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2020年2月3日 私の作った正月

2020年2月3日(月)
朝。
それほど憂鬱でもなく、けれど起きがたい体をなんとか、布団の外に追いやる。

今日は太陽が見事なはじまりだった。ただ、なんとなく太陽そのものには惹かれない自分がいる。
太陽そのものより、空の色の変化だとかが好きなように思う。今朝も太陽というより、その色の強さだとか、雲にうつる陽だとかが、みごとだったように感じていた。

いつもの時間の地下鉄にのり、いつもの白髪の女性の前を通り、階段をあがり、凍った路面で何度か危うい思いをしながら、会社へ向かった。
コンビニへ立ち寄ったけれど、相変わらずあそこの店員さんはやさしい。飲むヨーグルトと、チョコレートを買った。

午後からずっと一日雪が降り続き、外は真っ白。
節分にかこつけて巻き寿司を食べようと昨日から決めていたけど、なんとスーパーでは売り切れだった。どうにも諦めきれず、向かいの小さなお店に行ったものの棚は空で、昨年騒がれていた恵方巻きの廃棄のニュースは、きちんと対策されているのではないか、とうっすら浮かんだ。それでも諦めきれず、雪の中向かったコンビニで、やっとひとつ、巻き寿司を買えた。
本当は海鮮系がよかったけれど、海鮮のものは残念ながら買えなかった。

よく知りもせぬ行事や季節のものに踊らされるのは、ばかばかしい気もしてくるけど、なんとなく、母が病にかかり亡くなる頃まで、徐々に大切にしだしたそれに、踊らされるのも悪くないと思うようになった。冬至にはかぼちゃを食い、7日にはなんとなくでも草の入った粥を食い、2月3日には豆や巻き寿司を食えばよい。わけなどもなく、それでよいように思う。

年末にはここ数年ちゃんと蕎麦を茹で食べて、年始には(今年は余裕がなくできなかったけど)筑前煮や八幡巻き、だし巻き卵(伊達巻きは好きじゃない)をつくり、いくつかのものを買って小さいお重に詰め、またお雑煮もつくるようになった。
これは母がやっていたわけでもないことだけど、私がそうして続けるうち、不思議なものでただの醤油の香りなのに、お雑煮の汁の香りだけで、ああ正月のにおいだなと感じるようになった。文化はこのようにして出来て行くのだと肌で感じる。
母にはなかったものを己からはじめた、本当小さな誇らしさもある。
これは私の作った正月だ。

恵方巻きをいれた袋をさげ、弱々しい折り畳み傘をさして、家に帰った。不思議なことに、雪が降っていると意外に寒くない。

帰りがけにみた川が、真っ白でとても好かった。なんとなく、雪がまるく積もる様をみていると、幼いときに見ていた絵を思い出す。誰の描いたものなのか、そもそも絵ではなく版画などだったかもしれないけれど、なにかおとぎ話や昔話のような風に思える。

恵方などわからず、いつもの座布団に座り、今日は姉もおらず一人なので喋る心配もなく、なんとなく、しずかに恵方巻きを食べた。

今日は仕事もそれなりに穏やかに終えられ、少し安心した。

それでは、また。

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