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EPILOGUE FILE:生平 鷹秀
■生平 鷹秀 (捕) 32歳
野球歴27年 社会人野球10年
高砂スポーツ少年団 ‐ 夏井中学校 ‐ 久慈DREAMS ‐ 大野高校 ‐ 盛岡大学
2024年シーズン、ひとりの男が社会人野球を終えた。男の名前は生平 鷹秀。今年は社会人10年目表彰を受けたシーズンだった。男は“なにも自慢できる能力がない”と常に謙遜するが、仕事と野球を10年もの年月で両立するのは伊達ではない。今回はこの男のエピローグに迫る。
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——引退した今、率直になにを思いますか
「野球って楽しかったんだな…」ですかね。男は走馬灯のようによみがえるこれまでの野球人生をこの一言に込めた。さらにその真意を訪ねると。
「やっぱり野球って日常の大部分を占めていたんだなと。終わった今だからこそ感じますね。僕はたいした成績も残してきたわけではないし、みんなのように学生時代に勝ち上がれるようなチームでプレーしてきたわけでもない。だけどもみんなと会えるのが楽しかった。グランドに行けば誰かに会える。だから、野球って楽しかったんだなって」
——自分はどういう選手でしたか
まず男は「僕に華はありませんでしたね~」とおどけた。「でも自分で言うのもあれですが、味のある選手だったんじゃないですか。なにかが突出している能力の持ち主でもないし、体格的に恵まれているわけでもない。ただすごく下手というわけでもなかったと思う。経験と年齢を重ねるごとに”かゆいところに手が届く”ようなプレーは出来てきたのかなと思います。だから味があるというか、そういう視点で見ている人には分かってもらえるような選手だったんじゃないかと」
——かゆいところに手が届くプレーとは
「いくつかあるんですが、基本的に社会人野球は学生野球と違って年齢差が大きいじゃないですか。そうすると普段の練習でもそうだし、先輩たちがいくら気を使ってくれていても若い選手たちはやりづらさを感じてしまう。だからそれを解消するようなパイプ役ではあろうと入社時から心掛けていました」
——入社時から!?
「はい。大学時代からJR盛岡とはOP戦で何度か対戦していましたし、大学の先輩だった小林直樹さん(軽米高)や田上諒さん(盛大附)がすでにJR盛岡にいたのでなんとなく雰囲気は察していたつもりでした」
——当時はそんなに雰囲気が悪かったのですか
「いえ、決して悪かったわけではないです。先輩たちのメンツのためにもこれだけはしっかり書いといてください(笑)」
「僕には4歳上の兄貴がいて。ただJR盛岡の4歳上の先輩となると、兄貴と同年代のはずなのにすごく大人に見えたんですね。考えとかが大人で安易なことは喋れないなとか。これ野球部同期の高卒選手はもっと感じるだろうなと思っていました。だから、なんとかみんながやりやすい環境を作ろうとすぐに思ったんですよね」と男は入部からすぐに目指すべき方向性を定めていたことを教えてくれた。
「だから先輩もイジッたりして自分より若い子が“あぁこの先輩にこんなこと言ってもいいんだ”とか思えるような空間を作るよう心掛けてきました。練習方針や戦略、起用法にも選手と首脳陣でうまく意思疎通ができていないと感じたときには僕と監督のふたりで話しをする機会も作ってきました。選手と首脳陣が直接やり合うとどうしてもヒエラルキー的にうまくいかない。そこは僕が矢面に立つべきだなと。苦しい思いをするのは自分だけにしたいなと。それでお互いのモヤモヤが解消されてチームとして上昇に向かうならこれ以上はないじゃないですか」と事も無げに言う。
パイプ役。これがこの男の“誰よりもやってきたこと”なのである。派手なプレーで魅せるだけが良い選手ではない。ひっそりとしっかりと咲いて魅せた。
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——捕手として投手陣をリードするのも大変だったのでは
「そうですねぇ・・・これ質問を『めんどくさかった投手は』に変えてもらってもいいですか(笑)」
——構いませんよ
「僕がリードしてきてめんどくさかった投手はふたり。河内山(岩谷堂-オール江刺-JR盛岡-堺シュライクス-アジアンブリーズ)と寺田さん(東北学院大)です!」と男はようやくこの抱えてきた気持ちを全世界に吐露できる機会を得たとばかりに意気揚々と語りだす。
「まずは河内山ですね。140中盤でノビのある速球が武器。良い投手でした。ただ一言でいえば“言うことを聞かない投手”だったんですよ(笑)すごく勝ち気でね。こちらは丁寧に組み上げて配球しているのにオラァァァと投げ込んでしまうときがあって。インコースだけはまだ絶対にいっちゃダメだよ・行くときは勝負賭けていくからそこまでは丁寧に、という意思疎通のもとリードをしているなかでアイツは気分高まってパワーピッチに勝手に切り替えて。結局インコースに投げ込んじゃって痛打ということを何度経験したか。あとは勝手に手を抜くんですよねアイツは」
——手を抜く?
