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newjeans OMG ditto 考察

※めちゃくちゃ素人のお遊び考察です


OMG考察

□Ditto
ヒス(バニーズ)とニュジはファンとアイドルの対比だった。

ヒスにとってカメラ越しにしか会えないイマジナリーフレンドとしてニュジは存在し、
カメラを向ければいつでもそこにニュジがいたし、ニュジもヒスのことを大切な
存在として認識していた。(ミンジがヒスに心配して電話をかけたり、雨の中傘もささずに
歩いていくヒスを心配そうに見つめている描写あり)

しかし、dittoのMVの中でニュジ(イマジナリーフレンド)よりも大切なもの(好きな人)ができ、ニュジと距離を置くようになる。

ヒスの中でニュジは輝かしい思い出の一部となり、ヒスのこころの中で輝き続ける(骨折したヒスのギブスにマニキュアでハートが描かれているが、そのほかの文章は消えている。(そのほかの文章の中にOMGの撮影頑張ろうね!と記載があるが、多分もう一つの考察に関わってくるのか、MVの中でニュジはいないものではなく、存在するものとする証拠になるものなのかも・・・?)

ヒスは眠りから目覚め、ニュジと過ごした記憶と共に現実に向き合っていく。
なぜ“現実”なのかというと、最後に鹿と対峙している描写がある。教室で目があった鹿は
次の場面で雪景色の中にヒスを置いて遠く離れたところに行ってしまう。

ヒスが現実の世界に大切なものを見つけたと同時に、ニュジの存在は現実離れした美しさ(=鹿)があり、いつも近くにいるような気がしていた存在が実は全く手が届かない存在であることに気づいた絶望(?)、孤独(?)を表現しているのかも

ニュジとは別の現実を生きることになったヒス
ヒス(ファン)をなくしたニュジ
お互いが依存し合っていた関係から孤独に向き合って進んでいく・・・?

□OMG

OMGは前提として、歌詞の内容的にもファンとアイドルの間にある近くにいるけど絶対に交わることはない奇妙な関係性を歌った曲なんだと思う
そのことを念頭に考察しました。

ヒス(ファン)をなくしたニュジは自分とは何者だったのかを見失うところからスタートしている(ように思う)。

ハニの自分はiPhoneである発言からスタートし、ダニは砂嵐を見ながら笑い、ヘインはドレスで電車に乗ってお嬢様病(わがままの俗称らしい(末っ子キャラってことかも))を患い、ヘリンはネットでよく言われている猫に扮して自分がほんとうに猫であるかのように振る舞っている。しかしミンジだけ白衣を着てメンバーを救うというか、医者であるかのような立場をとっている(医者からは怪訝な目で見られてる)。

これはミンジはリーダーでありみんなをまとめる意識が強いことを表している(実際は医者ではないので)と思う。

つまり、
ハニ=iPhone→ファンからの要望に完璧に答えようとする。自分の意思は置いておいて、ファンに求められる発言を常にしようとしている。
ダニ=ヘインを救おうとバイクに乗って助けにいくなどいつも笑顔で気を使っているような人間性。
ヘイン=マンネキャラ。
ヘリン=猫
ミンジ=医者であるという思い込み

という幻覚を見ている状態。

上記のようにそれぞれニュージーンズとしてヒス(ファン)の前に現れていた時に客体化された“人格”に囚われている。
その人格が現実になるのはヒス(ファン)が存在している状態のみ。今はヒスがいないのでその人格はNew Jeansとしての自分達の姿であり、本来の姿ではない。
ニュジではなくなった以上、自分が何者なのかわかっていない状態、何かにすがりたいという気持ちを精神病患者で表現しているのではないか。

ただ、すでに本当の自分と客体化された人格の境界線は曖昧になっているので、
本当の自分が何なのか掴めないでいるのだと思う。

それぞれの見ている幻覚の種類から予想すると、

ハニ=ヒス(ファン)に伝書鳩で連絡を取ろうとする。→ファンがいなくなったことで自分を客体化する存在がいなくなり、自分は何者なのかわからなくなる、すがるものがなくなることに焦りがある。
ダニ=みんながそれぞれ他者から見た自分の像に溺れていく中、『私たちはNew Jeansだよね?!』と現実(というかNew Jeansがいるとされる世界)に引き戻そうと試みる。→客体化された人物像ではなく、自分たちがNew Jeansであることを認識している(メタ的な)。何に繋がるのかは不明(自分が何者なのかは認知している・・・?)→ダニの中で客体化された人物像が本来取り戻そうとしている自分とすり替わるぐらい、精神と強く結びついている?
ヘイン=熊(男性ファンの象徴・・・?)に怯える描写。ヘリンが描いた熊にも怯えて消えそうになっている。本当に末っ子であるというわけではない(というか大衆に家族構成は知られていない)のに、末っ子のキャラクターを背負っている。と同時に熊(大衆≒年上の男性ファン)への恐怖も抱いている。
ヘリン=Dittoでは猫ではありませんと言っているが、OMGではチュールのようなものを食べている。猫に変身している描写もあるぐらいなので、こちらも本来の自分の精神と強く結びついているのかも
ミンジ=リーダー≒医者としてみんなをまとめる責任感から医師の姿になっている。しかし、自分の中にある幼いこころ(ピン留つきミンジ)も医者ミンジに諭され、精神病患者として運ばれてしまう。→自分の中で2つの役割と人格があり、整理し切れていない表情が救急車に乗った時の表情なのかもなと読み取りました。

私が誰なのかは重要ではない
あなたが見たいものを見せてあげ、
あなたが聞きたいことを喋り、
いつでもあなたのそばに走っていく

現実世界ではあり得ないことが、ファンとアイドルの間では成立してしまう。
この危うさが精神病棟をテーマにした理由だと思う

『一人でも大丈夫
Cause I love someone
(They keep on asking me, ”Who is he?)』

これはヒス(ファン)がニュジ以外に愛する対象(ヒスの場合は、現実世界の男性、他にも他のアイドルを好きになることなど)が代替可能であることを意味してる歌詞なんだと思う(怖)

だから大サビ前にニュジが他の何かに次々入れ替わる描写が入ってたんじゃないかな・・・
『I was hoppin
g』も過去形だし。

Dittoはファンがアイドルに抱く純粋な気持ちとその気持ちが離れていく曲
OMGはファンに離れられたアイドルの曲

だと思うとより一層尖って聞こえると思う!

『全部意味がなかった
どうしよう』

ファンがいなくなって精神崩壊して本当の自分を探しているニュジ。。。

これをニュジの楽曲でやる必要の有無は一旦置いておいて、
アイドルとファンの在り方まで問われている気がしてとてもとても面白いし、
考えがいがある曲とMVだったね・・・

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