EPILOGE FILE:大越 拓人
■大越 拓人 (内野手) 33歳
野球歴25年 社会人野球11年
崎山ジャイアンツ‐崎山中-宮古-岩手大
2024年シーズン、ひとりの男が社会人野球を引退した。男の名前は大越 拓人。新人時代から切り込み隊長を担い、常にスターティングオーダーに名を連ねた。人は言う。玄人好みな選手だと。今回はこの男のエピローグに迫ってみよう。
——引退した今、率直になにを思いますか
「すっきり・・・ですかね」
引退の決断に至るまでシーズン中かなり悩んだという。引退を決意し、野球のない現在を過ごしていると「自分でも意外なほどすっきりしている」という。
——引退決断の理由は
「実は2回ほど考えた時期がありました。1回目は今年の都市対抗二次予選まで。今年の二次予選が岩手県開催だということが分かってから、そこを最後にしようと考えてずっと過ごしてきました。最後負けたとき“これで終わりだな”と感じていました」
——そこから引退宣言をしなかったのはなぜですか
男は業務の都合上、都市対抗二次予選後にチームを離れざるを得なかった。赴任先はベトナム。国際事業関係の仕事を任されたのだった。一時期的とはいえ今シーズンは終幕と同義だった。そうしてチームを離れて1カ月ほどしたある日。「まだ野球やりたいなと思いました。燃え尽きた気でいたのですが、仲間が頑張っている姿はSNSやLINEなどで情報が入ってきていたので。自分でもびっくりの感情でした」
そこからポジティブに考えていたというが。「それでもやっぱり次の目標がみつかりませんでした。今ある自分は本当に練習して練習して積み上げてきたからこそある自分なんです」と目標が曖昧なかですべてを犠牲にしながらこれ以上の努力を積み重ねることには気力が持たないと判断した。これが2回目。ここで男は引退を決意したという。
——周囲からはまだやれたのではという声も多かったようですが
「カラダは非常に元気です。ただやっぱり気力が———」
男は最悪の成績となった30歳のシーズンを過ごして、翌年を最後にするつもりで“やれることはすべてやろう”と決めたという。ウェイトトレーニングにも積極的に取り組み、SNSなどで有名な野球指導者にも教えを乞いた。これが最後だと、時間やカネに糸目はつけなかったともいう。そうして復活した。男はそれまでの逆方向単打スタイルから、時には柵越えもというスタイルにバージョンアップした。周囲の誰もが”変わった”と感じた。
——心残りはありませんか
「ありませんね。選手人生の終盤となるここ3,4年が一番練習していました。最後の自分の可能性に挑戦しきったので心残りはありません。と同時に、やっぱりこれだけ努力しないと結果が出ない。これだけ努力しても結果が出ないときもあることを考えれば、たとえカラダが元気でも中途半端なマインドでは野球を続けることはできないという考えに至りました」
——現役11年。仕事と野球を両立したモチベーションは
「ひとえに感謝ですね。この感謝も2つあります。ひとつは、僕自身はこれまであまり強いチームでプレーしていないから、こうやって社員や観客から注目されるなかで野球できるのが嬉しかったです。私たちが野球しているときに働いてくれている方々がいる。だから野球を出来ているのも事実なので、それでも応援してくれる方々に恩返ししたいという思いがありました」「もうひとつは、コロナ禍で抱いた感謝です。正直、私たちは野球でおカネを生み出すチームではありません。コロナ禍による経費削減でチーム消滅があると本気で思っていました。近年ではきらやか銀行のように全国的にも価値ある野球部が休部した事実があって。それでもJR盛岡硬式野球部は継続した。そこにとてつもない感謝を感じました。だから仕事も頑張ったし、恩返しもしたいとチーム成績にもこだわって結果を出そうとしました」
——大越選手といえば“玄人好みな選手”だとよく言われますが
「嬉しいんですが、玄人好みってどういう意味なんですかね(笑)」
——目立たないけどいい仕事している選手、とかでは
「そうであれば嬉しいです。小さい頃から全力疾走や声出し、カバーリングは欠かさずやってきた自負があるので。引退までそれをやり続けることができたことは私の自慢でもあります。観戦に来てくれた職場の同僚からは“元気だったね” “打ち方おもしろいね”といういわゆる簡単な反応をもらうんです。それはそれでいいんですが、ふらっと見に来た人には分からないところで評価していただけるのはもちろん嬉しいですよ」
男は、全力疾走・声出し・カバーリングが野球の三種の神器だと言う。
——ではセカンドが一番好きですか