「そうです。勝手に打者の能力を判断して手を抜くときがあるんです。良い球持っているのでしっかり投げれば抑えられるのに。これにムチを入れ続けるのは大変で。なかなか気分屋さんなところもあるのでずっと言い続けるわけにもいかないんですよ。アイツには気持ちよく投げてもらうのが大事なので。本当にいい投手でしたから端から見たらリードしている僕が悪くも映るし(笑)だから”ちゃんと投げてくれよぉぉぉ”と思うことが度々ありましたね」
男の饒舌は止まらない。
「それと寺田さんね。僕が一年目からバッテリー組ませてもらったんですけど、あの人と組むとリードの主導権が寺田さんになるんですよ。サイン出すのは僕なのに。あの人の投球スタイルがあるから僕があまり介入する余地がない。”これは自分の意志を少しでもみせていかないとマズイな”と感じました。なのでどういう投球をしていくかの認識の擦り合わせはかなりやりましたね当時は。やっぱりそこはサインを出すのは僕なので。それでもあの人も意志が強いので一筋縄ではいかなかった(笑)直球が強いからファール取れるのに本人はあまり直球に自信を持っていないので首を振る。そこで変化を選択しても打者に待たれていて痛打。今思うと“もうちょっと僕を信じてくれたらねぇ”という思いがあるんですよ」
——某所では「安心と信頼の寺田・生平」といわれていたことも
「全然安心でもないですよ(笑)嬉しいですけど。でも、とにかく配球や一球が持つ意味の意思疎通は本当に高めていました。たとえば同じ外スラのサインでもゾーン内・ビタビタに・ゾーンから外ボールに・ベース上ワンバウンドにというのはアイコンタクトですべて分かり合えるぐらいになっていた。そういう意味で誉め言葉として安心と信頼と言われるようなバッテリーになれていたのならそれはありがたいことです」
散々吐き出した男は最後にこう締めくくった。
「ふたりともチカラのある良い投手でした。そのふたりの良い時期を任されたのは感じているので、もっと勝たせてあげたかった——―。これが一番の思いです。めんどくさいというのは言葉の妙ですが、このふたりをもっと勝たせてあげることができたんじゃないか、というのが心に引っ掛かっています。手のかかる子ほどかわいい的な感じで、思い出深い投手ふたりでした」
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——盛岡大学の先輩・田上投手はどうでしたか
「あぁ。あの人は全部言うこと聞きますよ。こうしろって言ったらやりますから簡単でした。ただあの人は“今日はこの球投げられない” “この打者にこれは投げたくない”というように急にあれこれ訳の分からない理由をつけてくると時があるんです(笑)実際は投げられるのに。そういう時は”打たれていいから黙って投げてこい!”と思うこともありましたよ。河内山や寺田さんとは違う意味でめんどくさかったですね。でも投手ってみんなそういう生き物じゃないですか(笑)」
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——生まれ変わっても捕手をやりますか
「もちろん…やりません(笑)是が非でも投手か遊撃手をやりたい。やっぱりちょっとは注目されたいじゃないですか」
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——引退を決めた理由や時期はいつですか
「先輩から“10年はやりなさいよ”と言われたことがあり、ひとまず10年を目標にしてはいました」
——今年その10年目を迎えました
「10年目だから即引退ということではありませんでした。バリバリ出ていたらそんなことは考えなかったかもしれませんが、そうではなかったので内心引退を決めつつも例年より打てたり投げられたりしていたので迷いながらシーズンを過ごしていました」
