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2020年2月4日 ただの沼
2020年2月4日(火)
朝。
いつもより寒く、つらい朝。
というのも、昨晩、安心して眠りにつこうと布団に潜り込み足を伸ばした先、猫の粗相に気がつき、ばたばたと駄目になったものをよけ、ひとまずの毛布一枚で眠りについた。今日は姉が休みで助かった。
昨晩からずっと降り続いたのか窓にはべったりと雪がはりついていた。大きな陽をうけ輝き、みるみるうちに溶けて落ちてゆく。
雪が多く降った翌日の朝は、いつもの歩道が細い一本の獣道へと変わる。朝早くは除雪もなく、本当に朝早く通ったであろう誰かの足跡分の道しかない。
私はこれが苦手だ。
やっとできた道は、端が踏み固められ、真ん中が盛り上がって歩きにくく、また前方から人が来ると、どちらがどれほど避けるのか読みあいになり(どうにも、避けてくれない人もいる)後方から人が来ると、少しでも早く歩かなくてはと気が急ぐ。
道が鏡のように凍った時は、みんなそろそろと慎重に信号をわたり、車も、そのゆっくりとした走りから、同じように気をつけて思いやるような様子があり、何か仲間意識ような愛らしさを感じるけれど、雪の積もった日は全く逆だ。
今朝もなんとか、雪道をやりぬき、地下鉄にのった。
今朝は、いや昨晩からずっと虫の居所が悪くて、仕事でも何かと立て続けにおこり、情けなくやるせなく、本当にどうしようもない一日だった。こういう日は最初に他人を憎んで見捨て、次に己を嫌悪している。
そうしてもうだめだと汚い沼のまわりをぐるりと歩きながら、真っ暗な沼を眺めて、次第になんだ大したことのないただの沼だと気がつき、何か食べよう、と調子を戻す。単純ないきものだと思う。
しあわせとふしあわせの、悲しみとよろこびは人生に同じだけあるとよくきくけど、こういう日はそういうことが嘘だと腹立たしく感じる。
出来るだけ己が満足できるであろう食料を買い、手袋をしなければすぐに指先の感覚がしなくなる冬、家に帰った。
コインランドリーですっかりきれいになった布団は、寝床の良さをあらためて教えてくれる。
ああ、やはり幸と不幸は均衡がとれているのかもしれない。
それでは、また。