随筆「ソフドリ3杯(コーラ、ウーロン茶、オレンジジュース)で6000円支払った。」

飲み会に行かない理由の答えが出てしまった。
久しぶりにキーボードを叩く。パソコン仕事は毎日常にしているが、ノートパソコンの薄っぺらいキーを叩くより、打鍵感をしっかり味わえるキーボードを叩くとテンションが上がる。noteを書くのは久しぶりだ。

最近は、やらなきゃいけない労働をこなして、その腹いせでひたすらにゲームをして、本当に良くない現代社会人といった生活を送っていた。絵も描いていない。映画やアニメもまともに見ていない。創作活動も、創作物で金を稼ぐこともしていない自分はクリエイターではない。

「自分には絵しかない」というには根拠が足りないし覚悟が足りないが、それでも絵で有名になりたい。何でそんな才能があるわけでも金が稼げるわけでもない絵に固執するのかというと、「自分の価値を自分で決めたい」、という感情が一番しっくりくる。
「嫌なことが我慢できる」とか、「社会や世界のためになる」とか、他人に使ってもらって飯を食うために、自分に分かりやすい価値のタグをつけて市場に売り出すのだが、そんな相対的なもんじゃなくて、もっと自分で自分を愛して売り出してあげたい。自分を好きになりたい。自分が好きな自分を他人に好きになってほしい。そんな自己中心的な感情が転じて転じて「絵を描きたい」になっているんだと思う。この言語化をもっとうまくしたい。

耐えて耐えて、飲み会でしょうもない話をして、上司や同僚の自慢話や苦労話を聞いて、そんなために生きているなんて情けない。
こうやって同じテーブルでうまそうに酒を飲んでいる彼らは労働している自分がなんだかんだ大好きで、社会的な地位と価値があると信じていて、家では可愛い家族が待っていて、そんな幸せな人生を送っているんだ。

明日はたまった仕事をやらなくちゃ。
もっと明確に歩く先を決めなくちゃ。

頂いたご支援は、全て創作活動のために利用させていただきます。