「決め手となったのは若手捕手の台頭ですね。湊彩世(青森大)、菊池捷人(岩手大)。立て続けに活きの良い捕手が入ってきた。これならもう任せて大丈夫だなと思ったんです。自身の区切りでもあった10年目にそれが偶然にも重なったので、ならばここで引退だろうと。この後輩たちなら任せても大丈夫。迷いは吹っ切れました」
——もう少しやれたのでは?心残りはありませんか
「もともと能力値が高い選手でもないですし、これが限界だろうと。ただ、もう一本ホームランを打ちたかったですねぇ」
男は野球人生初ホームランを岩手県営球場で行われた都市対抗二次予選vsJR東日本東北で放った。レフトポール際に滞空時間の長い放物線を描いた。当時を振り返り、めちゃくちゃ嬉しかったし社会人野球で一番思い出に残るプレーはそれだったかなとも。夢のような感じだった。それをもう一度味わうことができなかったことが心残りだったと語った。
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——出場機会が減っていくのはどう感じていたのか
「三森(富士大)が入ってきたときもそうだったんですが、“チームが勝てれば嬉しい”というのが本音だったので”なぜ俺を使わないんだ”とはなっていませんでした。一年目からそういう考えでしたので、チームの為になにができるかだけを考えていましたね」と。もちろん選手である以上プレーでの貢献がプライオリティ的には上位にくるはずで、一生懸命練習をしていたうえでの考えである。
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——チームメイトとの思い出のエピソードはありますか
「やっぱり僕はみんなと比較して優れている部分はないと思うんですよ。そんななかで田上さんが“お前は上手いぞ” “生平が一番投げやすかったぞ”と言ってくれたのが嬉しかったですかね」こんな僕にも期待して応援してくれる人間がいる。それが原動力になっていたようだ。
——数年前に引退の危機があったそうですが
「数年前の冬トレでプール練習があったんですよ。練習場所がなかったので。あれは嫌でしたねぇ。僕は泳げないんですよ。あのプール練習が嫌で本気で野球を辞めようかと思いました。辛くて辛くて(笑)」と人知れず引退に追い込まれていた時期があったそうだ。
——今、若い頃の自分に声を掛けるとしたら
「もうちょっと打撃に関心持ちなさい」ですかね。「ちゃんと強く振るようになったのは社会人なってからで。それまではチーム事情もあったんですが、右打ちしていればいいやぐらいにしか考えていなくて。学生時代は役割に徹しすぎていたのなかとも思います」
「捕手をしていても強く振ってくる選手はそれだけで考える必要が生まれますし、相手にとっても嫌なはずなんですよね。それを自分がしなくてどうするんだと今更ながらに感じ始めていたので、もっと若い頃に気づいて行動しなさいよと言いたいです」
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——社会人野球の魅力はどんなところでしたか
「自分のような選手でもひとつのチカラになって、いわゆるエリート街道を歩んできた強豪企業チームの選手らとやり合えるのが魅力ですかね。あとは自分自身をひとつ成長させられること。学生野球では得られない養分がここにはあります。技術的に上手くなったこともあるし、リード面での駆け引きだけでなく、色んな性格の投手に対する対応の引き出しも増えた。技術だけではない人間的魅力を成長させることができるのは、社会人野球に触れたからこそ。これらをひっくるめて魅力としたいです」
——これからのチームに期待することは
