私を理解できなくても、むしろ、「理解できないということさえも」愛してくれるような、そんな人に出会いたいのだ。
私は、人間と接するのが得意ではないけれど、人間が好きだ。どれだけ仲良くなっても、理解しきれない。親しくなることは、深い森に迷い込んでいくことに似ている。歩くほどにその深さを知り、全貌を見ることはない。
そうだ。私はお互いの謎を愛せる関係を結びたいのだ。「謎を謎のままに」。ますますバッグが欲しくてたまらない。
おわり
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