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2020年1月26日 正しく冬を感じられる喜び
2020年1月26日(日)
昼、起きた。
昨日の思い通り、バターを買いに行こうかと考え、牛乳をレンジで温めドーナツを食べ、特に食べたくもないカップ焼きそばに湯を入れ、化粧をはじめたものの、焼きそばを食べてこたつで眠ってしまった。どうにも眠る癖がついてしまった気がする。
ひどくだらけた時間だけど、あの心地よい昼寝に成功したのはしあわせだった。
途中だった準備を再開し、すっかりと行動が遅くなってしまったことに後悔していたけれど、気がつけば暮れゆく空がほんのりと赤みを持っていてうつくしく、暮れてしまう前に、外に出て見に行かなければ!と興奮気味にでかけた。
外に誘われる、ということを、初めてちゃんと感じた。
一歩出れば、部屋にいる頃はつらい寒さが、むしろ心地よく感じられる。手や顔の調子がおかしくなるほどの冷気すら、正しく冬を感じられる喜びがある。雪道での足音、感覚ひとつ、なぜだか何もかもがわくわくした。
部屋で見たとおり空はうつくしく、興奮気味に写真を撮った。怪訝そうな車や人に、昨日同様に、こんなに空がうつくしいのに、私だけが知っているような気がした。帰路につく子も親も、それがどれだけうつくしいのか、知っているんだろうか。
日記をつけだしてから、多くのことが朝おこっているように感じていたけれど、今日は夜もすこし近く感じられうれしかった。
コンビニで用を済ませたあと、気に入りのファミレスで本を読みながら日記を書こうと立ち寄った。
先日も日記に書いたけれど、私の大好きな時間だ。どうか今後も何事もなくあるように願う。
一人にはやや広い席で本を読んだり(といってもだいたいの時間は、文字を目で追うだけで考え事をする時間だった)、こうして日記を書いたりしていると、後ろの席の年配の女性二人組の会話が耳に入った。
彼女の母が八十の頃に亡くなったことと、自身の今を比べ、病気だとか、自分もどう終わって行くかだとか、そういう話をしていた。話の終わりを明るく冗談めいて話す彼女が笑いながら、恐らく仰け反って背もたれに当たった。
ファミレスではひとつの薄い背もたれを、背後の人と共有しているから、当然ながら彼女が背を預けた衝撃が、本を持つ私にもドンと伝わる。
そのとき、言いようのない感情がわっと満ちた。本当にわけがわからないけれど、わかるよと抱きしめたい、泣きたくなるような気持ちがした。
まさかそんな風に感じるとは思わなくて、ちょっと自分に引いてしまった。
きっとそれを感じさせたのは、私のさみしさだし、彼女を思っての優しさではなく、己への慰めだった。それはそれで、面白い瞬間だった。
父や母の生き様、死に様で気付いた己の醜さや、姉を抱きしめたときに感じた、無や、底冷えした己を知るくせに、我が身かわいさでこういうことは芽生える。
ここ数年ずっと自分の中にあるのは、己の居場所についてでだ。
これまでずっと自分で自分のこつこつと作った巣をめちゃめちゃにする、ということを繰り返してきたように思う。
きっとどこかに、己の本当の居場所があるはずだという夢想が消えない。
今日ぼんやりと、志村ふくみさんと若松英輔さんの書簡をおさめた「緋の舟」を読むうち、己の場を探す気持ちと、誰かの鏡になりたい、誰かを愛したいという、ばらばらとした己の夢は、同じではないのかと感じた。
暮れてゆく町、明けてゆく町、その空のうつくしさを、この日々の人々の生活のいとおしさを、私はあらわすことができない。きっと宮本さんは歌にするだろうし、私はそこに愛おしい自分を見つけることが出来るんだろう。けれど、やはり私も、あらわしたい。
己の居場所はどこかにあるのでもなく、誰かの歌の中でも、誰かを愛することのみでもなく、もしかすると、自分が場となることなのではないかと、自分そのものが、己の探す場となるのではないかと、少し小さな種のようなものを見つけたように思う。
先日の日記で父や母の懸命な願いや祈りの遺りが私であると、そう書いたけれど、それが始まりであるように思う。私はまずはじまりとして、彼らの場になったんじゃないか。
やめたいけれど、続けなくてはという何かがある。
何かに結実することを願っている。
まずは明日、穏やかにすごせますように。
それでは、また。
(バターを買い忘れてしまった)