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片隅で

今夜はマフラーを首に一周巻いた。乗り換え駅を降りるときにすれ違った母親世代の女性は、二重にしたマフラーの輪に片方を通す巻き方をしていた。わずか数秒のあいだに視界の隅を通りすぎる冬の女性たちは、みんな寂しそうで、愛しそうで、すごく素敵に見える。これは冬の魔法なのだろう、それか、サンタクロースか雪だるまかイエス・キリストが仕掛けた粋な計らいなのだろう……とかそんなことを考えながら窓ガラスの前に立ち、深い青に重なって映る自分を見ながらその女性の巻き方を真似た。




彼のいない夜の駅は思ったよりも冷え込んでいて、無人島みたいだった。愛のない空間には意味がないみたいだ。同じような臓器を持っていて、同じように生きているはずの通りすがりの人がなんだか、バッタやカマキリと同じくらい遠い生き物に感じる。電車に乗り込むと、疎遠になった幼馴染と目元が似ているひとを見つけてしまって静かに動揺した。失うために生きている感覚は否めないけど、3時に食べた大きなチョコレートマフィンは今、わたしの中にある。冷たい風が吹くたびに、ブーツを履いたわたしはどこまでも行けそうで マフラーをしたわたしはどれだけでも眠れそうで 自由なんだ!ということを思い出す。


ちぢこまって歩く人々や、凛と建ち並ぶビル、寂しげに光る街頭や、憂鬱そうにじっとしている看板、冬にたたずむすべてのものが大切な人の涙みたいに愛おしくて心苦しくなるくらい。今年はじめて見た雪はとてもやわらかく、まるで蝶みたいにわたしの髪やマフラーにそっととまっていた。雪はこの街もわたしたちのことも好きみたいだ!まるで愛想のいい天使だ。わたしが見た光は全て、どこかのだれかのだれかへの愛だったんだろう。

電車で座っていると、足元が温かくてうとうとしてしまう。あのひとはいつも夜空みたいに微笑む。水たまりにもぐり込むみたいに、思いきって会いに行けたら足元の温風だって蹴飛ばしてしまうのに。向かいのイスに座ったひとの肌にくっついた傷跡がすこしわざとらしく見える。靴擦れの痛みも、くもった窓ガラスもぜんぶ存在のしるしみたいだ。こんな無愛想な夜の記憶は死んでからも思い出す気がする。

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