「そうですね。セカンドって結構動き回るけど目立たないプレーが多いので。正直、三ゴロとかで一塁後ろまでカバーリングしにいくのって無意味に見えるじゃないですか(笑)でもそれが僕は楽しかった。それこそこれまで能力だけで勝てるような強いチームにいなかったので、そういった姿勢がチームメイトに響けばいいなとも思いながらやっていたので」
——生まれ変わってもセカンドをやりますか
「うーん…キャッチャーやりたいですね。頭使うポジションなので。それと内野ゴロで一塁への無意味なカバーリングがあるじゃないですか(笑)」
この男、変態である。
——野球部で心に残るエピソードは
「青森勤務時代に、日向端将さん(光星学院)宅に週1ペースでお世話になっていたことですかね。練習は盛岡だったので青森在勤で野球を続けるのは厳しいものがありましたが、面倒を見てくれたおかげで楽しい青森生活を送れました。しかもすごいのは当時青森在勤の野球部は7,8名いたのですが、将さんはその全員の面倒を見てくれていました。青森組が野球を続けられる環境を作ってくれた日向端一家にはスーパー感謝です。ちなみに将さんの奥さまは「青森の母」と呼んで崇め奉っていました。チームの功労者でもあり、個人的にもお世話になっていた将さんの引退に際して1打席も与えなかった首脳陣に思うことがないわけでもないのですが———」と若かりし頃の感謝と心の声をダダ漏れで語ってくれた。
——思い出のある練習はありますか
「佐々木陸(宮城教育大)との正面ティーですね。31歳で復活したと思っているのですが、そのときは本当によく練習ができていました。たくさん努力したなというなかで思い浮かぶ情景が彼との正面ティーになりますね。ゲーム感覚でやれるのですが、意外にもタイミングがズラされる。簡単にみえてこれができなければいい投手なんて打てるわけがないですしね」
——思い出深い試合や打席はありますか
「2020年のアマチュア王座でトヨタ自動車東日本に勝って優勝した試合ですね。あの試合9回に追いつかれてベンチ帰ってきたらいつもの“やっぱり勝てないのか”という負けムードに盛り下がっていました」
延長タイブレーク前の円陣。そこで男はこう言い放った。
「みんな少し聞いてくれ。あっちはやっと9回に同点にした。これキツイのは絶対にあっちだから。ずっとプレッシャーかけていったら嫌なのはあっち。延長は守備でも攻撃でも全員で全力で盛り上げていこう」
結果は、延長タイブレークでサヨナラ勝ち。アマチュア王座初優勝を飾った。
「あの言葉からチームがすごく元気になって良い雰囲気になった。延長では攻守ともにすごい勢いを感じた。それで優勝できたから少しでもチカラになれたのかなという嬉しさがこの試合にはある」
——もうひとつ忘れられない大会があるという
「2020年都市対抗二次予選。あの大会は日替わりヒーローで勝ち進んで長い大会となりました。みんなで戦っている感覚がすごく心地よく感じていた。特に初戦の“寺田翼 復活” “菊池大智 躍動”は印象的でした。30歳中盤を迎えて苦しんでいた寺田さん(東北学院大)が復活して、それまで出場機会が少なかった菊池大智(大東)がすごく自信を持ってリードしていた。それが嬉しくて、サードの赤澤(山形大)と2点リードした9回に“この状況泣けてくるなぁ”なんて話をしていたんですけど、軽くピンチになって逆転されそうになったので涙は引っこみました(笑)それも含めていい思い出です」
——これまで対戦して印象に残る投手は
「JR東日本東北の岩佐投手ですね。たった1打席しか対戦していないんですが。三球三振でした。僕は手を出していくタイプなのですが手が出る球がなかった。初球・外角直球。2球目・外スラ。3球目・インスラ。この3球で簡単に料理されました。最後仕方なく振ったんですがダメでした。すごく良い投手だったという印象が強いです」
——社会人野球の魅力はどこにありますか
「ガチ」
―—もう少し詳しくお願いします。
「大人になってからこんなにガチになれることはありませんよ。本気で悔しがれるし。逆に上手くいったときは喜べる。こんなにも内から湧き出る感情に染まることができるのは社会人野球の魅力だと思います。社会人にもなった大人がこれだけガチになれるのは凄いことだと引退を決めた今だからこそ思いますね」
——”大越選手がいたから社会人野球に興味をもった”という声が
「その投稿見ましたよ。あのねこれ・・・めちゃくちゃ嬉しいっす」とデレデレしながらさらにつづけた。「それに限らずSNSで取り上げられることは嬉しかったです。僕は絶対に表に出るようなタイプではないので最高に嬉しかった。だってカバーリングにエクスタシーを感じるような人間ですよ。絶対に出しちゃいけないだろうって」と喜びを隠しきれずにいた。
