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ぐちゃぐちゃの感情

今、筆を執るのは、腐った自分の為。

ここから語ることは憶測が含まれているので、鵜呑みにするのはやめてほしい。こんな記事見に来る人間にそんなことする人いないと思ってはいるけれど。文章として残すことは重要で。どこまでいっても、自分を守ることで精一杯でそれしか出来ない自分にそれしかしようとしない自分に嫌気が刺す。

詳しく知っているわけでは無いし、追いかけていたわけでも、動画を全部見ていました!という訳でもない、ただただ考え方が、好きで、思考回路が似てるな…なんて勝手に思っていた方が目の前から消えた。ファンという立場にはとてもじゃないが立てないけれど、それでいて、喪失感だけは一丁前に持ち合わせている。ぐちゃぐちゃの感情。願うことしかできないが、社会のしがらみから解放された今、幸を当人が持ち合わせていると良いな。

トレンド入りするほどの貴方を惜しむ声が聞こえているのかな。本当に本当に強く生きるを体現していたからこそ、後ろ手に抱える苦しみは計り知れないものだったと思っていて。たくさんのファンの方が、口を揃えて毎年この時期は落ちるから心配だったと、声を上げていて、氷山の一角の裏面すらわたしは覗き込んでいなかったのだな、と。

無理やり強く保った心を踏み躙った社会への嫌悪。なんとかは救済だ、なんてよく言われるが、そのものにただ魅入られているだけなんだろうな、と思う。それほど魅力的だよ、その選択肢は。こんな社会で生きていること、少しぐらい支障をきたしていないとおかしいと言った人がどこかにいた気がする。自分の声は未だ小さいので、こうして好き勝手叫んでいられる、だからこそすんでのところで人間の形を保っていられる。ドロドロと溶けていく部分は服の中に、臓の中に隠して。

自傷行為をネットの海に流す、している行為は他人に見せられたもんじゃない。それでも、こうしてわたしは生きてきたので、筆を執ってしまう。だからこそこれは腐り切った自分の為で。

ぐちゃぐちゃなまま、文章を綴ろうとするなという戒め。まとまることのないとっ散らかった文章をここに。

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