ひとりごと
スピリチュアルな物事に関してはちょっとあの人信心深いのかな?くらいの立ち位置でいたいなぁと思うなどしている。
神社で敬意を払って参拝する的な立ち位置というか。
見守ってくれる存在を否定する気もないし、いるんだろうなとは思ってはいる。
見えるわけではないから、信じきれないというのもあるし、でも心のどこかで信じたいと願う自分もいる、という複雑な気持ち。
何事もやりすぎは良くないというか、傾倒しすぎてあまりにも心を砕くのはしんどいと言うのもある。強制されるの嫌だし。
スピリチュアル的なものもおそらくそういう世界もあるよね、と言うか。
パワーストーンとか、浄化のお香とかもこれがあれば絶対大丈夫なものとかではなくて、頭が痛くなるかもしれない時に使う手段としての頭痛薬とか、胃薬的な常備薬の様な安心材料的な立ち位置のお守りとして考えている。
(あくまでも自分の中の考えなのでこの考えを他の人に強制するつもりもないし否定する気もない)(人は人、自分は自分)
神社でもらうお守りもそう言うものだと思うし。
もちろん敬意を払って扱ってはいる。物は大事にしたいしね。
キラキラしているものばかりではなく、多分信じれば見返りがあるとかそう言ったものでもないだろうし、願望に対する代償というか等価交換的な価値のあるものを払う必要はあるのだけれど、それも強制されるものではなく、お供えもするといいかもね位なゆったりとしたものというか。
まぁビジネスでやってる人からしたらお金を払えばもっといいことありますよ。
見返りがありますよー的な事を言うのが正解になってしまうのだろうけど。
それはあくまで商売だからやってるし言うんだろうな、と。
物質社会的には価値あるものがお金とか高価なものだから払う必要性はもちろんある。貰ってばかりでは成り立たない仕組みができているし。
なんとなく願いの代償に払うもの大きさやエネルギーの大きさは比例しないと言うのが言いたかったことかもしれない。
軽やかなエネルギーが多分好かれるし重く受け止められないと言うか。
実際何かをできているわけでもないしそんな立場でもないので、
絶対こうしろなどと言うのは言葉として強すぎるので、ふんわりと的を得ない感じのひとりごとでした。表現するのは自由。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?