東郷健のこと
頭が良いというのと賢いというのは違う、混ざり合いもするし片方だけしか育んでいない場合も多いという前提の上、この地球上には頭の良い人達が相当たくさんいて、その中の幾らかが、論理をもってある言語ゲームというobject domain-対象領域-で論破ゲームを楽しんでいる。志、は同じはずなのだが、もしくは、発端のみ同じなのかもしれないが、奇妙なことに、平和を求めて戦争を起こす現象が見られる。自らの知能力を確認するために知能力が低いと看做された人達を論破し、尊厳を侵す。総括、まで極化しなくとも、それに類する冷たい言論のもとで弱者が踏みつけられていくようなobject domain-対象領域-で、弱者達がいかに別のobject domain-対象領域-において平和を組み立てて生きていくのか。このような物語が、東郷健による雑民党だと自分は捉えている。
東郷健のバー、サタデイで働いていたS.オニクボさんに、何年も前に、上のような勿体ぶった言い回しではないにしても、このように捉えていると伝えてみた。S.オニクボさんは、そういうことだと思うよ、と答えた。
今年は東郷健の13回忌だ(展示をそれに合わせたわけではない)。自分はアーカイバーなのでゲイカルチャーを掘っていれば東郷健の名にはすぐに出会う。しかし、重視という意味で認識した頃には、二丁目にあったサタデイはすでに閉店、東郷さんはゴールデン街でBAR東郷健を一人で静かに運営していた。東京へ出るたびそこへ寄っていた。このことを東京の業界系のバーで話すと、ボラれなかった?と聞かれた。そういう噂が流れているらしい。自分は「むしろ奢ってくれたりするよー」と答えた。東郷さんに薦められ、かつての東郷さんの雑誌「The Gay」で表紙のイラストを描き続けた藤城清治の展覧会も教えてくれて、出向いた。ある日、サタデイ時代からの常連、金回りの良い高齢で元気な男が、若い男の子を連れて飲みにきた。男の子は「東郷健だー(笑)」とただただ舐めた態度で笑っていた。会計時、東郷さんは常連のその男に冷ややかにまあまあな金額を請求し、常連の男は「東郷さんが言うんだから払いますよー」と財布から万冊を何枚か出した。ボラれるボラれないという仕組みはこういうところにあったのだと思う。
東郷健という名前は、当時、昔の政見放送がトラウマになっている高齢層がいて、時を経てさらにその政見放送がニコニコ動画でバズって相当キワモノとして流通していた。それを見た若い子達が雑民を踏みつけるかのように相当数発生していた。確かに政見放送は凄いものだが(しかし、感動的な言葉も多く含んでいるが)、東郷健の著作を二冊読んでいたからか、それだけの理由ではないが、自分は最初に記したような印象を東郷健に持っていた。雑民が雑民党を作るということと、弱者をたやすく踏みつける人達が相当数いるということ、この相容れないイメージの狭間に決定的な問題がある。
今、東郷健の名前を強く認識している二十代(やそれより下の世代)はほとんどいないだろう。ただし、ゲイカルチャーに対し勉強熱心な若い世代はその名前を一応は知っているはずだ。幾らかの二丁目の記録系の本を読んでみれば、東郷健を掘り下げることはなくとも、必ず一言は触れている。良くも悪くも、日本のゲイ文化史を綴る上で東郷健の名前を無視することは手落ちになるという認識なのだと想像する。その時、このゲイ文化を語るという大きな物語を記す際にピックアップされるのは、東郷健の場合、ゲイと社会活動、政治活動という文脈に尽きる。付け足せば、交流関係、雑誌やビデオ販売を含め、文化活動の文脈で触れられる可能性はある。先の決定的な問題というのは、それらの文脈では、東郷健の日常展開的な部分の魅力が拾われないということだ。
これは別に東郷健に限った話ではない。拾う必要があるのかという観点もある。思想家のミシェル・フーコーの偉大な著作物は重要だが、フーコーが若いゲイボーイを連れてフランスやアメリカのボンデージ系のゲイ店舗に出入りしていたことを殊更に強調するのはゴシップ趣味でしかないという観点だ。思想家のロラン・バルトが新宿二丁目にきていた時、みんなからラン子ちゃんと呼ばれていたことは忘却の彼方へ消してしまった方がいいという観点だ(しかし、ロラン・バルトが使うときの〈エクリチュール〉という言葉は、デリダらと少し違い、本来失われてしまう儚いものを拾う思想的展開ではなかったか)。現在二丁目で個展を開催中のS.オニクボさんは、近年中上健次を読み続けていて、開発によって文字通り故郷を喪失した中上健次がその喪失を埋める何かを新宿二丁目に見つけたというラインで、当時その現代作家と出会ったというお客さんたちから新宿二丁目での中上健次の動向を聞き、少しずつ収集している。高尚な著作物のみ重視し、低俗なライフ、根底の生を、すみやかに切り棄てる形式。これは、ある人物に対しアウトラインを引く程度であれば正しい=王道だが、王道はつねに脱構築される状態であるべきだと自分は考えたい。
大阪で晩年、東郷健はイベントを打った。東郷さんが出番の時に何をするのかととてもわくわくしていたが、東郷さんは、連れてきていた若い純粋そうな女の子達ととても優しい唄を合唱した。それは、あまりにも予想外だったが、あまりにも自分が東郷健にいだいていたイメージと重なっていた。雑民の、平和なひとときの時間を、東郷さんは披露してみせた。東郷健とは、風評とは別に、そういう人物だ。
その人物像、また、かつてのサタデイで繰り広げられ、雑誌「The Gay」に掲載された、男達の欲望の美しき秘密の時間を作ったその人物像で、ほぼ無意味な風評を書き換えたい。その風評がまさに王道を盾に定着するというのなら、書き換えるための脱構築の形式を思想言語として見出したい。
それは、Barおにくぼがあるうちにやるべきことだと考えている。
画像は、現在、自分が開催している Latex Gloves 9 展から。22点の写真と、2点の小さいオブジェクトを展示している。画像左側、グラスのうつされた写真は、角度といい、サタデイのチラシで使われていそうな写真だよ、と言ってくれた。カウンターの後ろから、ひょいと東郷さんが現れそうだ、と口にした。
_underline, 2024.11