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ぶん殴り小学校

私はぶん殴り小学校を卒業しているので躊躇なく人を殴れる。昨日も、バイト先のコンビニで私に執拗な嫌がらせを繰り返す上司を一人殴り、その上司からいつも私を守ってくれていた同僚二人を殴った。殴る度に自分が一般的な倫理・道徳から遠ざかるのを感じるが、そういった校風の中で多感な時期を過ごしてしまったので恐らくもう一生変えられない。
ぶん殴り小学校は横浜市の海沿いにある小高い丘の上にある。通学路の坂道は子供にとっては急だったが、その勾配を黄色い帽子にランドセル姿の生徒達が毎朝列を作って息を切らしながら登校する姿は、近所の年寄り達の眼には微笑ましい光景として映っていた。授業は国算理社体などに加え、英語があった。私達の世代で教科に英語を取り入れていたのは小学校としては比較的早かったように思う。スローガンは「すくすく育て ぶん小の子」だ。要するによくある普通の小学校なのだが、学校名がぶん殴り小学校だったため全体的になんとなく人を殴ってOKみたいな空気があった。全校生徒、挨拶代わりに、返事代わりに、連絡代わりに、告白代わりに、四六時中とにかく殴り合っていた。当時、めちゃイケなどに代表されるフジテレビ的ノリが流行っていたため、巨大な雰囲気、気分で理屈を飲み込むのが楽しいと感じていたのもあった。学校名の由来については、創立時の名称一般公募がニュー速(VIP)の住民に見つかってしまったことにより事故的にこうなったと入学式のしおりに書いてあった。そのため私達は、足し算や引き算を習う前に2ちゃんのノリという概念の存在を知っている。一般公募は必ずしも多数決にする必要はないはずだが、創立者が民主主義とインターネットを曲解していたのか、全体の9割を占める「ぶん殴り小学校」の組織票は大衆の声として採用され、これが私達の母校の名前となった。私達は2ちゃんねるのノリから生まれ、めちゃイケのノリを培養液として育ち、こうして他人をノリで殴る大人となったのだ。
今日もまた今からバイトだ。シフトは昨日と同じメンバー。どういう顔で出勤するか一晩考えたが、結局答えが出ないまま店の前に着いてしまった。私達、ぶん小卒業生は殴ることに躊躇はないが、普通に後悔はする。やはり世の中にはノリで蹂躙出来ない理屈が存在するし、どうやら雰囲気や気分というものも、時代や状況によって簡単に形を変えるらしい。
しかし、今こういったことを考えていても仕方がない。私はひとまずその憂鬱を一旦横に置き、ドアを押すことにした。入口を抜けると、そこには昨日殴った三人が待ち構えるように横に並んでいた。恐る恐る顔を見てみると、三人とも何故かはにかんだような表情をしている。私は不思議に感じたが、すぐに「まさか」と思った。
「もしかして、三人ともぶん殴り小学校の卒業生ですか?」
結果から言うと違っていたし、別にはにかんでもなかったし、その後普通に通報されて余罪も見つかって刑務所に入るのだけど、その一瞬だけは少しテンションが上がった。

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