進撃の就活 Day① 自分理念
はじめに
友人の紹介で今日から5日間「進撃の就活 10期」に参加させていただけることになりました。
ここでは、戸村さんから学んだ話を軸に自分なりの解釈やそこから見つけた課題点などをまとめていきたいと思います。
勉強はいつでもなにでもインプットとアウトプットの繰り返し。
毎日丁寧に、後から見てももう一度学べるように、をまずはこれからの記事の目標に。
1日目のテーマは「自分理念」です。
なぜ自己理念は必要?
経営理念という言葉はよく入社式なんかの場で耳にします。
これは企業としての理想のかたちを全社員みんなで共有するために重要で、これがあることにより様々な場面で統一した方向性の意思決定ができます。
自分理念はざっくりとその個人版という感じです。
ではなぜ自分理念は必要なんでしょうか?
戸村さんはお話の中で、自分理念を構築することにより自分の軸がしっかりと定まり、のちの判断基準となりえるためとおっしゃっていました。
私はそのお話を聞いてさらにこう感じます。
現代の社会では就職する際、まず私たち学生がどの企業に入りたいのか選ぶとこから始まります。そうして面接なりインターンシップなりを挟んで…というふうに順を追って進んでいきますが、私たちが企業を選ぶ際、同時に企業からも学生の選別が始まります。
企業が学生を選ぶ基準。これは企業ごとに様々だと思いますが
大まかな基準を上げるとするならばそれはきっと能力、個性、学歴、そして「自分理念」だと思います。
自分理念がある学生は自分の軸がある。
自分の軸がある学生はビジョンがはっきりしている。
ビジョンがはっきりしている学生は自分がいま何をするべきか、何がしたいかをきちんと理解している。
これは自分の経験ですが、自分理念がある人はみなそれを語るとき目がキラキラしてると思います。子供が将来の夢を語るのと同じように、自分の好きなもの、やりたいことを話す人はみんな目がキラキラするんです。
そしてそれは相手にもはっきりと伝わります。
もちろん採用担当だって例外ではありません。
だから自分理念は大事なんです。
自分の軸を決める、方向性を決める、だけではなくてそれを開示することによって周りを巻き込む力があり、それに協力したいと思う人が必ず出てくるから。
自分理念の見つけ方
自分理念を見つけるには、まず自分のことを深く理解しなければいけません。その際に助けとなるのが
①自分ができること
②自分がやりたいこと
③自分がやるべきこと
この3つを明らかにすることです。
ここではもう一度自分理念を振り返るために自分の生い立ちの中で
特に印象に残っている出来事をまとめて、上の3つをクリアしていこうと思います。
過去を振り返ってみて、
小学生時代
私の小学校は私立で毎年冬になると県の中心にある大きなホールを借りて発表会をします。かなり手の込んだものですがその中に合唱の部もあって
私は3年生の時になんとなくの気分と勢いでその合唱の伴奏者に立候補しました。ピアノなんて一度も習ったことなかったのに。
でもなぜかスイッチが入り、やる気になってしまった私は母に知り合いのピアノ講師の人を呼んでもらって伴奏者のオーディションの日まで必死に練習しました。
オーディションの日、他の長年ピアノを習ってきた子ばかりの中でひとり未経験として演奏した私ですが、結果はやっぱり選ばれることはできませんでした。しかしこの思い出は自分の中で苦い思い出としてではなく「自分から意思をもって最後までやりきった大きなチャレンジ」としてかなりいい方向で記憶に残っています。今思えばこの辺は今の自分にもつながるところがありそうです。
先までは自分の良い思い出でしたが、悪い方面ももちろんあります。
そしてその悪い方面で一番大きな衝撃だったのがいじめです。
小学校4年生の時に前述の私立の学校から、地元の公立の小学校へと転入した私は、5年生の時クラスの子が別のクラスの子をいじめていることを知ってとても大きな衝撃を受けました。ズギャーーーーンくらいのやつ。
前の学校では親も仲良し、みんなも仲良し、といった感じでいじめという概念すら知らなかった私はそこではじめて「いじめ」という存在を知って本当に驚愕と共に悲しくなりました。
このことからわたしは良い人の周りには自然と良い人が集まり、豊かで健康的な人間関係が築かれることに気づきました。
中学生時代
中学生で印象深い出来事といったらやはり部活動です。私の中学校は小さくてはじめはコンクールに出るのもぎりぎりの部員数しかいませんでした。