——今後の選手たちに期待することは
「私が入社した頃より全体的に能力は高いし、まとまりもある。だけどもう少しだけ“勝つ為の工夫”を各々が考えていけるといいなと思いますね。強豪企業にがっぷり四つではもちろん勝てないので。苦言ではなく、良い選手が多いからこそ、そこに期待しています。なんとかそこをこじあけて欲しいなという思いです」
——さいごに伝えたいことはありますか
「すべてに感謝したい気持ちでいっぱいです。トヨタ自動車東日本は岩手県王者として大きな壁として常に立ちはだかってくれてありがとうございました。水沢駒形野球倶楽部は伝統の一戦かのように毎年毎年熱い試合を繰り広げてくれてありがとうございました。そのほか一緒に岩手県社会人野球を盛り上げたすべてのチームに感謝とリスペクトを送りたいです。そしてなにより、野球に快く送り出してくれ勝っても負けても応援し続けてくれた職場のみなさまに心から感謝しています。本当にありがとうございました。」
論理的に野球と向き合う男らしく、言葉をしっかりと選んで話していた。それでいて楽しさは包み隠さず無邪気。本当に野球を考える時間が楽しかったのだろう。選手・大越 拓人、これにて引退。
■仲間からのメッセージ
大越へ
あなたには感謝しています。
あなたが野球部に誘ってくれなければ私はこのチームに出会っていません。
あなたには感謝しています。
あなたが野球部に誘ってくれなければ今の自分がコーチでこのチームにいることはありませんでした。
あなたには感謝しています。
常に高い向上心で野球に向き合っているあなたの姿を見て、チームのメンバーは刺激をもらい、高いモチベーションの中で野球をしています。
あなたには期待しています。
いつかプレーヤーではなく指導者として一緒にこのチームに関われることを。次は私の誘いに乗る番です。
まずは、ゆっくり弱い身体を労ってください。【コーチ・赤澤 裕介】
どんなボールでも喰らい付いて当てるバットコントロールと堅実な守備、なによりチームを勝たせたいという強い気持ち。入社してからあっという間に中心選手になりました。
決して綺麗なプレースタイルではなかったけれど、あなたには『1プレーで試合を変える力』がありました。それが仲間に伝染し、JR盛岡をここまで変貌させたのだと思います。
これからは仕事と家庭に専念すると思いますが、これまでの経験を忘れずに、いつまでもみんなに愛される『大越さん』でいてください。
大越くん。直樹さん優しくなったのかな?って思いました?
大丈夫。いつまでもパシってやるからな笑
11年間本当にお疲れさまでした。【OB:小林 直樹】
大越さんとプレーして5年が経ちました。僕達の間で思い出に残っているプレーはなんでしょうか。自分は、1年目に二遊間として臨んだ都市対抗で取ったゲッツーを今でも鮮明に覚えています。笑
この5年を振り返ると、大越さんに大分振り回されてきたシーズンが多かったなと感じています。笑
その都度首脳陣から大会直前にコンバートを告げられることが多く、様々なポジションを経験しました。毎回「大越が〜〜」と首脳陣から説明を受け、大越さんの状態によって自分の場所が左右されていることが多かったように感じます。まぁつまり何が言いたいかというと、大越さんの選手寿命を伸ばしたのは僕のおかげと言っても過言ではないということです!!冗談ですけどね笑
とは言いつつも、日々共に過ごしている中で、大越さんの「修正能力」は頼もしいなと感じていました。守備、打撃において、内容、型が良くない時期が続いても、時間が経てばしっかりと調整されている事にいつも驚かされていました。日々自分自身の課題と向き合いながら、理想を追い求めて練習していたからではないでしょうか。自分ももう少し自身と向き合って練習していきたいと思います。笑
これまで大変お世話になりました!そして本当にお疲れ様でした。
今後もご飯に連れてってくださいね。笑【後輩:佐々木 陸】
尊敬できる数少ない後輩。自分が知る限りのJR盛岡野球部史上のベストプレイヤーだと思う。同じ時代に同じチームで野球が出来たことに感謝しています。俺はほとんどプレイしてないがw
あなたのおかげで私の引退詐欺が続きましたよ。ありがとう!ボロボロになった体でも常に上達することだけを考え、手を抜かずに練習を続ける姿はチームに良い影響を与えていたと思う。
年々深みのあるプレーで凄みが増していただけに、もう少し見ていたかったけど本当にお疲れ様。
野球が無くなった我々にはなかなか接点がないと思うけど、いつかまたどこかで。【OB:日向端 将】