自分のダマし方。
僕は最近、日記を書いている。
日記といっても、
日々の出来事以外のこともたくさん書いてある。
日記ベースの自由帳といったほうが適切だろう。
そんなものを書くのは、
飽き性をなおしたいなぁと思ったからだ。
継続する中で一番ハードルが低いものは日記だと思った。
先に言っておくが、
その日記は誰にも見せないルールで書いているので、
今回ここで、それに書いてある内容は載せない
(し、今後も載せるつもりもない)。
ではなぜそんなルールを作ったかというと、
誰かに見せる前提で書きたくないと思ったからだ。
そもそもそんなルールを作らなくても、
誰にも見せないつもりで書けばいいものだが、
僕の場合、 ”つもり” だけで書けば、
「見せないつもりで書いているけど、
あとで誰かに見られる可能性もあるし、
見せたいと思うこともあるかもしれないからちゃんと書こう」
と思って整った文章を書くように心がけてしまう。
そうなると結局、
その心がけに疲れてしまい
「もういいや」となって結局飽きる。
ルールは 決まり なので
「見せないルールで書いてるから、
あとで誰かに見せる可能性は無いな。
適当に書こう。」
となって、
継続しやすくなる。
ごちゃごちゃ描いたが ルール と "つもり" は
僕の中で縛り力が違うというだけの話だ。
この言葉遊びをして自分をダマすだけで、
苦手な継続を思ったより楽にできている。
これをしていると自分が何を考えているかなんとなくわかってくる。
わからなくなることもある。
たぶんストレス発散になってるんだろうな。
これで飽き性がなおるかはわからないが、
今のところは楽しいので1年くらい続いている。
長く続けるつもりで書くと、すぐに飽きるので、
いつやめてもいいというルールでやっている。
自分のダマし方を覚えるとやりたくないことも案外できるもんだ。
と最近になって気づいた。
もしかしたら 「自分は飽き性」というルールで縛られているのかもしれない。
ただ自分のダマし方を理解するとダマされたくない自分が、
それをかいくぐってこようとする。
まだ攻略はされていないが
攻略されてしまったらまた新しいダマし方を探さないといけない。
人生ってそうやって自分と向き合って進んでいくものだよね。
と最近は自分に言い聞かせながら過ごしている。