しかし2年生、3年生となっていくうちに部員数も増え自分たちの実力も確実につけていきついに3年の最後のコンクールでは県大会を突破し見事地方大会まで行くことができました。これは創立40年を超える吹奏楽部の中で初めての快挙だったそうです。私たちは厳しくも優しい顧問を信じ、自分たちを信じ、毎日ひたむきに一歩ずつ確実に成長することで大きな結果をつかみ取ることができたのです。
このことから私は日々の成長量は少なくても長い時間をかければ必ず大きなものになることに気づきました。
高校生時代
西日本豪雨
親友がアメリカから帰ってくる
台湾留学を決意
母とふたりきりでアフリカに2週間旅行に行く
吹奏楽引退を決意
ゲームを通じて多様性を知る
高校生時代は様々な決断に迫られた時期で、これらを語るには三日三晩必要なので簡単な箇条書きで割愛します。
ただひとつ言えるのは確実に人生の転換期だったということ、
そしてこれらの決断はどれも間違っていなかったと胸を張って言えることです。
そして私の「自己理念」
先ほど振り返った自分の過去をもとに、戸村さんが用意してくださった49個のキーワードの中から5つ自分なりにピックしてみました。
私がピックしたのは次の5つです。
①進撃 ②貢献 ③家族 ④気遣い ⑤未知
①進撃
高校3年生の時に進路指導先生のもとへ自分は台湾留学をするつもりですといった旨の内容を伝えに行った。すると過去の先輩の話を持ち出され、橋本はいま視野が狭くなっている、もし留学途中で挫折したら最終学歴は高卒だよと言われた。構うもんかと思いその場では軽く受け流したが、
次の進路相談の時間に学年主任と進路指導と当時の担任2人の合計4人の先生の前で、教室のプロジェクターを使いながら40分間台湾留学についてプレゼンをした。
②貢献
昔からおせっかいで人助けをするのが好きだった。自分が高校2年生の時、実家が西日本豪雨に巻き込まれた。幸いにも自分の家はマンションだったため直接的な被害はなかったが家の前の道路は腰までつかるほどの水だった。そしてその大雨の被害で同じ県の真備という地区で大規模な川の氾濫が起こり多くの家が屋根まで水に浸かった。私はどうにか自分にできることはないかという思いから平日は学校、休日は真備で災害ボランティアという生活を2か月続けた。そのほかにも高校のすぐ横を流れている川辺で大雨の影響で流れてきたであろうたくさんのごみを高校の友達を10人ほど集って拾う活動をしたりした。
③家族
私の母は感情を表に出しやすい人だった。その分、感情の乱高下も激しく、幼いころからたまに困ることがあった。そこで私が見つけたのが「程よく」だ。家族といえども距離感は大切だし常に接し続けていても、離れすぎていてもいけない。家族は社会の最小単位とはよくいったもので確かに家族との付き合い方が社会の中でもひとつの指標になることがある。
④気遣い
親しき中にも礼儀あり、という言葉がある。私が好きな言葉のひとつだ。
友人や恋人など親しい人とかかわっていく際いつもこの言葉が頭の片隅で小さく揺れる。
⑤未知
私は高校3年生の春休みの時に母と二人でアフリカに2週間旅をした。
母は英語が全くと言っていいほど喋れなくて、この旅行中言語はほぼ私頼みだった。初めの頃は飛行機の中でCAに話しかけるのにも必死に頭の中で文章を構築してからだった私も、最終日間近になると自分の英語力なんてお構いなしにボディランゲージ全開で新しくできたケニア人の友人と別れを惜しんでいた。
以上のことを踏まえて、自分の心がときめく状態をひとつの文章にしてみました。
私は幼いころから家族の影響もあって、未知に飛び込んでいく事が多かった。それは旅行ないし食ないし留学だったかもしれない。そういうものに触れながら成長した自分は今まさにこの世の中を日々進撃しているのだ。
誰かが道を作れば必ずその道をついてきてくれる人が出てくる。
誰かへの気遣いはいつか必ず自分に返ってくる。
私は自分が先頭を切って誰かの良い道しるべとなることが後に社会貢献へとつながると信じている。
私はいまこの瞬間が楽しくてたまらない。
要するに私の自分理念は誰かのロールモデルになる
です。
最後に
今日のお話の中で「また会いたいな、と思われる存在になること」という言葉が心に一番響きました。自分も常思っていたことをやっと言語化できたような、そんなうれしさもあります。これからあと残り4日、がんばって食らいついていきたいと思います。ファイトー!
#huntercity #戸村光 #進撃の就活 #タピオカ留学