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僕が世界の日常を旅したい理由


これまでたくさんの国を旅してきた。


高校一年生のときのマレーシアに始まり、インドやネパール、バングラデシュ、東南アジアの国々やカザフスタンやキルギスなど、


来月からはスリランカやマダガスカル、5度目のインドを旅する予定だ。


僕の旅は、主に公共交通機関やバイクの運転で地方都市や村を回るスタイル。


要するに、観光地ではなく、世界のなんでもない日常を見ることが好きなんだと思う。


じゃあ、どうして僕が観光地ではなく、世界の日常を見たいのか、その理由について書いておこうと思う。

僕と話してくれたせいでスクールバスに遅刻しそうな男の子 in 南インド


今回のテーマは、なぜ僕が世界の「日常」を知りたいのかについて。


その答えを簡単にまとめると、


「世界中の人はみんな優しい」と思って生きていきたいから。


でも、「世界中の人はみんな優しい」と思って生きていきたいから僕は世界の日常を知りたいって、因果関係がちんぷんかんぷんすぎるね。

だからちゃんとこれを読んでるあなたに、そして将来これを読んでる自分自身に伝わるように説明していきます。


休み時間に自習をがんばっている男の子 in ネパール


まず僕がバックパッカー旅の目的地を考えるときの前提として、こんな二項対立がある。


地方都市や農村にいる現地人→みんな優しい
観光地にいる現地人→意地悪な人が紛れている


これは極論すぎるんじゃ?って思うかもしれないけど、僕が行った多くの国でこれはあてはまっていた。


なぜなら、前者にはいなくて、後者にだけいる職種があるからだ。


観光客をターゲットとした詐欺師やぼったくり、押し売りだ。


簡単に言えば、僕はこの人達になるべく出会わないように旅をしている。


だって、「世界の人はみんな優しい」と思って生きていきたい僕にとって、その人たちは真逆の存在だから。



ただ、この理論にはざっと二つくらい突っ込みどころがある。


まず、「世界の人はみんな優しい」と思って生きたいなら、詐欺師たちからも優しさを見出さなくちゃいけないのではないか?という点。

そしてもう一つ、世界の「日常」を知りたいと言ったけど、詐欺師たちにとっては、それらの仕事が「日常」なのではないか?という点。


まず前者について。これはもちろん分かっている。けど、分かった上で見て見ぬふりをしている。


想像してみてほしい。なぜ詐欺師たちがそんな仕事をやっているのか?


その裏にはきっと、養いたい家族などの大切な存在があるのだろう。


また、実のところは詐欺師たちも罪悪感に苛まれていたり、シヴァやアッラーなどの神に赦しを乞いたりしながら、もがき生きているのかもしれない。


また、外国人観光客をターゲットにする詐欺などの職が生まれたのは、国際社会全体のシステムによるものだから、全てが全て彼らが悪いと言い切れるわけでもないかもしれない。


そう考えたら、詐欺師たちを完全に「悪」と決めつけるのはたしかに極論だ。

だから、彼らの人生背景や人間性まで深く知ることができれば、僕の中で彼らに対する性善説は立証できると思う。


ただ、単純にめんどくさい笑。


自分にとっての世界の「みんな」っていうのは、別に統計学的なランダムサンプリングに基づいているわけではなく、単純に「僕が出会った中でのみんな」という意味。


だから、「みんな」の範囲を、自分自身である程度絞っていいと思ってる。

だって、そうでもしないとキリがないし、結局自分の認識を作る材料は、自分の思い出の中から選ぶことになるから。


要するに、詐欺師たちの人生を深く知ろうとする時間があったら、よりたくさんの人の優しさに触れることで、僕の中の「みんな」の母数を広げていきたい。そう思っちゃう。


次に、「世界の「日常」を知りたいと言ってるけど、詐欺師たちにとっては、それらの仕事が「日常」なんじゃないの?という突っ込み所について。


実は僕が知りたい日常には枕言葉があって、それは素朴なという条件。


単純に言って、詐欺師の人たちの日常には興味をそそられないんだよね。

なぜなら、彼らの日常は特段素朴というわけではないから。


僕が旅の中で見たいのは、僕が行っても行かなくても変わらず過ぎていくであろう日常。


インドの村で子どもたちを迎えに来たスクールバスをお母さんがお見送りしたり、

ヒマラヤの村で、家族総出で毎朝ヤクやヤギを放牧場に連れて行ったり、

バングラデシュの田舎でおばあちゃんが毎朝祭壇にお祈りしたり。


こんな日々が、素朴な日常なんだと僕は思う。


南インドにて



その一方で、観光地で外国人観光客をターゲットに商売をしている人たちの日常は、僕を含む「外国人」という外部の存在があってはじめて存在し得る日常。


だから、そういった意味で彼らの日常は、笑いあり涙ありではあるとしても、決して素朴ではない。


だから単純に僕にとってあまり興味がわかないんだよね。


ネパールにて


ということで僕は、アンコールワットのように歴史的によっぽど魅力的であったり、インドのデリーのように旅のルート上どうしても通らなくてはいけない場所ではない限りは、基本的に外国人が集まる観光地には行かないようにしている。


世界を客観視するためには、好き嫌いせずに、観光地もそうじゃないところも満遍なく行くのがいいのかもしれない。


僕もそう思うときはあるけど、旅の期間、そして人生は有限だから、行きたいところにだけ行って、会いたい人にだけ会って、思う存分世界を主観的に見ながら死んでいきたいと思う。


ここまで、僕が世界の日常を旅する理由について書いてきたけど、「いかに世界の日常が素晴らしいか」ではなく、「いかに世界の観光地の詐欺師たちに興味がないか」という、否定的な側面ばかり話してしまった。


だから次のnoteでは、どうやったら旅の中で優しい人に会いやすくなるかというポジティブな内容について書いていきます。


ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。


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