「誰からも応援されるチームになりましょう。たくさんの方々から注目されるようなチームになりつつあります。対戦相手からも審判からもリスペクトを引き出して応援されるような組織になっていって欲しいですね。”自分たちだけでおもしろいのは違うよ”という場面がまだあるので、普段からの立ち居振る舞いから心して欲しい。もちろんチーム内に良い教材となる選手もいるのでね。そうしてファンをひとりでもふたりでも増やしていけるチームになっていって欲しいです」
——さいごに伝えたいことはありますか
「僕みたいに有望な選手ではなくても、このチームなら10年間野球をやれます。野球って番狂わせがあるスポーツなので続けていればなにかが起こせるはずです。ありがたいことに下手くそでもチャンスがあるチーム。たくさんの選手が目指すべきチームになって欲しいし、入ったならば長いこと続けて成長しながらその恩返しをしていって欲しい」
「そしてこれまでたくさんの声援を送ってくださったみなさん。私はたいした成績を残すことは出来ませんでしたが、僕のような選手の“ツウ”なところに気づいて応援してくださりありがとうございました」
男は終始おだやかな口調で、時に饒舌に、昔を懐かしみながら、それでいて未来のチームに溢れんばかりの期待を詰め込んでインタビューを終えた。
捕手・生平鷹秀、これにて引退。
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■仲間からのメッセージ
おいさん!!だいすきです!!【OB:河内山 拓樹】
7年間、感謝しきれないほど大変お世話になりました。
同じポジションで、大学では控えで試合に出れず、試合に出たい一心で感情を爆発させていた自分に対して、大人な対応でいつも的確なアドバイスをくれたりしたおかげで毎日切磋琢磨し、充実した時間を過ごせました。
たかひでさんのキャッチング、球出しの早さ、リードや立ち振る舞いどれをとっても敵いませんでした。特にキャッチングはブレずにピタッと止まりつつ、めちゃめちゃいい音を響かせていて、外野手になった今では本当に気持ち良いなと実感しておりました。そして、玄人好みのいぶし銀の打撃がラストシーズンはみんなが好むような好打者に変身して、引退するのが心から勿体無いと感じます。打撃専念で3年はやれると本気で思います!!
また、私生活においてもたくさん可愛がってくださりありがとうございます。ニコニコ笑顔で優しさ溢れている兄貴的存在なので、たかひでさんをみつけると特に用事がなくてもついついかまって欲しくて話に行ってしまうぐらいまじで好きっす。
誰よりもグランドに来て、練習をする姿はしっかりと目に焼き付いていますし、見習うべき姿です。引退して来年から居ないことが想像つきませんし寂しすぎます。身体中痛い中鞭打ってプレーされていたのでまずはゆっくり休んだ後に、指導者として戻ってきてもらってまたプレーできることを楽しみに試合に出れるように必死に練習します。これからも家族共々お付き合いよろしくお願いします【後輩:三森 寛人】
あなたという本物の捕手が入部してきたことにより偽物捕手は寺田という相棒を奪われただけでなくグランド上で行き場を失い、そこから転々とポジションを変える日々が続きます。それでも惚れ惚れするキャッチング技術を見て入ってきてくれて本当に良かったと思いました。また、ときどき放つ長打の際のあなたの全力疾走している姿に癒されました。長い間お疲れ様でした!引退おめでとう!【OB:日向端 将】
盛岡大学で出会い、社会人でも一緒のチームで野球ができたこと嬉しく思います。怪我や手術と辛い時期もありましたが、よく社会人野球を10年やりきりましたね!JR盛岡の正捕手は生平です。
どんな時でも、チームを勝たせるためにベストプレーをするおいちゃんがいたから、私も含めチームが腐らずに前進し続けられました。広い視野とみんなを励まし、引っ張っていける統率力でこれからは社業に励み、いっぱい嫁孝行をしてください!【OB:田上 諒】